永訣の夢
「あれ?獏良、お前…」
昼休み、一人静かに本を読む友人を見て本田は声を上げた。
「え?どうかした?」
「どうかした…ってお前、眼鏡なんてかけてたか?」
「…ちょっと視力落ちちゃったから。授業中とか本を読む時にだけかけてるんだ」
獏良は読みかけの本に栞を挿むと、席の横に立った本田に向き直った。
本田は無意識に後ずさる。一見、いつもと変わらぬ微笑だったが、眼鏡の奥で細められた瞳にひんやりとした何かを感じ取ったのだ。
(コイツ、こんな眼をするヤツだったか…?)
休み時間でざわついた周りから隔離されたような雰囲気に窮し、何か話題を求めた本田は獏良が手にしている一冊の本に目を留めた。
「あー…、何読んでんだ?…宮沢賢治?」
「うん。この人の詩集が好きなんだ」
「宮沢賢治っていったら、『注文の多い料理店』とか『手袋を買いに』とか、詩人より童話作家ってイメージだけどな」
「ちょっと、本田君。『手袋を買いに』は新美南吉だよ」
国語の教科書に載ってる話しか読んでないんでしょ。そう言ってクスクス笑いながら、獏良は本の表紙を撫ぜる。まるで本を労わるような手つきに、見ているこっちがくすぐったくて暖かな気分にさせられると本田は思った。
「だけど、おっかねータイトルだよなぁ。『春と修羅』って」
少しずつ和んできた空気にホッと息を吐くように、本田は呟いた。
獏良は最近、一人でいることが多い。千年アイテムがその役割を終えエジプトの地に眠った時から、彼は少しずつ集団の輪から離れていった。
高校生活も最後の年、これから本格的に進路を考える時期だ。成績の良い獏良は早くから目標を決めていたようだし、メンバーの半数がゲームオタクな仲間と少し距離を取っていくのは当然のことかもしれない。それでも、教室の隅でポツンと座っているのを見ると、思わず声をかけてしまう。
「あ、賢治の詩1つだけ思い出したぜ!」
「“雨ニモマケズ”なら、ここには収録されてないよ」
「何だよー先読みすんなって」
「この本は唯一、生前に出された詩集だもん。“雨ニモマケズ”は、賢治が亡くなった後で手帳に書いてあるのが発見されたんだよ」
「やけに詳しいな、お前」
本田は、感心と呆れの混じった複雑な表情を浮かべた。真面目に受験勉強をしていると思っていたが、どうやらそれも怪しい。
「…確かに妙なタイトルだけど、中の詩は凄く素敵だよ」
そんな本田の視線に気付いていないのか、獏良は嬉しそうに笑顔を向けた。
「あーもう…いいや」
お前、勉強の方は大丈夫なのか。本田は口から出かかった言葉を飲み込む。
千年アイテムのことで一番振り回されてきたのは、今目の前で微笑む獏良に違いなかった。しょっちゅう流血騒ぎを起こしていたし、千年リングの闇人格によって文字通り心身共にズタボロにされた。元凶がいなくなったらいなくなったで、獏良は以前にも増して不安定になった。
どうにか支えてやろうと今まで頑張ってきたつもりの本田だが、自身の気持ちが完全に空回っているようで仕方なかった。身体の傷は癒えても、心の傷は相変わらず深い溝となって自分たちの間に横たわっている。
けれどその彼が、ニコニコと楽しそうに笑っている。ならば、それに水を差すような真似はしたくなかった。
昼休み、一人静かに本を読む友人を見て本田は声を上げた。
「え?どうかした?」
「どうかした…ってお前、眼鏡なんてかけてたか?」
「…ちょっと視力落ちちゃったから。授業中とか本を読む時にだけかけてるんだ」
獏良は読みかけの本に栞を挿むと、席の横に立った本田に向き直った。
本田は無意識に後ずさる。一見、いつもと変わらぬ微笑だったが、眼鏡の奥で細められた瞳にひんやりとした何かを感じ取ったのだ。
(コイツ、こんな眼をするヤツだったか…?)
休み時間でざわついた周りから隔離されたような雰囲気に窮し、何か話題を求めた本田は獏良が手にしている一冊の本に目を留めた。
「あー…、何読んでんだ?…宮沢賢治?」
「うん。この人の詩集が好きなんだ」
「宮沢賢治っていったら、『注文の多い料理店』とか『手袋を買いに』とか、詩人より童話作家ってイメージだけどな」
「ちょっと、本田君。『手袋を買いに』は新美南吉だよ」
国語の教科書に載ってる話しか読んでないんでしょ。そう言ってクスクス笑いながら、獏良は本の表紙を撫ぜる。まるで本を労わるような手つきに、見ているこっちがくすぐったくて暖かな気分にさせられると本田は思った。
「だけど、おっかねータイトルだよなぁ。『春と修羅』って」
少しずつ和んできた空気にホッと息を吐くように、本田は呟いた。
獏良は最近、一人でいることが多い。千年アイテムがその役割を終えエジプトの地に眠った時から、彼は少しずつ集団の輪から離れていった。
高校生活も最後の年、これから本格的に進路を考える時期だ。成績の良い獏良は早くから目標を決めていたようだし、メンバーの半数がゲームオタクな仲間と少し距離を取っていくのは当然のことかもしれない。それでも、教室の隅でポツンと座っているのを見ると、思わず声をかけてしまう。
「あ、賢治の詩1つだけ思い出したぜ!」
「“雨ニモマケズ”なら、ここには収録されてないよ」
「何だよー先読みすんなって」
「この本は唯一、生前に出された詩集だもん。“雨ニモマケズ”は、賢治が亡くなった後で手帳に書いてあるのが発見されたんだよ」
「やけに詳しいな、お前」
本田は、感心と呆れの混じった複雑な表情を浮かべた。真面目に受験勉強をしていると思っていたが、どうやらそれも怪しい。
「…確かに妙なタイトルだけど、中の詩は凄く素敵だよ」
そんな本田の視線に気付いていないのか、獏良は嬉しそうに笑顔を向けた。
「あーもう…いいや」
お前、勉強の方は大丈夫なのか。本田は口から出かかった言葉を飲み込む。
千年アイテムのことで一番振り回されてきたのは、今目の前で微笑む獏良に違いなかった。しょっちゅう流血騒ぎを起こしていたし、千年リングの闇人格によって文字通り心身共にズタボロにされた。元凶がいなくなったらいなくなったで、獏良は以前にも増して不安定になった。
どうにか支えてやろうと今まで頑張ってきたつもりの本田だが、自身の気持ちが完全に空回っているようで仕方なかった。身体の傷は癒えても、心の傷は相変わらず深い溝となって自分たちの間に横たわっている。
けれどその彼が、ニコニコと楽しそうに笑っている。ならば、それに水を差すような真似はしたくなかった。