fuer Kinder. 002
「ヴェストヴェストヴェーーーーストーーーー!!!」
玄関から響いてくる声によって心地よいまどろみを台無しにされた俺は,長々と寝そべる陽だまりからため息を吐きつつ顔を上げてドアの方を見た。
迎えに行くべきか。
否,行ったらその場で豪い目に遭わされることは経験上嫌というほどわかっている。
そのまま待つこと数秒。
バン!とけたたましい音を立ててドアが開き,くしゃくしゃに歪められた顔の中,そこだけ鮮やかな光を放つ真紅の瞳がまっすぐに俺を射抜いた。
「なんだよ居るんじゃねーか!俺の声が聞こえなかったとは云わせねーぞ!何で迎えに来ねーんだよ馬鹿ヴェスト!」
ドアと壁と云う遮蔽物がなくなったせいで,更に煩さを増した声に,俺は小さく肩を竦める。
が,それでも渋々立ち上がると,開いたドアを押さえたまま立ち尽くす兄の元へ向かった。
「ヴェストぉ…」
ああもうそんな情けない声を出すな。
今度は一体何があったというんだ。
俯く顔の真下から目の奥を覗き込むようにして尋ねれば,兄は膝から崩れ落ちるようにしてその場にしゃがみ込み,俺の首に腕を巻きつけぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「ヴェスト。ヴェスト…」
耳元で繰り返し名を呼ばれ,ぐすぐすと鼻を啜る音が合間に響く。
またフラレたのか?
大体兄さんにはデリカシーとか気遣いというものが足りないんだ。
女性を口説くなら,相応のシチュエーション作りとかそういうのが必要だろう。
……残念ながら経験上の意見ではなくつけっ放しにされていたテレビからの受け売りだったが,どっちにしろ兄にはそういったスキルは皆無らしい。
多いときで週に一度,間が空いても一ヶ月に一度程度こんな風に泣きついてくる。
俺は黙って肩を貸してやり,泣き言に耳を傾けてやる。
ついてこいと云われれば風呂場までもついていき(流石に一緒には入らない。ドアの前で出てくるのを待っててやるだけだ),普段は決して一緒に入ることのないベッドにも一緒に入ってやる。
一度ベッドに入ることを拒否したら,なんと兄は毛布と枕を抱えて俺の寝床までやってきた。
兄と呼んではいるが,貴方は仮にも「主人」だろう。
どこの世界に飼い犬の寝床で一緒に眠る人間がいる。
寝巻きの襟首を咥えて何とか寝室に戻るように促したが頑固極まりないこの兄は,結局明け方寒さに耐え切れなくなるまで俺の寝床に居座った。
作品名:fuer Kinder. 002 作家名:葎@ついったー