M.I.S
M.I.S
会議が終わった瞬間から、その任務は始まる。
遂行に問題ないことをちらりとアイコンタクトしあい、アメリカは席を立った。まだ大勢人の残る本会議場を素早く抜けていく。
滑り込むように控え室に戻ると、留守番の局員たちが忙しそうに、会議の結果をホワイトハウスへ送る準備をしていた。局員たちとお疲れ様を言い合い、いつものフライトジャケットを脱ぎながら、奥の部屋へ進む。そこは簡素な仮眠室になっているが、本来の用途で使われることは、最近は殆どなくなった。今回も、アメリカの他に使っているものはいないようで、アメリカの持ち込んだナップザックとブリーフケースが机の上に無造作に置かれたままになっている。
脱ぎ捨てたフライトジャケットを丸めて、ナップザックに詰めた。下には、予めダークグレーのスーツを着込んでいる。次にブリーフケースから眼鏡ケースを取り出すと、テキサスを外して収納する。続いて地味な色合いのネクタイを堅く締め、更にワックスとコームを手に取り、壁の鏡で様子を見ながら髪型を7:3のオールバックに仕立てあげた。つんと無愛想な顔を作って鏡の中を覗き込めば、そこにはお堅そうなビジネスマンが一人、映り込んでいる。その出来に満足して、アメリカはにやりと笑った。
仮眠室からそっと抜け出すと、控え室の奥の非常口から非常階段に出て、一気に駆け降りる。時折他国の局員とすれ違ったが、こちら側を利用する国家は流石にいない。誰にも正体を気づかれることなく、アメリカはホテルの会議棟を抜け出すことに成功した。
他国の局員に混じって、会議棟の裏からホテルの正面に回り、堂々とロビーを通り抜けていく。周りの気を引かぬよう、まっすぐ前だけを見て、きょろきょろしない。小股で足早に玄関を出ると、即座にタクシーに乗り込み、アメリカは意気揚々と行き先を告げた。
ビジネス街を抜け、旧市街の有名な教会の前でタクシーを降りる。広場の一隅のベンチに腰掛けると、ブリーフケースに仕舞ってあった経済新聞を取り出し、顔の前に広げた。
天気は快晴で、教会の前の広場は観光客が大勢そぞろ歩いている。ちら、ちらと新聞から目を離しては辺りの様子を伺いながら、アメリカは逸る胸を抑えた。
15分もした頃、他にも空いているベンチがあるのにも関わらず、失礼、と声をかけて隣に座る男が現れた。ちらりと横目で男の様子を伺う。男は上背のある身体を若干猫背気味にして、キリル文字の新聞を膝に置いた。前髪をど真ん中で分けてサイドに流し、薄青く色の付いたサングラスをかけている。スーツの色は上品なブルーグレイで、真珠色の絹のスカーフを優雅に首元にあしらっていた。マフラーの代わり、と言うことらしい。どこぞのマフィアの御曹司、と言った態だ。
「その格好、どこの二代目だよ。ビジネスマンには見えないんだぞ」
「君こそ、ビジネスマンと言うより小役人じみてるよ」
あくまで顔を見合わせず会話を交わす。互いに辺りの様子に気を使いながら、アメリカはゆっくりと新聞を折り畳み、ブリーフケースのポケットに差し入れた。
「遅かったじゃないか」
「ベラを撒くのに手間取ってね」
隣の男――ロシアは、膝に置いていた新聞を側のゴミ箱にぽいと放り込んだ。
「なるほどね。そりゃご苦労様。――行くかい」
「行こうか」
突然立ち上がった、白昼の観光地には明らかにそぐわないスーツ姿の大男二人に、辺りの観光客たちは一瞬マフィアでも現れたのかと、ぎくりと足を止める。だが二人は、周囲の様子にはまるで気づかず、足並みを揃えてずかずかと歩き出した。自分たちの姿は、地味なビジネスマン姿であると、それぞれ信じ込んだまま。
旧市街の名跡から、昔ながらの商業地帯に入ると、とある角で二人は足を止めた。
「あそこだ。俺が先に入るから」
「うん。僕は周りの様子を見てるね」
二人はそれぞれ小さなイヤホンを片耳にはめて、襟章型のマイクを身につけた。
「それじゃ、作戦開始だ!」
「声が大きい」
人待ち顔で角に佇むロシアを残して、アメリカはずんずんと1軒の店を目指して歩く。
「状況はどうだい」
『クリア。知った顔はないね』
独り言レベルの声も、襟章はきちんと拾ってくれた。耳の奥に直接届くロシアの声に頷いて、アメリカは店の前に立った。
他の買い物客の、奇異の目など気にも留めず店に入ると、色とりどりのショーケースにアメリカは目を輝かせた。そこにあるのは、アメリカとロシアのささやかな夢の一つである。ざっと見渡し、アメリカはショーケースの向こうの店員に声をかけた。
「すまないが端から全部、二つずつ包んでくれないかい」
「は――? はいッ」
店員はイレギュラーな事態に目を白黒させた。お構いなしに、アメリカは用意していた名刺を取り出し、店員に手渡す。
