エンジョイブル・エイト
今年の夏はやけに猛暑日が続いている。
最後の一声と一生懸命に鳴く蝉とじりじり根競べ。
そんなどうしようもない暑さとそれに振り回される自分に辟易していたとき、電話が鳴った。
相手は渋谷サイキックなんとかの所長のナル。
なんだろね。
「はい。滝川でーす。どったの」
「やぁこんにちは、滝川さん。とても暑苦しそうなところ、失礼します。その様子だと冷房は自粛中ですか」
可愛くないガキ。
「はいはい。どうせ?オレはキミんとこと違って?冷房も自粛せざるを得ない日照り坊主ですよー」
「そんなことはわかってますよ。ただの事実確認です」
本当に可愛くないガキだ。
「さて、前置きはこれくらいにしときましょう。素麺、食べませんか?」
「…おおう?」
○
なにが食べませんか?だ。
「滝川さん、できましたか?」
ただの作業要員じゃねぇか!!
「ぼーさん、ごめん!」
流し素麺セット?(そんなもんあるんだねー便利な世の中だわ)なる竹を組み立てるオレの隣へ嬢ちゃんがそそっと身を寄せ、頭を下げる。
「事務所で事務作業しながら、ぼそっと流し素麺したいなーって呟いたら、背後にナルが居て…」
なるほど。
この暑さにいつもより機嫌がよろしくないナル坊がその一言を聞き逃さず、当てつけのように今日のバイトをいきなり終了宣言したらしい。
それで嬢ちゃんは素麺と流し素麺セットを買いに走らされ、オレが駆り出される羽目になったと。
いやオレも暇じゃないんだけどね…。ほんと。
「なにごちゃごちゃ喋ってるんですか。早く手を動かしてもらえます?」
「ちょっナル!!私はいいけど、ぼーさんにその態度ってないんじゃない!?」
「いやいやまぁオレは別に…」
「どこの誰がそんな口を聞いているんだ?」
あぁほら…。
オレはため息を吐き、黙って手を進める。
「どこの誰がそんな口を聞いているんだ?」
ナルがゆっくりと腕を組む。
美形の凄みは怖い。
それに加え服装や表情も相まってキツい印象に受ける青年の睨みに、ただの平均的女子高生は耐えられるだろうか。
「うう…」
「流し素麺セットなるものを「なにこれどう組み立てるかわかんない助けて」とかほざいたのは誰だっただろうな。リン」
デスクで作業をしていた秘書が顔を上げる。
「麻衣さんですね」
「ごめんなさい!ぼーさんのお手伝いをします!」
「ふん」
あーあーキちゃってるねー完璧この暑さにキちゃってるねー。
○
「うっし、完成だな」
「わーすごい!これぞ流し素麺!」
「まだ流してないけどな」
嬢ちゃんが嬉しそうに左右方向を重ねることで変えている竹を目で追う。
我ながら、説明書通りに組み立てただけだがいい出来だ。
それにしても、こうね。わかりやすく喜んでくれるとね。
おいちゃんも頑張った甲斐があったってもんっていうね。
「どうしたのぼーさん。うんうん頷いちゃって」
「いやあ、オレも年取ったってな」
「ええ!どうしたの」
「花の女子高生にはわかんないの」
そうビシリと言って、一仕事終えた体の背を反らす。
同時にオレの肩を背後から叩かれる、それは悪魔の手。
「終わったんですか。じゃ滝川さんは調理の方へ行ってください。麻衣は麺つゆを買ってこい。今すぐだ。いいな」
横暴だ。
おいちゃんなんも悪いことしてないのによ。
○
ぐつぐつぐつぐつ。
事務所のキッチンだっていうのに、なかなかいいの持ってやがる。
主人を連想させる白と黒のコントラストで統一された必要最低限の道具しかないキッチン。
コーヒー入れるくらいにしか使ってないないようだった。
「えーオレ、なんかすることありますかね?」
「特にないです」
ガスコンロの前の長身の男がバッサリ切り捨てた。
リンさんと呼ばれるこの秘書は、言っちゃあ悪いが得体の知れない男だ。
主君のナルにだけは忠実で、他の奴に打ち解けた姿を見せたことはほとんどない(前の教会の事件のときはえらい親近感を覚えたが
だからオレとしては少し居心地の悪い相手だったりする。
…少し?
