ひだまり2
そう言いたかったけれど、そこは飲み込んだ。
だって、マスターと俺を比べるなんて・・・。
「カイト君は、今でも十分、上手ですよ」
「えっ?そ、そんなことないです!まだ、何も教わってないし!」
「歌、好きでしょう?」
いきなり言われ、俺は驚いて、
「え?あの、マスター?」
「カイト君の声を、初めて聞いた時、思ったんですよ。ああ、この子は、本当に歌が好きなんだなあって。それは、とても大事なことです。本当に好きなことには、どんなことがあっても、必ず戻ってくるから」
マスターは、そう言って笑うと、
「私もね、何度も、歌をやめようと思いました」
「えっ!?そんな!!」
マスターが、歌をやめるだなんて。
そんなこと、考えられない。
こんなに、綺麗な声なのに。
「でもねえ、結局、戻ってきてしまうんです。どうしても、歌いたくなる。歌に関わっていたいと思う。その内、やめることをやめました」
「結局、好きなんですねえ」と、マスターは笑う。
「カイト君も、歌うことが好きでしょう?」
「・・・はい」
「好きなことは、続けられるし、上達も早いですから。心配しなくても、大丈夫ですよ」
「はい。あの・・・」
俺は、ちょっとためらってから、思い切って言った。
「俺も、いつか歌えるようになるでしょうか。・・・マスターみたいに」
「もちろんですよ」
マスターは振り向いて、にっこり笑うと、
「心配しなくても、私のことなんて、すぐに追い抜いてしまいますよ」
!?
ま、マスターを超えるなんて!そんなこと!!
ありえないけど・・・でも、あの
「マスター、あの・・・俺に、沢山、歌わせて下さいね」
「ええ、もちろんですよ」
いつか、マスターに追いつけるように。
頑張りますから。
湯船は、二人で浸かっても、まだ余裕があった。
さすがに、手足を伸ばすほどではないけれど、それでも、ゆったりと入れるのは、気持ちいい。
「カイト君は、この歌を知ってますか?」
「え?」
マスターが口ずさんだのは、俺の知らない歌。
もっとも、俺は、歌に関しての知識は、殆どない。
マスターの趣味嗜好に合わせる為、わざと、データをいれていないのだ。
・・・でも、知らないって言ったら、マスターは、がっかりするかな。
考えても分からないので、恐る恐る、本当のことを言った。
「あの・・・ごめんなさい。分かりません」
「いえ、謝ることはないですよ。知らなければ、教えますから」
マスターは、怒るどころか、丁寧に歌詞を教えてくれる。
歌の題は、「夏の思い出」と言うらしい。
マスターが何度か歌ってくれて、俺が歌ってみたのを、マスターが修正してくれた。
俺は、時々音を外したりしてしまったけれど、マスターは怒ったりせず、何度も教えてくれて。
最後は、二人で一緒に、歌うことができた。
「カイト君の声は、テノールですね」
風呂からあがって、着替えながら、マスターが言った。
テノールというのは、男声パートの一つだと、教えてくれる。
「練習すれば、もっと高い音も、綺麗に出せると思いますよ」
「え?あの、マスターは?」
マスターと同じパートだったらいいなと、思ったのだけれど。
「私は、バリトンですよ。カイト君より、低いパートです」
「そうなんですか・・・」
少しがっかりしたけれど、マスターが、
「今度、パート分けして、歌ってみましょうね。楽しいですよ」
「あ、はい!」
「パート分けして歌う」ことが、どんなことかは、よく分からないけれど。
マスターが「楽しい」と言ってくれるなら、違うパートで良かったのかもしれない。
夜、「何処でも、好きな部屋で寝て下さい」と、マスターが言ってくれたので、思い切って、マスターの部屋がいいと、言ってみた。
驚かれるかと思ったけれど、「カイト君が良ければ」と、マスターが笑ってくれて、ほっとする。
布団を並べ、おやすみなさいを言って、明かりを消すと、
「カイト君、子守唄を歌ってもいいですか?」
「え?あ、も、もちろんです!お願いします!」
「そうですか。良かった」
マスターは、「決して、子供扱いしているわけでは、ないんですが」と前置きしてから、ゆったりと歌い出した。
日本語じゃない。どこの国の歌だろう。
マスターに聞こうかと思ったけれど、歌の邪魔をしたくなかったので、明日にしようと思う。
・・・眠い・・・でも、マスターの歌を、聞いていたい・・・。
もっとずっと、聞いていたいのに。
とろとろと瞼が下がってきて、頭がぼんやりしてきた。
マスター、俺、もっともっと練習して、上手に歌えるよう、頑張りますから。
沢山、マスターの歌を、聞かせて下さい。
マスターのところに来れて、本当に、嬉しいです。
「おやすみ、カイト君」
マスターの優しい、囁くような声を、遠くに聞きながら、深い眠りに落ちていった。
終わり