「領収書の宛名はこの通りで」
名刺には「調査・分析・出版 エムアイエス株式会社」と、小洒落た字体で記されている。
「は、はい、あの、ちょっと時間がかかりますけど」
「構わないんだぞ」
突然のことに混乱する店員を、アメリカは笑顔で押し切った。
10分後。その店からさほど遠くない、緑地公園の人気のない隅の方で、二人は買ったばかりの包みを広げていた。
大小、色とりどり、ずらり並んだそれは、チョコレート菓子である。
「凄いね、まるで宝石みたい」
弾んだ声で、ロシアが覗き込んだ。
「ほらほら、ぐずぐずしてられないぞ。次は隣のブロックのカフェだ」
中身の検分を終え、包み紙を元に戻そうと四苦八苦しながら、アメリカはロシアを促した。
「不器用だね。貸してごらんよ」
横合いからロシアが包みを奪い取り、丁寧に包み直していく。
「ホットチョコレートが美味しいらしいんだぞ」
「楽しみだね。僕ケーキも食べたいな」
うきうきと、包み上がった箱を紙袋に詰め直して、ロシアも立ち上がる。端から見れば、マフィアが怪しいブツの交換をしている現場に見えるが、幸いこの光景を目にしたものはいなかった。
街の中に小さなざわめきを生み出しながら、それには全く気づかず、二人は隣のブロックまでをのしのし歩いた。2軒目は、辺りでは名の通った由緒正しいカフェで、ここもまたチョコレート菓子が有名なところだ。
店の近くまできたところで二手に分かれ、東西の角から近辺の様子を伺う。
「ウェストサイド、状況クリア、どうぞ」
『オストーク、状況クリア、どうぞ』
「よし、じゃあカウントを始める。5、4、3、2、1、GOだ!」
『はい、はい』
西と東から、偶然知り合いに出会ったように見せかけて(傍から見ればわざとらしいことこの上なかったが、勿論本人達は気づいていない)、アメリカはロシアと共に店の中へ足を踏み入れた。壁に赤いビロードの張り巡らされた重厚な内装に、思わず城かいここは、と呟く。
ショーケースには繊細な細工の施されたケーキ類が、何十種類も並べられていた。
「うわあ、美味しそう」
早速ロシアがショーケースの前に陣取っている。
「ええと、これと、これ、それからこっちのと、あとホットチョコレートお願いします」
次々とショーケースの中を指さしていく。
「あ、ずるいぞ」
会議が終わった瞬間から、その任務は始まる。
遂行に問題ないことをちらりとアイコンタクトしあい、アメリカは席を立った。まだ大勢人の残る本会議場を素早く抜けていく。
滑り込むように控え室に戻ると、留守番の局員たちが忙しそうに、会議の結果をホワイトハウスへ送る準備をしていた。局員たちとお疲れ様を言い合い、いつものフライトジャケットを脱ぎながら、奥の部屋へ進む。そこは簡素な仮眠室になっているが、本来の用途で使われることは、最近は殆どなくなった。今回も、アメリカの他に使っているものはいないようで、アメリカの持ち込んだナップザックとブリーフケースが机の上に無造作に置かれたままになっている。
脱ぎ捨てたフライトジャケットを丸めて、ナップザックに詰めた。下には、予めダークグレーのスーツを着込んでいる。次にブリーフケースから眼鏡ケースを取り出すと、テキサスを外して収納する。続いて地味な色合いのネクタイを堅く締め、更にワックスとコームを手に取り、壁の鏡で様子を見ながら髪型を7:3のオールバックに仕立てあげた。つんと無愛想な顔を作って鏡の中を覗き込めば、そこにはお堅そうなビジネスマンが一人、映り込んでいる。その出来に満足して、アメリカはにやりと笑った。
仮眠室からそっと抜け出すと、控え室の奥の非常口から非常階段に出て、一気に駆け降りる。時折他国の局員とすれ違ったが、こちら側を利用する国家は流石にいない。誰にも正体を気づかれることなく、アメリカはホテルの会議棟を抜け出すことに成功した。
他国の局員に混じって、会議棟の裏からホテルの正面に回り、堂々とロビーを通り抜けていく。周りの気を引かぬよう、まっすぐ前だけを見て、きょろきょろしない。小股で足早に玄関を出ると、即座にタクシーに乗り込み、アメリカは意気揚々と行き先を告げた。
ビジネス街を抜け、旧市街の有名な教会の前でタクシーを降りる。広場の一隅のベンチに腰掛けると、ブリーフケースに仕舞ってあった経済新聞を取り出し、顔の前に広げた。
天気は快晴で、教会の前の広場は観光客が大勢そぞろ歩いている。ちら、ちらと新聞から目を離しては辺りの様子を伺いながら、アメリカは逸る胸を抑えた。