いや、かなりか。
「三…――か」
「?悪い、きこえなかった、もう一度言ってくれないか」
「三分ゆであげろと表示されていますが、どうゆでるのですか」
どうゆでるって、そりゃ三分ゆでるんだが。
呆れたのが顔に出てしまったのだろう、隣の男は少しムッとしたかのように見えた。
「この表示にはどれくらいゆでるかは書いていますが、どうゆでるかは書いていません。この麺は折るのですか?」
そこまで聞いてやっとわかった。
「あー…もしかして、アンタ素麺ゆでたことねぇの?」
「…そうだとしてなんだというのです」
「ああー…」
脱力する。
はいはい、そうね。初めての人にはわかりにくい表示ですよね。
「麺貸してもらっていいかい?」
「…どうぞ」
黒いギャルソンエプロンを付けた男がスッと鍋の前から身を引く。
オレは受け取った袋から五束取り出し、麺をとき、鍋にバラバラに円を描くようにさっと入れた。
「はい、完了ー。こっから三分ね」
「…麺の半分が鍋から出ているのはいいのですか?」
「いいのいいの。見てみ」
オレに促され、男が鍋を覗き見る。
ゆであがった下の方の麺がぐにゃりと曲がって、鍋からはみ出ていた麺が湯に浸ったところだった。
「…なるほど」
「ね?スパゲッティと同じ」
「…」
切れ長の目を一回だけぱちくりとさせる。
その後、男は数秒熱湯の中の素麺を見つめて、ふっと笑ったかのような気がした。
おお、笑う?のか。
これはちょっとびびる。
そして三分間、また沈黙と湯の煮える音が場を支配する。
ふと、全身黒ずくめのこの男とキッチンで素麺なんかゆでている状況がおかしくなって口元が緩んだ。
横の男が疑問の眼差しを向けてきた。
それを無視して、じわじわ降りてくる笑いのツボをオレは必死に耐えていた。
が、耐えきれなくなった。
「っくっくっくっ」
「…なにがおかしいのです」
たまらずしゃがみこんだオレに不服そうな声が降りてくる。
「いや、だって、いまどきっ素麺のゆで方が、わからないって…っくっくっていうか、オレキッチンでなんしてんだって、思うと…!!くっ」
ピピー。
三分間経ったことを告げるアラームが鳴った。
「…」
男は無言で菜箸で鍋の中を混ぜ、上棚からざるを取りだしている。
それもオレは面白くなって、笑いがひきつった。
「邪魔です、退いてください」
おもむろに退けながらひいひいと笑うオレを男はまるで理解できないものを見るような目つきで一瞥し、ざるを炊事場に置いき、そして停止する。
ざると鍋を交互に見やって止まる。
もうわかっていた。
「お湯の切り方は、それで合ってるよ。鍋は持って行ってざるに空ければいい」
「…」
男は無言でその通りにした。
やっと笑いのツボから立ち直ったオレは、すかさず蛇口を捻るため立ち上がった。
「冷凍庫から氷そのまま持ってきてくれない?」
腕をまくって冷水で素麺を冷やしながら、指示する。
氷を入れつつダメ押しで冷やし、水を切れば完成だ。
「できたのですか?」
最後の一声と一生懸命に鳴く蝉とじりじり根競べ。
そんなどうしようもない暑さとそれに振り回される自分に辟易していたとき、電話が鳴った。
相手は渋谷サイキックなんとかの所長のナル。
なんだろね。
「はい。滝川でーす。どったの」
「やぁこんにちは、滝川さん。とても暑苦しそうなところ、失礼します。その様子だと冷房は自粛中ですか」
可愛くないガキ。
「はいはい。どうせ?オレはキミんとこと違って?冷房も自粛せざるを得ない日照り坊主ですよー」
「そんなことはわかってますよ。ただの事実確認です」
本当に可愛くないガキだ。
「さて、前置きはこれくらいにしときましょう。素麺、食べませんか?」
「…おおう?」
○
なにが食べませんか?だ。
「滝川さん、できましたか?」
ただの作業要員じゃねぇか!!
「ぼーさん、ごめん!」
流し素麺セット?(そんなもんあるんだねー便利な世の中だわ)なる竹を組み立てるオレの隣へ嬢ちゃんがそそっと身を寄せ、頭を下げる。
「事務所で事務作業しながら、ぼそっと流し素麺したいなーって呟いたら、背後にナルが居て…」
なるほど。
この暑さにいつもより機嫌がよろしくないナル坊がその一言を聞き逃さず、当てつけのように今日のバイトをいきなり終了宣言したらしい。
それで嬢ちゃんは素麺と流し素麺セットを買いに走らされ、オレが駆り出される羽目になったと。
いやオレも暇じゃないんだけどね…。ほんと。
「なにごちゃごちゃ喋ってるんですか。早く手を動かしてもらえます?」
「ちょっナル!!私はいいけど、ぼーさんにその態度ってないんじゃない!?」
「いやいやまぁオレは別に…」
「どこの誰がそんな口を聞いているんだ?」
あぁほら…。
オレはため息を吐き、黙って手を進める。
「どこの誰がそんな口を聞いているんだ?」
ナルがゆっくりと腕を組む。
美形の凄みは怖い。
それに加え服装や表情も相まってキツい印象に受ける青年の睨みに、ただの平均的女子高生は耐えられるだろうか。
