ちいさなせかい
正直なところ、その登場の衝撃が抜けきらなくて、その後の中身なんてほとんど頭に入らなかった。
どうやらシン以外も、男子が女性の役を、女子が男性の役をしているようで、つまりそういう企画なのだろう。
なるほどこれならシンが教えてくれなかったというのもわかる。
しかし、舞台上を動き回る姿は全くの初心者の割には上手いんじゃないかとさえ思わせた。
こういった舞台でありがちな、声が小さくて聞き取れないなんてこともないし、動きも堂々としている。
照明も激しい動きによく追いついている。練習の賜物だろう。
客席とステージ上の距離なんて、たかが知れている。
それなのに、どうしてだろうか。すぐそこにあるはずの舞台をひどく遠く感じてしまう。
舞台上の姿だけを観れば、確かに可愛らしい女子に見えなくもない。そこにいるのは確かにシンだけれど、「シン」ではない。
自分が知っているシンには二度と触れることが出来ないような、そんな錯覚にとらわれているうちに、物語はクライマックスへと向かって盛り上がりを見せていく。
『やっぱりわたしには、こんな世界に意味なんて見出せないわ』
『そんな……』
『それでも、貴方にとっては大切なものなのね。それはよく分かったわ』
『そうですか。ならば』
『そうね。もうこんな馬鹿げた事はやめましょう。価値なんて人それぞれ、そういう事でしょう?』
穏やかな曲が流れ、照明が落とされる。
客席からぱらぱらと拍手が起き、全体の照明が再び灯される。
思えばあっという間の30分だった。
次のクラスの準備もあるだろうから、今裏は大変なことになっているだろう。
本当は今直ぐ会いに行きたいのだけれど、ほんの少し、我慢しよう。
「あんたホントに観に来てたでしょ!」
会って一番がそれか。というか気づいていたのか。
「30分ほとんど出ずっぱりだったから客席も見れたし、クラスの奴がいってました」
「なるほどな。でも凄く良かったぞ? あんなに上手いなんて思わなかった」
「女装でやらされた役ほめられても、あんま嬉しくないです……」
そう言って頬を膨らせるシンは、いつものシンだ。
普段一緒にいる、普段、自分の手が届く、シンだ。
当たり前の事実に妙に安心するのはどうしてだろうか。
「かわいいお姫様だったじゃないか」
「今はもうお姫様じゃないですから!!」
「ああ……そう、だな」
「……どうしたんですか?」
下から覗き込むようにして、視線をあわせてくる。
確かに、この「シン」は「お姫様」じゃない。
「何? 改めて見た素の俺がカッコよかった、とか?」
「まあ、そんなところだな」
何だか悔しいと思わなくもないが、変な意地を張るのも悔しくて、少し正直になってみる。
一瞬驚いた顔をしてみせたシンが、ニッと笑って腕を掴む。
「シン?」
「すいません、今すっげキスしたい」
耳元にポツリと寄せられた囁き。
「な……っ! 何をいってるんだこの馬鹿!」
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。別にキス自体が嫌なわけではない、が、場所が場所だけにこうなってしまう。
「さすがにここじゃヤバいから、トイレ行きましょ。これだけ騒がしいし、俺ら二人くらいいなくてもバレませんって。ね?」
じいっと熱を孕んだ赤い瞳に見つめられて、その熱に灼かれてしまう。
ああもう。さっきまでは可愛いお姫様だったくせに、今やすっかりオオカミじゃないか。
ぐいぐい引っ張っていく手も、傍から見れば違う意味に見えるだろうか。
それならいっそ、この熱に流されてみるのもいいかも知れない。流されて、どこまでいってしまうかは分からないけれど。
押し込まれた個室で押し付けられた熱。
「ん……シ、ン……」
「はっ……何……?」
「シンは、シンだよな?」
尋ねた言葉の意図は伝わったのだろうか。
「うん、俺は俺ですよ。アンタが知ってる、俺が俺です」
「そうか……」
ぎゅうっと抱きしめられる体温が心地いい。暑さは相変わらずだけど、この熱さは好きだ。
髪から、首筋から、汗の匂いと体臭が混じった匂いがして、再び絡められる舌と相まって少しずつ理性を剥いでいく。
今自分たちがどこにいるのか、周囲がどういう状況なのか、そんなことがひどく小さなことに思えてしまう。
『価値なんて人それぞれ』
「彼女」はそういった。ならば今はただ、手の届く小さな世界だけを感じていようか。