【ヘタリア】絶対的境界線【ギルエリ】
抜けるような青い空。
綿をちぎって浮かべたような、真っ白な雲が浮かぶ秋晴れの日。天に向かって手を伸ばし、ぼんやりとギルベルトは空を眺めていた。人よりも色素の薄いその肌はいつもにまして、澄んだ青に溶け込みそうだった。
背もたれ代わりに寄り掛かった壁の上では、爽やかな風に揺られて、白いカーテンが踊る。舞曲となっているのは、部屋の奥から漏れ聞こえる歌声。ギルベルトにとっては聞き慣れた、澄んだ女性の声。伸びやかな高音、整った旋律。
―――何年も、何度も、遠い数百年も昔から変わらない、その優しい歌声に身を委ね、目を閉じた。その時だった。
「……ちょっと、何してるのよ」
不機嫌な声が頭上から聞こえた。思わず奇声を上げて飛び上がると、そこにいたのは声以上に不機嫌な幼なじみの顔。
「え、エリザ……」
ぎこちない笑みを口元に浮かべ、ギルベルトは彼女の名前を呼んだ。
「いや、いい天気だな、ははは……」
あくまで爽やかを目指し、笑ってみた。しかし、その不自然な態度が彼女の懐疑心を煽ったらしい。
「あんた、まさか覗き?」
冷たい視線が彼の心に突き刺さる。大袈裟なほど首を振り、ギルベルトはそれを否定した。
「……ならいいわ」
その必死さに呆れたのか、エリザベータはふっとため息をついて、窓枠に肘をついた。
「なんだ?今日は随分あっさりしてるじゃねぇか。フライパンはどうしたよ?」
「もう、馬鹿ね。今日の私はいつもと違うのよ」
ケセセと笑う男を横目で見遣り、エリザベータはヒラヒラと手を振った。その手に着けた純白の手袋が陽射しを柔らかく反射する。
「これからは、フライパンなんか振り回すことも無くなるわ。お生憎様」
その言葉に、ギルベルトはそっか、と呟き、今度は小さく笑った。その様子に、エリザベータは微かに眉根を寄せる。
―――そして、次の瞬間、大きく窓から身を乗り出した。カーテンよりも白く、羽根のような生地が、ギルベルトの視界で舞う。
「馬っ鹿!お前、何やってんだ!」
自分の隣へ軽々と着地した彼女に面食らいながら、ギルベルトは言った。
「大丈夫、ケガなんかしないわよ」
彼女はケロリとした様子で言い放った。
「私が昔、ここより高い場所から飛び降りて、ケガ一つしなかったこと、覚えてるでしょ?」
その身に纏った純白のドレスを気にすることなく、エリザベータは彼の隣に腰を下ろした。
「……ったく、せっかくの衣装が汚れるぞ」
「そんなの、叩(はた)けばいいじゃない」
「お前なぁ……」
今度は、ギルベルトがため息をつく番だった。銀髪に指を突っ込み、苦々しげに掻きむしる。
「……今日までよ」
純白のドレスに顔を埋め、彼女が呟いた。
「こうして、昔みたいに窓枠を飛び越えるのも。あんたをフライパン持って追い回すのも、今日までなの。これからは、そんなことしないわ」
「へぇ」
「だから、いくら私にちょっかい出しても、無駄だからね」
「あぁ」
「……ねぇ、」
草原の色を映した瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめた。
「あんた、今日はどうしたの?」
予期しなかった言葉に、ギルベルトの思考回路が一瞬止まる。同時に吹いた風が、長い栗毛を靡かせる。彼女の香りを運んでくる。甘い花と若葉の香りに、思わず彼は目を逸らした。
「……別にどうもしねぇよ。いつも通りだろ?」
「違うわ、全然違う」
隣で首を振る気配がした。
「……似合わない、って言わないじゃない」
小さいはずのその声が、やけにはっきりと聞こえた。
「こんなドレスを着たら、真っ先に馬鹿にするじゃない。似合わない、ってからかってくるじゃない」
ハッ、とそちらを向くと、相変わらず真っ直ぐにこちらをみつめる翠の瞳があった。無意識に手を伸ばしそうになるほど、綺麗な色が。
―――ダメだ。
伸ばしかけた腕を彼は必死に抑えた。
「エリザ」
代わりに彼女の名前を呼んだ。何事も無いかのように、笑顔を浮かべて。
「大丈夫だ、泣きたくなるほど似合ってねぇよ。そのドレス」
目の前に星が飛んだ。慣れ親しんだ固い感触に、本当に涙が出た。気が付くと、地球にハグをするような格好になっていた。
「あんた、最低よ!心配して損した!」
勢いよく立ち上がると、彼女は再び窓枠を乗り越えた。どこから取り出したのか解らないフライパンを置きざりに。
「おいおい、今日は機嫌が良かったんじゃないのかよ」
熱を持ちはじめた顔面をさすりながら、ギルベルトは起き上がり、部屋を覗き込んだ。
「煩い!叩き納めよ!」
彼女の後ろ姿が、そこにあった。怒った時に見せる、ピンと伸ばした背中。昔から変わらないその姿に、彼は少し安心した。