「うう…」
「流し素麺セットなるものを「なにこれどう組み立てるかわかんない助けて」とかほざいたのは誰だっただろうな。リン」
デスクで作業をしていた秘書が顔を上げる。
「麻衣さんですね」
「ごめんなさい!ぼーさんのお手伝いをします!」
「ふん」
あーあーキちゃってるねー完璧この暑さにキちゃってるねー。
○
「うっし、完成だな」
「わーすごい!これぞ流し素麺!」
「まだ流してないけどな」
嬢ちゃんが嬉しそうに左右方向を重ねることで変えている竹を目で追う。
我ながら、説明書通りに組み立てただけだがいい出来だ。
それにしても、こうね。わかりやすく喜んでくれるとね。
おいちゃんも頑張った甲斐があったってもんっていうね。
「どうしたのぼーさん。うんうん頷いちゃって」
「いやあ、オレも年取ったってな」
「ええ!どうしたの」
「花の女子高生にはわかんないの」
そうビシリと言って、一仕事終えた体の背を反らす。
同時にオレの肩を背後から叩かれる、それは悪魔の手。
「終わったんですか。じゃ滝川さんは調理の方へ行ってください。麻衣は麺つゆを買ってこい。今すぐだ。いいな」
横暴だ。
おいちゃんなんも悪いことしてないのによ。
○
ぐつぐつぐつぐつ。
事務所のキッチンだっていうのに、なかなかいいの持ってやがる。
主人を連想させる白と黒のコントラストで統一された必要最低限の道具しかないキッチン。
コーヒー入れるくらいにしか使ってないないようだった。
「えーオレ、なんかすることありますかね?」
「特にないです」
ガスコンロの前の長身の男がバッサリ切り捨てた。
リンさんと呼ばれるこの秘書は、言っちゃあ悪いが得体の知れない男だ。
主君のナルにだけは忠実で、他の奴に打ち解けた姿を見せたことはほとんどない(前の教会の事件のときはえらい親近感を覚えたが
だからオレとしては少し居心地の悪い相手だったりする。
…少し?
いや、かなりか。
「三…――か」
「?悪い、きこえなかった、もう一度言ってくれないか」
「三分ゆであげろと表示されていますが、どうゆでるのですか」
どうゆでるって、そりゃ三分ゆでるんだが。
呆れたのが顔に出てしまったのだろう、隣の男は少しムッとしたかのように見えた。
「この表示にはどれくらいゆでるかは書いていますが、どうゆでるかは書いていません。この麺は折るのですか?」
そこまで聞いてやっとわかった。
「あー…もしかして、アンタ素麺ゆでたことねぇの?」
「…そうだとしてなんだというのです」
「ああー…」
脱力する。
はいはい、そうね。初めての人にはわかりにくい表示ですよね。
「麺貸してもらっていいかい?」
「…どうぞ」
黒いギャルソンエプロンを付けた男がスッと鍋の前から身を引く。
オレは受け取った袋から五束取り出し、麺をとき、鍋にバラバラに円を描くようにさっと入れた。
「はい、完了ー。こっから三分ね」
「…麺の半分が鍋から出ているのはいいのですか?」
「いいのいいの。見てみ」
オレに促され、男が鍋を覗き見る。
ゆであがった下の方の麺がぐにゃりと曲がって、鍋からはみ出ていた麺が湯に浸ったところだった。
「…なるほど」
「ね?スパゲッティと同じ」
「…」
切れ長の目を一回だけぱちくりとさせる。
その後、男は数秒熱湯の中の素麺を見つめて、ふっと笑ったかのような気がした。
おお、笑う?のか。
これはちょっとびびる。
そして三分間、また沈黙と湯の煮える音が場を支配する。
ふと、全身黒ずくめのこの男とキッチンで素麺なんかゆでている状況がおかしくなって口元が緩んだ。
横の男が疑問の眼差しを向けてきた。
それを無視して、じわじわ降りてくる笑いのツボをオレは必死に耐えていた。
が、耐えきれなくなった。
「っくっくっくっ」
「…なにがおかしいのです」
たまらずしゃがみこんだオレに不服そうな声が降りてくる。
「いや、だって、いまどきっ素麺のゆで方が、わからないって…っくっくっていうか、オレキッチンでなんしてんだって、思うと…!!くっ」
ピピー。
三分間経ったことを告げるアラームが鳴った。
「…」
男は無言で菜箸で鍋の中を混ぜ、上棚からざるを取りだしている。
それもオレは面白くなって、笑いがひきつった。
「邪魔です、退いてください」
おもむろに退けながらひいひいと笑うオレを男はまるで理解できないものを見るような目つきで一瞥し、ざるを炊事場に置いき、そして停止する。
ざると鍋を交互に見やって止まる。
もうわかっていた。
「お湯の切り方は、それで合ってるよ。鍋は持って行ってざるに空ければいい」
「…」
男は無言でその通りにした。
やっと笑いのツボから立ち直ったオレは、すかさず蛇口を捻るため立ち上がった。
「冷凍庫から氷そのまま持ってきてくれない?」
腕をまくって冷水で素麺を冷やしながら、指示する。
氷を入れつつダメ押しで冷やし、水を切れば完成だ。
「できたのですか?」
作品名:エンジョイブル・エイト 作家名:チョコレートケーキ