酒宴
はじめて本拠地でその姿を見かけた時、どこかで見た顔だと思った。
忘れるはずもない。
15年前のカレリアで、名物だった男。
さまざまな人間が色とりどりの事情から集まってくる辺境警備隊の隊員の中でも、一風変わった経歴の持ち主だった。
ハルモニアの一等市民の貴族が、落ちぶれてこの砦に流れつくことは珍しくない。
だが、たいていの場合は、彼らはこの砦の荒くれた猛者達と肩を並べられるわけもなく、下働きの下男となるか、良くて会計係に抜擢されるかのどちらかだった。
そんな中で、典型的な一等市民の容姿を持ちながらも、抜きん出た才能を持ち合わせた男。
剣技にしろ格闘技にしろ、ひとつひとつを取ってみれば大した腕前ではないのに、なぜか実践となるとこの男の右に出る者はいなかった。
調査員というのも、彼に向いた仕事だったのだろう。
各地に赴きスパイ活動をする―――頭の回転と口のうまさ、身のこなしの軽さが必要とされる仕事だ。
自分とて戦闘という一点に置いては誰にも引けをとるつもりはなかったが、こうした仕事の実績で言えばあの男には到底かなわなかった。
―――まあ、上の連中もそのあたりはわかっていたのか、自分は諜報活動よりも、正面からの戦闘に借り出されることが多かったが。
それはさておき、このように何かと目立つ存在であった上に、自分にはこの男に個人的な貸しもあった。
だから、声をかけてみたのだ。
15年の歳月を経てもなお、忘れることのなかったこの男に。
「ナッシュ」
酒場でグラスを片手に誰かれなく声をかけては歓談を楽しんでいるナッシュに、ジョーカーは会話の間隙を縫うように声をかけた。
こちらには背を向ける形で、丸テーブルに軽く腰掛け向かいの相手と他愛無い世間話に興じていたナッシュが振り返る。
一呼吸の間を置いて、その顔に笑みがのぼった。
「やあ、ジョーカー。久しぶりだな」
何食わぬ顔をして、そんなことを言ってくる。
まったく油断も隙もありはしない。
いつのまに自分の名前が、“ワン”から“ジョーカー”に変わったことを知ったのか。
少なくともこれまでに、相手が自分の正体に気づいたような素振りは見えなかった。
だとすれば知らぬ顔をして、すでにこちらのことなどしっかり調査済みなのだろう。
どうやら諜報員としての腕は、少しも鈍ってはいないらしい。
「おう。15年振りだな」
ジョーカーも腹の中で思ったことをおくびにも出さずに言い返せば、ナッシュの口の端がわずかに引き上がった。
とりあえず、第一ラウンドは引き分けというところか。
「みなさんもお揃いのようで…っと、子供がこんな場所に来るには、少し遅い時間じゃないか?」
ジョーカーと同じテーブル席に陣取っている第12小隊のメンバーを見渡して、ナッシュが少し小首を傾げる。最後のセリフは、アイラに向かって言われたものだ。
「バカにするな! カラヤの戦士は12の歳を過ぎれば、すでに立派な大人の一員だ!!」
ムキになって言い返すアイラに、ナッシュはおもしろそうに笑った。
「へぇ。たいしたもんだな。俺は12の頃と言ったら、まだおんぶに抱っこの子供だったけどな」
ふん、当たり前だ。おまえたちのような軟弱者と一緒にするなと、プイと横を向いてしまったアイラを見て、ナッシュはにやにやと笑っている。
―――子供をからかって遊ぶなと言ってやりたい。
「それより、おまえさんとこんなところで会えるとは思ってなかったわい」
相手の気を引くつもりで話題を変えれば、ナッシュも乗ってきた。
「それは俺のほうもだよ。まさか、あんたとこんなところで会えるなんてな。いや~、偶然ってあるもんだな」
嘘をつけと心の中で毒づきながら、ジョーカーはしれっと答える。
「あまり嬉しくない縁だがの」
お互いに含みを込めた言葉の応酬に、ナッシュがおもしろそうに目元を細めた。
こういうやり取りを楽しめるようになっているのだから、彼の性格は昔よりもさらに捻り曲がってしまったのだろう。
