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樹を降りる

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 なんだどうした、と。皆が首をかしげるのを確認し、おれはほんの少し上にあるウォリアーの顔を見上げた。
「ここで残念なお知らせがありマス」
 いいかなー、みんなー、と。わざとらしいまでの猫撫で声でおれはそう言った。その手の冗長さを好かないウォリアーの眉が寄る。
「一体なんだ」
 全員が助かったとはいえ、一刻も早く街へと戻らなくてはいけないんだぞ。おふざけのヒマなんかあると思っているのか、と。はいはい。パパの言いたいことはわかりまちゅよー。
「糸がありません!」
 誰かさん買い忘れてます! と。高らかにおれはそう宣言し、ウォリアーの肩を掴む手に力をいれた。ぽかん、と。面白いくらいに、皆の表情が虚をつかれたものになる。ああうん、ボクもさっきそういう気分だったよ!
 最初に我に返ったのはファランクスだった。
「何だと! おい、この前の買い物に行く前に、さんざ確かめただろうが!」
 普段の相性の悪さもあるのだろう。憤然とウォリアーの前に進み出、胸ぐらを掴む。
「何回目だよアンタ」
 肩を掴んだまま、低い声でおれが言う。ひくり、と、ウォリアーのほほがひきつった。普段は用心深いプロフェッショナルのクセに、どうしてこう時々すっぱぬけるみたいなどじっ子するかなこの男は危なっかしい。
「そうだ何回目だ! この前忘れてから三日とあけてないだろうが!」
「み、皆さん落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!」
「お、おまえらだっていただろうがあの時」
「財布握ってんのアンタだよにぃ。確認しようかっつったよぉ? おれ」
「ばーかっ!」
「もう一回母竜に頭殴られて来い! そしたら少しはものわすれもマシになるんじゃないのかこの犯罪者!」
「待て、その犯罪者というのは今は関係がないだろう!」
「子供をさらった挙句、危機にさらすとは何事だ!」
「勝手についてきたんだと何回言えばわかる!」
「貴様のような犯罪者面についてくる子供がどこにいるかぁっ!」
「だ、だから、落ち、落ち着いてください皆さん!」
 うんうん。今から徒歩だよぉ。歩くだけでも大変な距離だよねー、もう勘弁してってカンジ。心一つになっちゃうよねー……って、あれ? なんか、聞きなれない声が混じってたよーな気がするなぁ。まぁいいか。
 ファランクスにガンガン責められているウォリアーの姿に、いくらか溜飲をさげたところで、おれは小さく袖を引かれたことに気づいた。
「ん?」
 そちらを見ると、荷物にひきずられてるみたいなゾディアックがいた。子供は、よいしょと荷物袋を開くと、何本かの薬ビンをとりだしてみせる。ああ、うん。知ってるよん。ありがとさん。
 おれは、ネクタルの小ビンを持つゾディアックの頭をわしわしとなでると、皆の様子を確かめる。何やってるんだオマエはから始まったあと、いろいろ転がってナイフフォークの使い方にまで発展していたファランクスの怒鳴り声はいつのまにかやんでいた。現在は、どこか腰が引けてるウォリアーをきつい目で睨みつけているのみだ。そんな二人を、プリンスがおろおろと見守っていた。
 再度おれは皆の注目を引いた。
「ま、用心しぃしぃ帰ろうや。魔物を見かけたら即座に逃げる勢いで」
 顔の高さでネクタルの小ビンをふりながら、おれはそう言ってウインクをする。
「……異存はない」
 一拍おいたウォリアーの返答と無言のファランクスの肯定に、プリンスがほっとした表情で肩の力を抜いた。



 地図を広げ帰り道を確認する。来た道こそかなりのものだったが、実のところ、別フロアへ至る近道があることに気づき、皆は表情を緩めた。ま、アムリタもネクタルも限りはあるし。……街に戻ったら、当分迷宮探索はお預けか。例のコワいアンドロになるべく会わないようにしよう、うん。深王たまは王族だからかまだどっかおっとりしてるけど、あっちはもう容赦がないったら。
 焔の河をわたる小舟の上で、おれはそんなことを考えつつ、進行方向を見守っていた。って、おいコラちょっと待てそこのドジっ子! てへゴメンが許されんのはどう頑張ってもプリンスまでだろうが!
 震える手でおれは進行方向をさした。ファランクスが気づき、目を細める。不思議そうに、プリンスがおれの顔を見ている。ゾディアックがぴぃと鳴いて、ウォリアーに抱きついた。
「……オイ。あんた今日マジでぼけてるんちゃうか!」
 声を抑え、おれはウォリアーの胸ぐらを掴んだ。今度はファランクスが肩を掴む番だ。静かに、と。ウォリアーが低く言う。だから怒鳴ってないだろーが!
 じりじりと近づく対岸には、何やら小山のような物体がいて通路をふさいでいる。通れない、通れないよアレ! どんでぃすたーぶ! 安らかにお休みになってるじゃないですか、こう大きくてきらきらした見事な鱗を持つお方が! どうすんだよ、近づいてるよ、止まらないよ、止まれないよ! 左右無理だし! どうすんだよマジで!
「大丈夫! 大丈夫だ静かに!」
 幾分か大きな声でウォリアーが恐怖にひきつる皆をなだめようとする。おれはあわててヤツの口をふさいだ。いやわかってる、ちょっとの声くらいって。わかっているけどさ!
 不自由な態勢で、ウォリアーは地図を取り出した。そして、ぶるぶる震える手で何やら書き込んでいる。ああうん、しっかり書いとこうね! 書いとくの! ダメよって!
 まるで死刑執行用のロープに近づく役人を見てるみたいな気分で、おれたちはつかまるものもない小舟の上で身体をかたくしていた。泣いても喚いても寝てても笑ってても、舟はやがて対岸へとたどりつく。不安定な足場の上、おれたちは息をのんだ。
 通路をふさぐ金色の竜の身体は、平和に上下している。びゅうびゅういう寝息が乱れる気配もなかった。
 ウォリアーが、おれとファランクスに対し、放すようにとジェスチャーで告げる。おれたちは手を放した。そろそろ、そろそろと彼は岸へと足をついた。瞬間、竜の寝息が止まり、おれたちは総毛だつ。
 だが。ほんの少しだけしっぽを動かし、大きめに身体が動いたかと思うと、再度規則的な寝息がもどってくる。……連中も寝返り打つんだなぁ。
 よいせ! と。ウォリアーが岸を蹴った。すると、まるで磁石にでもひかれてるみたいに、舟が元の場所へと動き出す。バランスを崩しかける彼の身体を、小舟の中ほどへとひっぱりこんだ。すこしずつ、竜の身体が小さくなっていく。おれたちは大きく息をつき、それぞれにへたりこんだ。
「……勘弁してくれよ今度こそ」
 改めて地図を開いているウォリアーを眺めながら、おれはそうひとりごちた。おーおー、微妙にいつもよか背中丸めてるにぃ。あせんじゃねーぞ。ま、若造じゃああるまいし、それはないだろうけど。
 さて。もう一回深呼吸したら、ヤツの出してくるルートをチェックしますかね。なんていうか。――第二の人生(ふね)の選択、失敗しちゃったかなー。

fin.
作品名:樹を降りる 作家名:東明