酒宴
「おい、あんた。クイーンはそう見えても、もうとっくに三十路を越えた年増だぞ」
憮然とした様子で会話に割り込んだエースに、クイーンの拳が飛んだ。
「誰が年増だって？ それに私は“とっくに”じゃなくて“まだ”30を越えたばかりだよ！」
怒りの鉄拳を脳天にくらって、エースが頭を抱えてしゃがみ込む。
「おい、あんた。大丈夫か？」
わざとらしく心配そうな声を出したナッシュを、エースは手を振って追いやった。
「アイテテテ。誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるんだよ。だいたい俺様はなぁ、あんたみたいなうさん臭い野郎は、信用しないことにしてるんだ」
片手で頭を抑えつつも、エースが非難がましい目を向ける。
ナッシュは困ったというように肩をすくめてみせた。
「だいたい、このおっさんの知り合いってことからして気に食わねぇ。いったいどこの知り合いだってんだ」
普段なら隊内で一番人当たりの良いはずのエースが、やけに食ってかかる。
ジョーカーは仕方なしに仲裁に入った。
「ナッシュは15年前、わしらと同じく辺境警備隊に所属しておったのだ」
その言葉に、クイーンのほうが興味を持ったように声をかけてくる。
「へぇ。じゃあ、あたしらと同属ってことじゃないか」
元は同じ職場で働いていたということが、親近感をわかせたのだろう。クイーンの態度が一気に和らいだものへと変化したのとは逆に、エースはますます訝しむような顔つきになった。
「じゃあ、余計に信用ならねぇじゃないか。あそこに集まってくるのは、ひと癖もふた癖もある連中ばかりだからな」
もっともなエースの言い分に、これにはジョーカーもうなずくしかない。
確かにナッシュを簡単に信用するわけにはいかなかった。いくらこちらには貸しがあると言っても、それはもう15年も前の話のことだ。向こうが覚えているとは限らないし、たとえ覚えていたとしても返してもらえるとは限らない。借りを返す気があるかどうかは、ナッシュ次第なのだ。
そして今の彼を見る限り、あまり期待しないほうがいい。確信はないが、恐らく彼はハルモニアの特殊工作員だ。
長年ハルモニアの辺境警備隊の隊員として行動し、“ナッシュ・ラトキエ”がどういった人物かを多少なりとも知っている自分だからこそわかる。
ハルモニアと敵対しているこのビュッデヒュッケ城に彼が送り込まれてきたのは、こちらの現状を探って本国に報告するためだろう。
確かにハルモニアにとって、これほど都合の良い人材はいない。いざとなれば本国は簡単に彼を切り捨てることができるが、彼にはハルモニアを裏切ることはできないのだ。
「だいたい15年も前に警備隊にいたってのが、すでに嘘臭いんだ。あんた、いったい歳いくつだよ？」
憮然とした表情のままエースが尋ねる。
「・・・言っておくが、おぬしより年上だぞ？」
ジョーカーが口を挟むと、エースはポカンと口を開けた。
まじまじとナッシュの顔を見つめたあと、ボソリとつぶやく。
「マジかよ・・・若作りか、こいつ・・・・・・」
なぜか深いため息と共に吐き出された言葉に、ナッシュがさも傷ついたと言わんばかりの口調で嘆いた。
「ひどいな。歳を間違えられるのはいつものことだが、それは俺のせいじゃないだろう？」
そういうおどけた態度が相手の怒りを買っているということに、なぜ気がつかないのだろう？
いや、わかっていてわざとやっているのか。
案の定、またエースがムッとした顔に戻った。
「悪かったよ。俺より年上には見えなかったもんでね」
まるでふて腐れた子供のように明後日のほうを向いてしまった相手に、ナッシュが気づかれないほどの忍び笑いをもらす。
エースには悪いが、こういった化かし合いに関しては、相手のほうが一枚上手だったと言わざるを得ないだろう。
役者が違いすぎる。彼を相手に本気になった時点で、すでにこちらの負けなのだ。
「まあ、年上と言っても、あんたと大して年齢は変わらないと思うが？」
最後になんの慰めにもならない言葉をナッシュはエースに投げかけておき、それでその会話は切り上げた。再びクイーンと向かい合って何やらささやき交わしながら、たまにアイラにちょっかいをかけては怒らせて楽しんでいる。
ジョーカーは呆れた気持ちでそんな様子を眺めていたが、やがて夜も深まりアイラがテーブルで船をこぎ始めると、それを合図にしたようにナッシュが腰を上げた。
「ジョーカー。邪魔したな」
自分のグラスを持って立ち去る気配を見せた男に、ジョーカーは苦笑で答える。
「いや、わしのほうから声をかけたのだからな」
笑ってそう言うと、なぜかナッシュは戸惑った様子を見せた。
この男にしては珍しく、逡巡するような間が空く。
ジョーカーが訝しく思って見やると、その視線に気づいたナッシュが困ったような笑顔になった。
「いや…、そう言えば、なんで声をかけてきたのかと思ってさ」
どこか歯切れの悪い相手の物言いに、ジョーカーは目をすがめる。
「改めて聞かれると困るが…まあ、単純におまえさんを見かけて、懐かしく思ったからかの」
それでも本当に懐かしいだけならば、声をかけたりはしなかった。
お互いに過去のことは切り捨てて生きているのだから、たとえ昔馴染みの顔を見つけても知らぬ顔で済ますのが定石だ。
それにも関わらず、自分は彼を呼び止めた。
それはきっと気になることがあったからだろう。
相手がハルモニアの特殊工作員ではないかと疑ったのも理由のひとつ。
だが、それよりも、一番大きな理由は―――。
「おぬしは帰るべき場所に戻れたのか？」
ただ、それが気になったのだ。
昔、行き場所を失くして途方に暮れていたあの若者が、単なるお節介で口出しした男の言うことを聞いたのかどうか。己の帰りを待ってくれている相手の元へとちゃんと戻れたのかどうか―――それが無性に気になった。