ジョーカーにしても20年以上もカレリアの辺境警備隊に所属していれば、それなりの心理的な駆け引きは心得ている。だが、相手のうさん臭さに比べれば、自分はまだかわいいものだと思えた。
ナッシュがカレリアを脱走してから、再会を果たすまでのこの15年間。
彼がどこで何をしていたのかは知らないが、どうやら穏やかとは無縁の日々を送ってきたようだ。
『帰る場所があるうちは、帰ったほうがいい』
自分は昔、彼にそのようなことを言ったはずだが、彼は聞き入れなかったということか。
深く言及するつもりはないが、戻れる場所を自分から放棄したのならば馬鹿なことをしたものだと思う。
帰る場所はなくしてからでは、もう遅いというのに―――。
「ジョーカー。あんたの知り合いなのかい?」
それまで黙ってナッシュとのやり取りを見守っていたクイーンが、ふたりの会話が途切れたところで口を挟んできた。
ジョーカーは彼女に向かって、小さくうなずいてみせる。
「ああ。まあ、腐れ縁みたいなものだな。なんと言っても15年振りの再会だからの」
そのあまりにも長い年月に、クイーンが軽く目を見張った。
「15年って・・・またずいぶんと遠い昔だねぇ」
「お嬢さんにとっては一昔前のような気分かな」
軽口をたたくナッシュに、クイーンが唇を歪める。
「そうだね。私なんかまだまだお子様だったよ…。ああ、でもカラヤ風に言えば、もう十分に大人の範囲だけどね」
余裕の笑みを崩さないクイーンに、ナッシュが楽しそうにいくつかの質問をし始めた。
手応えのある相手との言葉の駆け引きを楽しんでいるようだ。
隣に座るゲドは、クイーンがナッシュに絡まれてもまるで気に留めた様子もなく、黙々と酒を口に運んでいる。
ジャックは相変わらず無口だし、エースは何やらうろんな目でナッシュのことを見やっていた。
どことなく自分と似たタイプの男を目の前にして、おもしろくない気分なのかもしれない。エースらしからぬ苦虫を噛みつぶしたような表情になっている。
同族嫌悪というやつだろうか。
忘れるはずもない。
15年前のカレリアで、名物だった男。
さまざまな人間が色とりどりの事情から集まってくる辺境警備隊の隊員の中でも、一風変わった経歴の持ち主だった。
ハルモニアの一等市民の貴族が、落ちぶれてこの砦に流れつくことは珍しくない。
だが、たいていの場合は、彼らはこの砦の荒くれた猛者達と肩を並べられるわけもなく、下働きの下男となるか、良くて会計係に抜擢されるかのどちらかだった。
そんな中で、典型的な一等市民の容姿を持ちながらも、抜きん出た才能を持ち合わせた男。
剣技にしろ格闘技にしろ、ひとつひとつを取ってみれば大した腕前ではないのに、なぜか実践となるとこの男の右に出る者はいなかった。
調査員というのも、彼に向いた仕事だったのだろう。
各地に赴きスパイ活動をする―――頭の回転と口のうまさ、身のこなしの軽さが必要とされる仕事だ。
自分とて戦闘という一点に置いては誰にも引けをとるつもりはなかったが、こうした仕事の実績で言えばあの男には到底かなわなかった。
―――まあ、上の連中もそのあたりはわかっていたのか、自分は諜報活動よりも、正面からの戦闘に借り出されることが多かったが。
それはさておき、このように何かと目立つ存在であった上に、自分にはこの男に個人的な貸しもあった。
だから、声をかけてみたのだ。
15年の歳月を経てもなお、忘れることのなかったこの男に。
「ナッシュ」
酒場でグラスを片手に誰かれなく声をかけては歓談を楽しんでいるナッシュに、ジョーカーは会話の間隙を縫うように声をかけた。
こちらには背を向ける形で、丸テーブルに軽く腰掛け向かいの相手と他愛無い世間話に興じていたナッシュが振り返る。
一呼吸の間を置いて、その顔に笑みがのぼった。
「やあ、ジョーカー。久しぶりだな」
何食わぬ顔をして、そんなことを言ってくる。
まったく油断も隙もありはしない。