「おい、エリザ!」
「……何よ?」
彼の呼び掛けに、不機嫌な顔がこちらを向いた。
「お前、幸せになれよ。世界中で一番は自分だ、って言うぐらい、幸せになれ!何年、何十年、何百年経って婆さんになった時、シワくちゃになるぐらい笑って、毎日を過ごせるぐらいにな!」
翠の目が一瞬大きく見開かれた。その後、弾けんばかりの笑顔になった。
「決まってるじゃない。あんたに言われなくたって、宇宙一幸せになるわよ」
お互いに笑顔をぶつけ合った時、扉を叩く音がした。時間が来た、と係りの女性が顔を覗かせた。
「私、行かなきゃ。じゃあね、ギルベルト」
「おう、こけんなよ」
こけるもんですか、と舌を出し、彼女は慌ただしく部屋を出て行った。パタパタ、と足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなった時、ギルベルトはゆっくりと地面へ倒れ込んだ。
「……全く、幸せそうな顔しやがって」
芝の柔らかさを背に感じながら、小さく彼は呟いた。
「無防備に笑うとか、卑怯だろ?攫われてぇのか、あいつ……」
目を閉じると、先程の出来事が鮮明に蘇ってくる。交わした言葉、その行動―――花と若葉の香り。
「あれだけオレのことを解ってて、どうして気付かねぇんだよ。馬っ鹿じゃねぇの?」
吐いた言葉が彼女へのものか、それとも自分へのものか解らなかった。ただただ、胸が苦しくなった。
出来ることならあの時、手を伸ばしたかった。腕を掴んで、抱き寄せて、自分の思いをぶちまけたかった。
けれど、出来なかった。
彼女がどれだけ、この瞬間を望んでいたか知っていたから。幼い頃から見てきた彼女が、誰のために女らしくなったかを知っていたから。
それに―――
「もう、限界だよな……」
掌を目の前に翳すと、白い肌が澄んだ空の青に染まる。掌だけではない。今は服の下にある身体も、腕も、足も―――もしかしたら見えないだけで、顔も同じようになっているかもしれない。
これが何を表しているか、彼は良く知っていた。
「ホント、馬鹿だ……」
目の前で、風に揺られて再びカーテンが舞った。風を通す、開け放しのままの窓。
ここはまるで、境界線だった。
自分が踏み込んではいけない、彼女の幸福を決めるライン。あの日、彼女が女になった日から引かれてしまった、目に見えない、絶対的な境界線。
綿をちぎって浮かべたような、真っ白な雲が浮かぶ秋晴れの日。天に向かって手を伸ばし、ぼんやりとギルベルトは空を眺めていた。人よりも色素の薄いその肌はいつもにまして、澄んだ青に溶け込みそうだった。
背もたれ代わりに寄り掛かった壁の上では、爽やかな風に揺られて、白いカーテンが踊る。舞曲となっているのは、部屋の奥から漏れ聞こえる歌声。ギルベルトにとっては聞き慣れた、澄んだ女性の声。伸びやかな高音、整った旋律。
―――何年も、何度も、遠い数百年も昔から変わらない、その優しい歌声に身を委ね、目を閉じた。その時だった。
「……ちょっと、何してるのよ」
不機嫌な声が頭上から聞こえた。思わず奇声を上げて飛び上がると、そこにいたのは声以上に不機嫌な幼なじみの顔。
「え、エリザ……」
ぎこちない笑みを口元に浮かべ、ギルベルトは彼女の名前を呼んだ。
「いや、いい天気だな、ははは……」
あくまで爽やかを目指し、笑ってみた。しかし、その不自然な態度が彼女の懐疑心を煽ったらしい。
「あんた、まさか覗き?」
冷たい視線が彼の心に突き刺さる。大袈裟なほど首を振り、ギルベルトはそれを否定した。
「……ならいいわ」
その必死さに呆れたのか、エリザベータはふっとため息をついて、窓枠に肘をついた。
「なんだ?今日は随分あっさりしてるじゃねぇか。フライパンはどうしたよ?」
「もう、馬鹿ね。今日の私はいつもと違うのよ」
ケセセと笑う男を横目で見遣り、エリザベータはヒラヒラと手を振った。その手に着けた純白の手袋が陽射しを柔らかく反射する。
「これからは、フライパンなんか振り回すことも無くなるわ。お生憎様」
その言葉に、ギルベルトはそっか、と呟き、今度は小さく笑った。その様子に、エリザベータは微かに眉根を寄せる。
―――そして、次の瞬間、大きく窓から身を乗り出した。カーテンよりも白く、羽根のような生地が、ギルベルトの視界で舞う。
「馬っ鹿!お前、何やってんだ!」
自分の隣へ軽々と着地した彼女に面食らいながら、ギルベルトは言った。
「大丈夫、ケガなんかしないわよ」
彼女はケロリとした様子で言い放った。
「私が昔、ここより高い場所から飛び降りて、ケガ一つしなかったこと、覚えてるでしょ?」
その身に纏った純白のドレスを気にすることなく、エリザベータは彼の隣に腰を下ろした。
「……ったく、せっかくの衣装が汚れるぞ」
