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ネイビーブルー
ネイビーブルー
novelistID. 4038
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力の名前

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 Nという青年は、不思議な青年であった。
 雨の日に彼を拾ってから、二週間がたつ。その間に色々なことがあったが、驚くことばかりだったとマツバは思う。
 Nは、様々なことを知らなかった。物知らずというわけではない。知識だけならマツバと同じかそれを凌ぐほど持っていた。しかし、その知識は多くが紙の上の物だった。
 例えばある日、マツバがアサギシティのミカンのところに届け物に行くときのことだった。「海の近い町に行くけど、一緒に来るかい」と声を掛けると、Nは頷いて着いてきた。出会ったときに被っていた帽子は脱いでしまって、今は、白いシャツとパンツを穿いている。これは出会った次の日に、マツバが彼に買い与えた物だ。その日は朝からコガネシティまで出かけ、コガネのデパートへ。賑やかな売り場を物珍しげに眺めるNを見失ってしまわないよう、殊更ゆっくりと歩いて男性服売り場へと向かう。サイズは同じだったのでマツバの服を貸したままでも良かったのだが、彼には襟のある服の方が似合うのではないかと思ったからだ。
 当初、何を買うのかよく理解しないままついてきたNは、それがようやく彼の服を買うためだと知ると慌てて「いいよ、だってボクは、お金を持っていない」と辞退しようとしたが、「何言ってるの。それじゃあ君、裸で過ごす気かい」と言うと黙り込んでしまった。
「そうだな。家とかジムの手伝いをしてくれればそれで良いよ。ほら、ぼくは一応ジムリーダーだろう? ジムリーダーってね、結構お給料もらえるんだよ。一人暮らしで持ち家だから、生活費もあんまりかからないしね。だから、お金の心配はしないで」
 Nはまだ納得していないようだったが、マツバに押し切られた形で了承した。服はマツバが選んだ。「買ってもらうのに、選べない」とNが言ったからだ。その遠慮深さに、大切に守られて育ってきたのだろうと感じた。
 結局選んだ服が、ほとんど白と黒に偏ってしまったのは自分でもなぜか分からない。会ったときに着ていた服が白黒だったのと、彼に色を感じることが出来なかったからかも知れなかった。髪と瞳は、この地方では随分珍しい色をしていたが、その若緑以外に色はいらない気がしたのだ。
 帽子を被らないでいると、Nはとても幼く見えた。年齢は恐らく同じくらいなのだろうが、あるいはその表情がそう見えるのかも知れない。出会った当初、傷ついた野生のポケモンのように見えた彼は、大分落ち着いている。
「アサギシティは遠いの?」
「ううん、そんなに遠くないよ。歩いて行ける距離だ。鳥ポケモンでもいればもっと早く行けるんだろうけど、ぼくはゴースト使いだからね」
 彼のゼクロムに頼めば乗せていってくれるだろうが、着いた先で目立って仕方がないだろう。Nは直接は言わないが、ポケモンをボールに入れることに抵抗があるらしかった。しかし出しっぱなしにするにはゼクロムは大きすぎる。よって彼の黒竜は、今日も鈴音の小道で日向ぼっこに励んでいるはずだ。彼は日光浴が好きなようで、暇があれば出向いて日を浴びている。鈴音の小道ならば人は来ないし、周りは木で覆われているので彼も目立たない。
 Nがポケモンをボールに入れるのを好かないことは、彼の言動から知れた。マツバも普段は全員をボールから出して放してあるのだが、Nがそれを見て、「あなたは閉じ込めないんだ」とほっとしたように言ったからだ。ゴースたちは悪戯好きで、ボールの中に入れたままだとストレスがたまり、外に出たときにとんでもない悪戯をしでかすから、それを防ぐためだったのだが。
 二人で並んで歩く間にも、Nは様々なものに目を配る。
「あの花は何?」
「あれは撫子」
「あれは?」
「竜胆。どちらも秋の七草だよ」
「秋の七草?」
「秋を代表する花ってことさ」
 ふうん、と感心したように息をついて、それからまた「あれは何?」
「あれはポスト」
「ポスト?」
「住所を書き、切手を貼った手紙をあれに入れるとね、手紙を届けてくれるんだ」
「へえ、なるほど郵便というやつだな」
「知ってる?」
「小説に出てきた」
 小説に出てきた。図鑑に載っていた。本に書いてあった。彼との会話の頻出ワードだ。どんな世界に生きてきたのだろうと、詮索好きではなくても思わず考えてしまうような具合だった。
 やがて風に潮の香りが交じり出す。
「マツバ、これは? 妙な香りがする」
「海の匂いだよ。嫌いかい」
「いや、嫌いじゃない。そうか、これが海の香りか。そういえばヒウンシティの船着き場でも、同じような匂いがしていた気がする」
 彼の故郷の話は聞いていない。彼が話すまで待とうと思っている。人間誰しも生まれ故郷があるものだが、彼は「行くところがない」と言った。即ちそれは、故郷を失ったということだ。何かあったんだろう。故郷の話をすれば、それに触れずにはいられないだろう。だから、聞かない。
 やがて、目にも海が感じられるようになってくる。さすがに海は実物を見たことがあったようで、Nは「わあ、海だ!」と子どものように歓声を上げた。
「マツバ、これは砂浜かい?」
「そうだよ。砂浜は初めて?」
「うん。海は見たことあるけど、砂浜はなかった。不思議だなあ、こんなに砂だらけなのに、海の水は澄んでるんだ」
 マツバは少し考えた挙げ句、ミカンとの用事を済ませてくる間、Nを浜辺で待たせることにした。どうせすぐに終わることだし、このはしゃぎようだと、もう少し遊ばせてやりたかったからだ。
 念のためゴースを一匹、彼につける。
「それじゃあぼくは用事を済ませてくるから、君はここで待っていてくれるかい。海から離れなければ、少しばかり遠くまで行っても構わないよ。その代わり、ゴースと離れないように」
「分かった。大丈夫だよ」
 Nはマツバではなく、海のほうを見ながら答えた。マツバは溜息を吐き、ゴースにくれぐれも目を離さないように言い聞かせた。

 戻ってくると、Nは途方に暮れた顔をしていた。
「どうしたの」
 慌てて駆け寄ると、彼は「怪我をしているんだ」と腕の中の物を見せた。それは、傷ついたサニーゴだった。恐らく釣り人が釣り上げた後、海に戻してやらなかったのだろう。傷を負っていたし、皮膚は乾いてしまっていた。
 マツバは鞄から傷薬を取り出すと、丁寧に塗ってやった。ポケモンセンターも近くにあったが、そこにはボールに入ったポケモンがたくさんいる。Nが良く思わないだろうと考え、避けた。
 幸い傷は深くなかったようで、サニーゴはみるみる良くなった。
「大丈夫かい、痛くない? ……良かった!」
 Nはまるで自分のことのように喜ぶと、サニーゴをそっと海に戻してやった。サニーゴはしばらく波の間からこちらを見つめていたが、やがて海に戻っていった。
「ぼくがいない間に見つけたの?」
「うん。マツバがすぐに戻って来てくれて良かった。ボクだけじゃ、どうもできなかったから」
 Nは目に見えてほっとしていた。野生のポケモンが助かって良かったと言うには、その感情の起伏は並ではなかった。
「君は、本当にポケモンを大切にするね」
 マツバが言うと、彼は目を伏せ、「……友だちなんだ」と小さな声で言った。
「そうか、それはいいことだ。友だちは大事にするべきだしね」
作品名:力の名前 作家名:ネイビーブルー