いつのまに自分の名前が、“ワン”から“ジョーカー”に変わったことを知ったのか。
少なくともこれまでに、相手が自分の正体に気づいたような素振りは見えなかった。
だとすれば知らぬ顔をして、すでにこちらのことなどしっかり調査済みなのだろう。
どうやら諜報員としての腕は、少しも鈍ってはいないらしい。
「おう。15年振りだな」
ジョーカーも腹の中で思ったことをおくびにも出さずに言い返せば、ナッシュの口の端がわずかに引き上がった。
とりあえず、第一ラウンドは引き分けというところか。
「みなさんもお揃いのようで…っと、子供がこんな場所に来るには、少し遅い時間じゃないか?」
ジョーカーと同じテーブル席に陣取っている第12小隊のメンバーを見渡して、ナッシュが少し小首を傾げる。最後のセリフは、アイラに向かって言われたものだ。
「バカにするな! カラヤの戦士は12の歳を過ぎれば、すでに立派な大人の一員だ!!」
ムキになって言い返すアイラに、ナッシュはおもしろそうに笑った。
「へぇ。たいしたもんだな。俺は12の頃と言ったら、まだおんぶに抱っこの子供だったけどな」
ふん、当たり前だ。おまえたちのような軟弱者と一緒にするなと、プイと横を向いてしまったアイラを見て、ナッシュはにやにやと笑っている。
―――子供をからかって遊ぶなと言ってやりたい。
「それより、おまえさんとこんなところで会えるとは思ってなかったわい」
相手の気を引くつもりで話題を変えれば、ナッシュも乗ってきた。
「それは俺のほうもだよ。まさか、あんたとこんなところで会えるなんてな。いや~、偶然ってあるもんだな」
嘘をつけと心の中で毒づきながら、ジョーカーはしれっと答える。
「あまり嬉しくない縁だがの」
お互いに含みを込めた言葉の応酬に、ナッシュがおもしろそうに目元を細めた。
こういうやり取りを楽しめるようになっているのだから、彼の性格は昔よりもさらに捻り曲がってしまったのだろう。
ジョーカーにしても20年以上もカレリアの辺境警備隊に所属していれば、それなりの心理的な駆け引きは心得ている。だが、相手のうさん臭さに比べれば、自分はまだかわいいものだと思えた。
ナッシュがカレリアを脱走してから、再会を果たすまでのこの15年間。
彼がどこで何をしていたのかは知らないが、どうやら穏やかとは無縁の日々を送ってきたようだ。
『帰る場所があるうちは、帰ったほうがいい』
自分は昔、彼にそのようなことを言ったはずだが、彼は聞き入れなかったということか。
深く言及するつもりはないが、戻れる場所を自分から放棄したのならば馬鹿なことをしたものだと思う。
帰る場所はなくしてからでは、もう遅いというのに―――。
「ジョーカー。あんたの知り合いなのかい?」
それまで黙ってナッシュとのやり取りを見守っていたクイーンが、ふたりの会話が途切れたところで口を挟んできた。
ジョーカーは彼女に向かって、小さくうなずいてみせる。
「ああ。まあ、腐れ縁みたいなものだな。なんと言っても15年振りの再会だからの」
そのあまりにも長い年月に、クイーンが軽く目を見張った。
「15年って・・・またずいぶんと遠い昔だねぇ」
「お嬢さんにとっては一昔前のような気分かな」
軽口をたたくナッシュに、クイーンが唇を歪める。
「そうだね。私なんかまだまだお子様だったよ…。ああ、でもカラヤ風に言えば、もう十分に大人の範囲だけどね」
余裕の笑みを崩さないクイーンに、ナッシュが楽しそうにいくつかの質問をし始めた。
手応えのある相手との言葉の駆け引きを楽しんでいるようだ。
隣に座るゲドは、クイーンがナッシュに絡まれてもまるで気に留めた様子もなく、黙々と酒を口に運んでいる。
ジャックは相変わらず無口だし、エースは何やらうろんな目でナッシュのことを見やっていた。
どことなく自分と似たタイプの男を目の前にして、おもしろくない気分なのかもしれない。エースらしからぬ苦虫を噛みつぶしたような表情になっている。
同族嫌悪というやつだろうか。