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砂城 <前篇>

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町を一望できる小高い丘はこの町一番の名所だった。
 中心部から数キロはある地点だが、町の人間誰しもが揃って観光客に薦める場所で、とにかく人の気配が絶え間ない。唯一、人が少ない時間帯と言えば毎月決まった日の夕方だろう。
 月に一回、この国の王が視察も兼ねて城下町をひとしきり歩くのだ。
 今代の王は人柄も良く、民や臣下達からの人望も厚かったから、一目見ようとする町人も多く、こうしてこの丘から人が消える時間帯が存在し、子供である自分達にとっては大層都合が良かった。それでも、年端もいかない子供にとってこの丘にやって来るには足りないものの方が遥かに多く、結局のところここに来れたのは今日が初めてのことだったが。
「ここは初めてか、晋助?」
 自分の前を歩いていた男が少しだけ振り向いて訊いてきた。晋助は言葉を介さずに首を縦に振って頷く。
「そりゃ良かった。ここの丘の景色は絶景だからな。連れてきた甲斐があった」
 からからと笑う男は立場に似合わず実に豪快だ。自分の父がこの男と旧知の仲だとかで、自分は時々男と会う機会がある。一般人ならばアポイントメントがあっても二ヶ月、三ヶ月と間を置かないと会うことすら叶わないというのに、晋助は互いの都合さえよければ会えてしまうのだ。まだ彼がどういう存在なのか教えてもらうまで、自分のように自由に会えることの方が普通だと信じて疑わなかったというのだから、自らの無知が愚かしいかがよくわかる。いくら父や母、そしてこの男が「まだ子供だから」と言っても、物事が全く理解できないというわけではない。増して自分は父の後を継ぎ、この国を支えていかねばならないのだ。周りが教えてくれないからと言って、知らぬままというわけにはいかない。
「――ここだ」
 歩いていた男が立ち止まる。それに倣って男に手を引かれていた少年も立ち止まっていた。ぎゅっと父親である男の手を握る少年の手を晋助は見た。兄弟もなく、その育ち故か、人見知りをするようだった。晋助自身もどちらかと言うと人見知りをする方であるのは確かだったが、ここまで酷くはないし、人見知りばかりしていても人間関係がうまくいくわけもない――そう思うようになったのは、父にそう諭されてのことだったが、つまりはそういうことだ。相手を知るには、まず自分を知ってもらえ、という父の言葉を思い出して、晋助が自分の名を名乗ると、この少年も小さな声で『トシ』とだけ言ったから、きっとそれがこの少年の名前なのだろう、とそう思った。
「わ……!」
 自分よりひと足先に見えた景色に感動の色を顕して少年――『トシ』が感嘆の声をあげた。自分の背よりも高い柵に手をかけて乗り上がる様子は、その大人しそうな容姿からはとても想像出来なかったが、意外にやんちゃなのかもしれない。
「どうだ、すごいだろう?」
 はしゃいで興奮する『トシ』の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら男は言う。男は晋助に背を向けていたから表情が見えなかったが、声のトーンがいつもより若干高めだったから、男も嬉しいのだろうと感じた。
 柵に乗り上がるようにして見ている少年はそんな男の言葉に大きく頷いて、興奮したように何度も感嘆の声をあげている。
 それほど興奮するようなことでもないだろうに、と子供にしてはかなり冷めたように一歩引いたところで二人の背をぼんやりと眺めていた。
 自分はこのポジションが好きだった。父がそうしているように、自分も父のように王を支え仕えるこのポジションが。
「晋助もこっちに来て見てみろ、ビックリするぞ」
 いつまでそうしていただろう。そんな晋助の様子に気付いた男が言って自分を手招きする。はじめは躊躇った晋助だが、側に歩み寄って男と『トシ』の傍に立ち、そこから見える景色を見た。
(…………!)
 飛び込んできた景色に晋助は思わず息をすることすら忘れ、大きく目を見開く。
 鮮やかな、紅い、町。
 自分達の暮らす街の姿に晋助は圧倒された。
 夕日に照らされた町は、紅に染め上がり、まるで血潮のようだ。血が通う、いきもののようだ。
「どうだ、凄いだろう?」
 丘から見えるその光景に魅入られたまま、晋助は男の言葉に頷く。興奮して大きく脈打つ鼓動は晋助の小さな指先にまで伝わってくる。だがそれすら気にせず、晋助は少年と同じように紅(暮れない)の町を目に焼き付けようと見ていた。
 いつまでそうしていただろうか。
 晋助達と同じように町を見ていた男が口を開く。
「この国の宝は何だと思う? 晋助」
「――たから?」
 この夕日に染まった町とどのような関係があるのか――。
 その共通点どころか、関連性ですら見出だせない。
 父ほどこの男のことを晋助は知っているわけではなかったが、男が意味もなく言葉を発する人間ではないということは晋助にもわかっていた。
 だからこそ、脈絡も何もない男の問いが晋助の頭を悩ませるのだ。
「ああ、そうだ。宝だ」
 きっぱりと言い切って、男が晋助に答えた。
 ――この国の、宝。
 男の言葉をもう一度頭の中で反復させて、晋助は考える。
 宝、と言われてぱっと思い描くのは、金とか宝石とか値打ちある武器だとか、そんなものばかりだ。子供の浅知恵、と言ってしまえばそれまでだが、今の晋助にはそれ以外、浮かぶものはない。
 ううん、と唸る晋助を見兼ねたのか、男は笑って、ちょっと難しかったな、と一言詫びる。晋助は何で男に謝られなければならないのか解らずに、男を見上げた。
「この国の宝はな、金でも宝石でも武器でもない。この国に住む民だ」
「民……?」
「私達が住む場所も水も、食べ物も服も。みんなが作って私達に与えてくれているものだ。私達はそれを有り難く恩恵を受けて生活している。民がいなかったら私達は生きていられない。逆に言えば民がいればいつまでもこの国は国でいられるんだ。――わかるか?」
 男の言うことは理解できた。
 民は地を豊かにする。
 王はそれを護り、地を治め、その代価として献上する。
 その関係が成り立っているからこそ、その信頼関係があるからこそ、国というくくりで纏まり、存続し続けていられる――。
 その関係が崩れたらどうなるのか、と何度もその話をしてくれた父は口にしなかったが、晋助は言われずとも想像がついていた。
 国の崩壊。
 過去、歴史上に消えた国は幾らでも存在する。謀略、戦、支配者による圧政――。原因は様々だったが、共通しているのは壊すことは容易い、ということだ。逆に、築き上げていくのは非常に難しい。この国だって、建国当初から今のようだったわけではない。代を重ね、民の信頼を得て。それを積み上げて今がある。
「王(わたし)の代わりはいくらでもいる。例えばそう、この子でも」
 ぽん、と男の手は傍らにいた『トシ』の頭に置かれた。急にわしわしと撫でられて少年は、どうしたのか、と問うように男を見上げる。そんな様子の『トシ』を見た晋助は、無垢だ、と思った。この少年はきっと何も知らない。晋助が誰で、少年自身がどんな立場の人間なのかも、知らないのだ。でなければ、これほどまでに純粋な顔を向けられるはずがない。
「晋助も知っていると思うが、近々戦争が始まる」
 男の顔が急に曇り出す。声のトーンも幾分か落ちた。
作品名:砂城 <前篇> 作家名:みそら