「そんなの、叩(はた)けばいいじゃない」
「お前なぁ……」
今度は、ギルベルトがため息をつく番だった。銀髪に指を突っ込み、苦々しげに掻きむしる。
「……今日までよ」
純白のドレスに顔を埋め、彼女が呟いた。
「こうして、昔みたいに窓枠を飛び越えるのも。あんたをフライパン持って追い回すのも、今日までなの。これからは、そんなことしないわ」
「へぇ」
「だから、いくら私にちょっかい出しても、無駄だからね」
「あぁ」
「……ねぇ、」
草原の色を映した瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめた。
「あんた、今日はどうしたの?」
予期しなかった言葉に、ギルベルトの思考回路が一瞬止まる。同時に吹いた風が、長い栗毛を靡かせる。彼女の香りを運んでくる。甘い花と若葉の香りに、思わず彼は目を逸らした。
「……別にどうもしねぇよ。いつも通りだろ?」
「違うわ、全然違う」
隣で首を振る気配がした。
「……似合わない、って言わないじゃない」
小さいはずのその声が、やけにはっきりと聞こえた。
「こんなドレスを着たら、真っ先に馬鹿にするじゃない。似合わない、ってからかってくるじゃない」
ハッ、とそちらを向くと、相変わらず真っ直ぐにこちらをみつめる翠の瞳があった。無意識に手を伸ばしそうになるほど、綺麗な色が。
―――ダメだ。
伸ばしかけた腕を彼は必死に抑えた。
「エリザ」
代わりに彼女の名前を呼んだ。何事も無いかのように、笑顔を浮かべて。
「大丈夫だ、泣きたくなるほど似合ってねぇよ。そのドレス」
目の前に星が飛んだ。慣れ親しんだ固い感触に、本当に涙が出た。気が付くと、地球にハグをするような格好になっていた。
「あんた、最低よ!心配して損した!」
勢いよく立ち上がると、彼女は再び窓枠を乗り越えた。どこから取り出したのか解らないフライパンを置きざりに。
「おいおい、今日は機嫌が良かったんじゃないのかよ」
熱を持ちはじめた顔面をさすりながら、ギルベルトは起き上がり、部屋を覗き込んだ。
「煩い!叩き納めよ!」
彼女の後ろ姿が、そこにあった。怒った時に見せる、ピンと伸ばした背中。昔から変わらないその姿に、彼は少し安心した。
「おい、エリザ!」
「……何よ?」
彼の呼び掛けに、不機嫌な顔がこちらを向いた。
「お前、幸せになれよ。世界中で一番は自分だ、って言うぐらい、幸せになれ!何年、何十年、何百年経って婆さんになった時、シワくちゃになるぐらい笑って、毎日を過ごせるぐらいにな!」
翠の目が一瞬大きく見開かれた。その後、弾けんばかりの笑顔になった。
「決まってるじゃない。あんたに言われなくたって、宇宙一幸せになるわよ」
お互いに笑顔をぶつけ合った時、扉を叩く音がした。時間が来た、と係りの女性が顔を覗かせた。
「私、行かなきゃ。じゃあね、ギルベルト」
「おう、こけんなよ」
こけるもんですか、と舌を出し、彼女は慌ただしく部屋を出て行った。パタパタ、と足音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなった時、ギルベルトはゆっくりと地面へ倒れ込んだ。
「……全く、幸せそうな顔しやがって」
芝の柔らかさを背に感じながら、小さく彼は呟いた。
「無防備に笑うとか、卑怯だろ?攫われてぇのか、あいつ……」
目を閉じると、先程の出来事が鮮明に蘇ってくる。交わした言葉、その行動―――花と若葉の香り。
「あれだけオレのことを解ってて、どうして気付かねぇんだよ。馬っ鹿じゃねぇの?」
吐いた言葉が彼女へのものか、それとも自分へのものか解らなかった。ただただ、胸が苦しくなった。
出来ることならあの時、手を伸ばしたかった。腕を掴んで、抱き寄せて、自分の思いをぶちまけたかった。
けれど、出来なかった。
彼女がどれだけ、この瞬間を望んでいたか知っていたから。幼い頃から見てきた彼女が、誰のために女らしくなったかを知っていたから。
それに―――
「もう、限界だよな……」
掌を目の前に翳すと、白い肌が澄んだ空の青に染まる。掌だけではない。今は服の下にある身体も、腕も、足も―――もしかしたら見えないだけで、顔も同じようになっているかもしれない。
これが何を表しているか、彼は良く知っていた。
「ホント、馬鹿だ……」
目の前で、風に揺られて再びカーテンが舞った。風を通す、開け放しのままの窓。
ここはまるで、境界線だった。
自分が踏み込んではいけない、彼女の幸福を決めるライン。あの日、彼女が女になった日から引かれてしまった、目に見えない、絶対的な境界線。
作品名:【ヘタリア】絶対的境界線【ギルエリ】 作家名:akodon