15分もした頃、他にも空いているベンチがあるのにも関わらず、失礼、と声をかけて隣に座る男が現れた。ちらりと横目で男の様子を伺う。男は上背のある身体を若干猫背気味にして、キリル文字の新聞を膝に置いた。前髪をど真ん中で分けてサイドに流し、薄青く色の付いたサングラスをかけている。スーツの色は上品なブルーグレイで、真珠色の絹のスカーフを優雅に首元にあしらっていた。マフラーの代わり、と言うことらしい。どこぞのマフィアの御曹司、と言った態だ。
「その格好、どこの二代目だよ。ビジネスマンには見えないんだぞ」
「君こそ、ビジネスマンと言うより小役人じみてるよ」
あくまで顔を見合わせず会話を交わす。互いに辺りの様子に気を使いながら、アメリカはゆっくりと新聞を折り畳み、ブリーフケースのポケットに差し入れた。
「遅かったじゃないか」
「ベラを撒くのに手間取ってね」
隣の男――ロシアは、膝に置いていた新聞を側のゴミ箱にぽいと放り込んだ。
「なるほどね。そりゃご苦労様。――行くかい」
「行こうか」
突然立ち上がった、白昼の観光地には明らかにそぐわないスーツ姿の大男二人に、辺りの観光客たちは一瞬マフィアでも現れたのかと、ぎくりと足を止める。だが二人は、周囲の様子にはまるで気づかず、足並みを揃えてずかずかと歩き出した。自分たちの姿は、地味なビジネスマン姿であると、それぞれ信じ込んだまま。
旧市街の名跡から、昔ながらの商業地帯に入ると、とある角で二人は足を止めた。
「あそこだ。俺が先に入るから」
「うん。僕は周りの様子を見てるね」
二人はそれぞれ小さなイヤホンを片耳にはめて、襟章型のマイクを身につけた。
「それじゃ、作戦開始だ!」
「声が大きい」
人待ち顔で角に佇むロシアを残して、アメリカはずんずんと1軒の店を目指して歩く。
「状況はどうだい」
『クリア。知った顔はないね』
独り言レベルの声も、襟章はきちんと拾ってくれた。耳の奥に直接届くロシアの声に頷いて、アメリカは店の前に立った。
他の買い物客の、奇異の目など気にも留めず店に入ると、色とりどりのショーケースにアメリカは目を輝かせた。そこにあるのは、アメリカとロシアのささやかな夢の一つである。ざっと見渡し、アメリカはショーケースの向こうの店員に声をかけた。
「すまないが端から全部、二つずつ包んでくれないかい」
「は――? はいッ」
店員はイレギュラーな事態に目を白黒させた。お構いなしに、アメリカは用意していた名刺を取り出し、店員に手渡す。
「領収書の宛名はこの通りで」
名刺には「調査・分析・出版 エムアイエス株式会社」と、小洒落た字体で記されている。
「は、はい、あの、ちょっと時間がかかりますけど」
「構わないんだぞ」
突然のことに混乱する店員を、アメリカは笑顔で押し切った。
10分後。その店からさほど遠くない、緑地公園の人気のない隅の方で、二人は買ったばかりの包みを広げていた。
大小、色とりどり、ずらり並んだそれは、チョコレート菓子である。
「凄いね、まるで宝石みたい」
弾んだ声で、ロシアが覗き込んだ。
「ほらほら、ぐずぐずしてられないぞ。次は隣のブロックのカフェだ」
中身の検分を終え、包み紙を元に戻そうと四苦八苦しながら、アメリカはロシアを促した。
「不器用だね。貸してごらんよ」
横合いからロシアが包みを奪い取り、丁寧に包み直していく。
「ホットチョコレートが美味しいらしいんだぞ」
「楽しみだね。僕ケーキも食べたいな」
うきうきと、包み上がった箱を紙袋に詰め直して、ロシアも立ち上がる。端から見れば、マフィアが怪しいブツの交換をしている現場に見えるが、幸いこの光景を目にしたものはいなかった。
街の中に小さなざわめきを生み出しながら、それには全く気づかず、二人は隣のブロックまでをのしのし歩いた。2軒目は、辺りでは名の通った由緒正しいカフェで、ここもまたチョコレート菓子が有名なところだ。
店の近くまできたところで二手に分かれ、東西の角から近辺の様子を伺う。
「ウェストサイド、状況クリア、どうぞ」
『オストーク、状況クリア、どうぞ』
「よし、じゃあカウントを始める。5、4、3、2、1、GOだ!」
『はい、はい』
西と東から、偶然知り合いに出会ったように見せかけて(傍から見ればわざとらしいことこの上なかったが、勿論本人達は気づいていない)、アメリカはロシアと共に店の中へ足を踏み入れた。壁に赤いビロードの張り巡らされた重厚な内装に、思わず城かいここは、と呟く。
ショーケースには繊細な細工の施されたケーキ類が、何十種類も並べられていた。
「うわあ、美味しそう」
早速ロシアがショーケースの前に陣取っている。
「ええと、これと、これ、それからこっちのと、あとホットチョコレートお願いします」
次々とショーケースの中を指さしていく。
「あ、ずるいぞ」