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忠誠心は恋に似ている 1

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少佐は私を決して拒まない。

パラオ基地の兵舎より 車で山に少し行ったところに草加少佐のおられる建物がある。
いくつかの会議室と将校用の予備の部屋と 写真や図面をしまう資料室。
けたたましい野生動物の声が響く、鬱蒼と生い茂る椰子の木やシダ類の森がすぐそこまで迫っているが
建屋の扉を開けると 溢れかえる緑は窓を覗いて視界に入ることはなく、日本の基地にでもいるかのような錯覚に陥る。
遠い南国の島にいることを忘れてしまいそうになる。日常から切り離され、一瞬日本の夢を見ているのではないかと思ってしまう。

景色だけではない。そう思わせている一番大きな要因は別にある。
私がここを訪れる理由はひとつだけ だからだ。



いけない、と思いつつも 理性の箍が外れ美しい肌と表情に酔いしれてしまう。
この時間が狂おしいほど愛しい。
尊敬して止まない草加少佐が私を受け入れて下さっている。

同じ時間を過ごし、私のためだけに言葉を紡ぎ 私のためだけに生きている時間。
草加少佐は私のことをどう思ってみえるのか。
考えると狂いそうだ。

だが、そう思ってしまうこと事態おこがましい。
私はこの時代に、この場所で、少佐の欲する知識と地位を持っている。

ほかの誰でもない、私が 必要だと仰られた。
それだけで充分なはずだ。
少佐のお気持ちが、私なんかには勿体無いぐらいに思っている。


初めて出会ったのは1年ほど前のことだったか・・
自らの管轄である戦艦大和の艦底でボイラーの点検をしていた時だった。
一瞬世界が止まったかと思った。艦底まで下りてこられた 軍神と噂される少佐は、
どこか不思議な雰囲気で 人間を超えたなにか神々しい輝きを放っていた。


「貴官は私を尊敬していると言うが、私は貴官を尊敬している。私には大和を動かす知識も経験もない。
私には他の誰よりも貴官が必要なのだ。頼りにしている」

草加少佐の人となりを知り、話せば話すほど 尊敬の念は募り、
私にとって なくてはならない大切な存在になるのにそう時間はかからなかった。

私が・・・誰よりも必要とされている。
それだけで、それだけで、私は生まれてきた意味を噛み締め 運命に感謝しているのです。

真の幸福とはこういうことではないのだろうか。

あなたのためなら 名誉もこの命も惜しくありません。
思い余って 想いを告げてしまったことがある。

「私のためではない。新しい国のため、と言ってくれないか。
私のためだというのなら 必ず作戦を成功させ、どうか 私のために生きて帰ってきてほしい。
かわいい後輩をこれ以上 死なせたくはない。」


そう仰り、草加少佐は私を受け入れてくださった。
それから何度逢瀬を重ねただろうか。
回を増すごとに私の想いは募るばかりです。


「身支度は抜かりなくな。滝に見つかると厄介だ。」
先程まで私の腕の中で懸命に応えてくれていた体は、今や第三種軍装と手袋で隠され またいつもの装いに戻っていた。

「こんな時まで滝中佐のお話ですか?」
流れ落ちる汗が 不揃いに落ちた前髪を不恰好に額に張り付かせる。
こんな見っとも無い姿は 少佐に見られたくはないのだが、
・・・少佐が白く柔らかい指で優しく整えて下さるので じっと我慢する。

息が上がっている私をよそに、整った呼吸で涼しい顔の少佐はうっすら山百合のように微笑む。
「私のせいで鴻上に迷惑がかかるのがいやなだけだ。」

綻び掛けた真っ白い山百合の視線は、少し向こうの床に落ちたままだ。

儚すぎて 言葉を続けないと消えてしまいそうだ。


「滝中佐は兵学校の同期と聞きました。昔の少佐をご存知なだけでなく
今も同じ任務に当たられている・・・。羨ましい。激しい嫉妬を感じます。」

自分のことを話すのは苦手だ。どこまで本心をぶつけてよいのかわからない。嫌われてしまっただろうか?

「鴻上、滝とはこういう仲ではない。貴官が嫉妬することはないと思うが。」

草加少佐・・・あなたはどこまで 私を幸福にするのでしょうか。


「さぁ、時間だ。この後作戦会議があるのでな。私は失礼するよ。」
また離れなければならない時間がやってきたか。さっきまであんなに・・・・・・・・・・。
先程までの濃厚な時間に一瞬思考を囚われた隙に、襟を正し 私の腕を擦り抜けスッと立ち上がる少佐。

私では 満足させられないのだろうか。ふと頭をよぎる。

嫉妬するなと言われても
うまく隠したつもりでも
腕の中のあなたの視線を追っていれば
あなたの心がここにないことぐらい、わかってしまうのですよ。

滝中佐では・・・ない・・のか・・・?

「少佐。あなたの心は どこにありますか?」

数歩歩いてドアに手をかけていた少佐が こちらをゆっくり振り向く。

・・・私の心はどこかに置いてきてしまった。
ミッドウェーの海の底に零観と共に沈んだか
海に沈む私を引き上げた者の腕の中か
心は貴官と共にある、と言えればよかったのだが・・
私の心は 二度とやってこない未来に置いてきてしまったようだ

「みらい」?

草加少佐は時々ふっと遠くの見えない何かを見て微笑む。
それは海の向こうか、まだ見ぬ国か、私の知らない誰かなのか。

「鴻上は余計な心配をしなくてもよい」
即興で御伽噺でもしているかのような口調と視線が 一瞬で現実に戻ってくる。

ぱっと咲いた山百合は 顔を上げ、真っ直ぐこちらを見ている。


「私も貴官と共に、武蔵と大和と一緒に作戦実行に当たる。
私の体も魂もここにある。
私を生かすも殺すも貴官の働きにかかっている。
貴官の動かす艦に乗る。これ以上・・・私の貴官への信頼を どう表現すれば伝わるだろうか・・?」

左胸をそっと右手で押さえ、女神のように微笑み まっすぐこちらを射抜くその輝いた瞳。
私の悩みなど、本当に取るに足らないもののような気持ちになる。
世界が輝いて見える。

これ以上ない充実感で 体の奥底から 脳の芯まで痺れる。

ご存知だろうか。
山百合は少し綻んだ蕾でさえ、非常に強烈な甘い香りを放つことを。

芳しいその花の誘惑は、密林を ただ嗅覚だけを頼りに どんどんと奥へ足を踏み入れさせる。
思考力を奪い、視界を奪い、言葉を奪い、・・・ただ足と呼吸だけがはやくなる。
奥へ奥へと・・・誘われ。

ただただ脳は幸福と快楽だけを求め、もっと強い香りを求め、花 本体のもとへ。

手折ってしまいたい。強引に摘み取って 自分だけのものにして、自分のためだけに飾りたい。
しかし、手折ってしまえば 水にいけようと 夜には大きな花弁を地に散らせ 茶色く朽ち果ててしまうでしょう。

そうだ。私がそばにおればよいのだ。
誰にも触れさせず、ずっと守り続ければよいのだ。

私は幸運だ。

こうしておそばにおれること、少しでも力になれること。全てが喜ばしい。


滝中佐は近々内地へ戻られるそうだ、と伺った。
この 腹の底から湧き上がる気持ちは・・なんだろうか?
いや、どうでもいい。
私は今 とても幸せなのだから。



「草加」
作戦会議の後、めいめい席を立つ中 滝は草加を呼び止めた。

滝に先導され資料室へ入る。
窓のない資料室。
作品名:忠誠心は恋に似ている 1 作家名:korisu