怒った日
「けど試合って確か18時からだぞ、今からじゃちょっと遅いんじゃないのか?」
「えー大丈夫だよ。高速使えば、ぎりぎり間に合うって」
言い出したら聞かない性格という事は嫌というほどわかってる。一度だけ窓の外を眺めて、後藤はようやく立ち上がった。
空の色がだんだんオレンジ色へ変わろうとしている。その光が達海の頬にも差し込んで、さっきまでむくれていたとは思えない笑顔を彩っていた。
「わかったよ。今日は付き合う」
「よし、そうこなくっちゃね」
ああ、自分はとことんこの笑顔に弱い。
達海を甘やかし過ぎるのはよくないと自分でもたびたびそう思うものの、それでも抗いたがい強い力でこの男に引き込まれてしまうのだ。
「じゃあ支度をしてくる。おまえもいい加減に着替えろよ」
いつまでも練習用のジャージを着ていることを指摘すると、「うん」と子供のようにうなづいて上着とタンクトップを脱いでしまう。
衣装ケース代わりのロッカーから適当にTシャツをつかむと、ふいに後藤を振り返った。
「おい、何突っ立ってんだよ。後藤も早く用意して来たら?カバンとか事務所だろ?あ、ついでに有里にチケットもらってきて」
「うん。達海…」
そう言って達海の体を背中から抱き寄せると肩越しからキスをしようとした。しかし寸前で顔をそらされてしまう。
「達海…俺はまだキスもさせてもらえないのか」
恨みがましい目つきで軽く睨みつけると、何かをたくらむような笑みで肩をすくめてみせた。
「どうせキスだけで済まないだろ、試合に遅れるぜ?」
後藤はまだ釈然としない表情で達海の髪に口づけると、ようやく顔を上げて部屋を出ようとする。
そこでふいに声をかけられた。
「あと、今晩おまえんちに泊まるから」
「…え、ああうん」
半ば茫然としたままうなづくとそこからはあわてて事務所へ戻り、PCの電源を落とした。
「はい後藤さん、チケット。ちょうど2枚あった」
「ありがと、有里ちゃん!」
有里から関係者席のチケットを受け取ると、机の上に広げたままのファイルもどんどん片付けていく。
「けど二人して観戦なんて、何かよっぽど気になる選手でもいるの?」
「さあどうかな。でも達海は単純にサッカーが見たいみたいだったけどな。今日の一件もあるし気分転換にはなるだろ。まぁこれくらいで機嫌よくなるんなら安いもんだよ」
「…そう」
「後藤ー遅いよーまだーー?」
廊下の向こうから達海の声が響いてくる。
後藤はあわてて最後のファイルを片づけた。
「じゃあごめんな。今日はお先に失礼するよ」
「はい、お疲れさまです」
ジャケットと車のキーをつかむと小走りで去っていく後藤を眺め、有里は呆れたようにため息をつく。
あの様子を見る限り浮かれているのは完全に後藤の方だろう。
「どっちが安いんだか…」
そう呟きながらも窓の外を眺めると、後藤の手を引き駐車場へ走っていく達海が見えた。
その様子につい吹き出してしまう。
「似たもの同士か」
それでもオレンジ色の夕景に溶けていく二人の姿が、なんだかとてもかわいらしく見えて思わず微笑んでしまった。