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月明星輝

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己とは一体『何』なのだろうかと考えることがある。
生まれ育った地の夜をひとり眺めることはだから好きで、だから嫌いだ。


「あのバカ共は、ようやく寝静まったのか」
「ええ」

控えめなノックの主は考えずとも知れた。入れ、と口にする代わりにそう言うと、広い部屋に音もなく滑り込んでくる気配がひとつある。どれだけ泥酔していようが凍死も急性アルコール中毒も関係のない己達のこと、絡まれるばかりと分かっていて良くも酔っ払い連中の介抱などする気になるものだ。

「大変でした。……知っていて、黙っていらっしゃいましたね?」
「何の話か分からんのである」
「イギリスさんの酒癖のことは、せめて一言ご忠告いただきたかったところです」
「言ったところで信じまい。百聞は一見にしかずである」

ひんやりと心地良い風が流れ込む窓のすぐ横に陣取って外の景色を眺めたまま、スイスは大きめのマグカップを傾ける。
ミルクを多めに使ったカフェオレは、砂糖の甘さには欠けたけれど柔らかな味がした。
膝に懐いて眠るリヒテンシュタインの温もりを撫でてやりながらスイスは思う。
許される距離を推し量りながら静かに歩み寄るこの男は、まるでひとの形をした猫のようだ。

「それで」
「それで、とは?」
「持って回った言い方は好かん。我輩に用があるから来たのではないのか」
「……そう、ですね」

ナイフの間合いからぎりぎり外れる位置に停止する足音、小さく首を傾げる気配。

「お礼を、申し上げに参りました」
「礼?」
「はい」

振り向けば、着物とか言う独特の服を纏った小柄なひとの姿があった。
スイスの目にはバスローブの変種にしか見えないが、他国の文化にけちをつけるほど愚かでもない。
柔らかそうな布の弛みを観察するまでもなく彼が丸腰であることは明らかで、けれど、ああ、この夜に似た髪と目の色をしているせいだろうか。
仄かに微笑う日本の表情は、彼が頼みとする同盟国たちに囲まれていたときよりも、随分と……。

「良い時間を、過ごさせていただきました」

こんな風に楽しかったことは随分久しぶりです。と。
そう言ってまた、笑う。
澄んだ初秋の風が窓から流れ込んでスイスの、それから日本の髪を少しだけ揺らした。

「貴様らが」

日本が浮かべる表情は、どうと言うことのないただの笑みだ。
控えめで、笑っているのに何故か申し訳なさそうに見える奇妙な形をしていたけれど、そこに敵意や悪意の影はない。
スイスらしからぬ不用意な発言を、してしまったのはだからかもしれない。
冬には遠く、夏からは離れて漣のような風が。柔らかな秋風によく似た男がそこで静かに佇んでいたから。
肩を竦めてこう言った。口調には、多分に投げやりな呆れが滲んでいたことだろうと思う。

「否、我々が、もうほんの少しでもかしこかったなら、こうはならずに済んだのだがな」
「かしこさ?」

スイスはそのとき、全く迂闊なことにすっかり忘れてしまっていたのだ。
この季節に吹く風は柔らかく穏やかで、けれど時折ひたりと首筋に冷たい刃をあてるということ。
時としてその温度は、人一人を冷たい眠りに誘うのに十分事足りるのだということを。

「いいえ」
「……日本?」

ちっぽけな極東の島国が漂わせる微笑に変わりはない。
けれど彫りの浅い、少年じみた顔立ちとそれに見合った姿形の中で、漆黒の目だけが何かどろりとした深さを増したようではあった。とりたて整っているわけでも醜いわけでもない没個性的な容貌が、そうするとまるで何か酷く別なモノのようになる。

「いいえ、少なくとも私は知っていました。
 二百年の安息を抉じ開けて、無作法な手が私に伸ばされたときから。世界がこんなにも広いのだと思い知らされたときから、中国さんやロシアさんと剣を交えたときからずっと」
「……にほ」
「百聞は一見にしかず。けだし名言です。自分の国が、いずれ己のもとを訪う運命を予言したというのに私の上司たちは誰も本気にはしなかった。国が開かれるということの本当の意味を分かろうとしなかった。
 ……私は、少なくとも、知っていたのです」

日本の言葉はどこまでも静かだった。無意識に少しだけ、身体が緊張するのがスイスには分かる。
薄い唇の両端を持ち上げたまま、日本は相変わらず笑っていた。
猫。この男が、猫のようだと己は先刻そう思ったか?

否。
これは、獣だ。

虎か獅子かは知らないが、何かとんでもなく物騒な、ただ一匹の獣が猫の皮を被っているのだ。
小さな体躯と曖昧な笑みはただの鞘だ。その中にはあの、細く月の形をした刃が収まっている。

正直なところを言えば、心中は穏やかではなかった。スイスの招きに応じて今日この日にやって来た以上、事を荒立てるつもりなどないのだろうと分かってはいても……この男はつい三年前、己の『兄』に牙を剥いたばかりなのだ、その事実を今更ながらに思い出す。

散々飲み食いして潰れた『兄』を、かつて友と呼んだ男を、一体どんな顔で介抱してきたのか。
考えるまでもない。そ知らぬふりで、今目の前にあるのと同じ、少しだけ困ったような微笑を浮かべて懇切丁寧に寝かしつけてやってきたのに違いなかった。

――――理解に苦しむ。
理解できないということはつまり、おそろしいということだ。
子供らしく体温の高いリヒテンシュタインの、柔らかな金色をした髪。
起こさないように気を遣いながらそれを梳いた。宥めているのではなく、その存在に宥められている。
作品名:月明星輝 作家名:蓑虫