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共犯者

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01、異国




売られた事が悔しかったわけではなかった。


学生として、隣の大国へと藩から派遣された身を失うことが、悔しかった。鎖国下にある我が国の中、唯一例外として藩のお殿様が3年に一度、たった一人だけ、異国へと学術へ向かう事をお許しになる。ただただその一人に選ばれたかった。そして他の子供達のような子供らしい遊びとは一切無縁の生活をし、この鳥かごのような国から飛び出し、あるがままの世界というものの中を闊歩する自分を夢見た。そうして手にいくつもの血肉刺を作って筆も剣も握り続けて努力が報われる日が来た。大喜びで、あの異国船に乗り込んだ日の喜びと興奮の胸の高鳴りといったらとんでもない事であった。このちっぽけなで、女子のような体が破裂してしまうのではないかと不安になるほど、心の臓が熱く激しく高鳴り、身を引き裂いてしまいそうだった。




だが、黄金の日々は短かった。
売られたのだ、と気がついたのは随分後になってからの事だった。まだ大国の言葉にも疎かった自分が、親切な男だと思っていた男は人買いだったのだ。親切に、国での手助けをしてくれていたと思っていたが、なんのことはない。私は珍しい商品だったのだ。鎖国下にある我が国の人間。その存在が、孔雀や黄金よりも物珍しい貴族達の玩具であるという事にはすぐに気がついた。ある貴族の男が私を買った。だが寝所で脱がせてみれば、私は男だった。私のこの童顔と、女子のような体に勘違いをして買ったのだ。大枚はたいたものが自分の趣向とは合わぬ存在であった事がよほど口惜しかったと思える。男はまた私を別の人買いへと売りつけた。そしてそのまま私は訳も分からぬうちに船に乗せられ、国とは間逆の方向へと幾月も幾月も揺られていき、その日々の中で私の中の自尊心や反逆心などと言うものは砂よりも小さく砕かれた。今はもう国の家族の事すらぼんやりと霞がかった蛤の夢のように目に浮かぶばかりである。



売られついた先は、まるで聞いた事もない国だった。



人々の肌は浅黒く、目は大きく、体格は我が国とも大国よりもずっと大きく、話に聞く鬼のような頑丈な体をしていた。いくつもの金持ちの家へと連れられていったが、彼らが求めていたのは女だった。やがてそれが男色を禁じるというこの国の宗教があると悟ったが、男であれば売られていく当てもない。もう数えるのも馬鹿らしいほど盥回しに国中の金持ちの間を転がされていき、そして最後に辿り着いたのがその男の屋敷だった。



男の姿はみえなかった。
まるで話に聞く朝廷の御簾のように薄く張られた布の向こうから、男らしき影が動き、何かを話していた。今までの金持ちとはどこか違うという気がした。それは、男の屋敷に人の姿がさっぱりみえなかったからだ。他の屋敷ではその権力を誇示させるように奴隷の女性を侍らせ、沢山の家来を見せ付けていたというのに、男の屋敷は何かが違う。誰か人の気配は感じるものの、人の姿を一切見せない。この私を売ろうという男も、この得体の知れない男の前では妙に小さく行儀よく見えた。


やがて話はまとまり、私はこの得体の知れない男に売られる事となった。奴隷商人の男は私の手から拘束していた鉄の鎖の鍵を解き、新しい私の飼い主の男に何度も何度も頭を下げて出て行った。手枷も全て外され、ただ広い、何か女の肌のように甘い匂いの広がる部屋に立ち尽くした私。男が何も言わないことが恐ろしくなった。どうしてだか分からないが、この男は誰とも違うと分かった。この男でないのならば、先ほどの奴隷商人に傍にいて欲しいくらいだと思った。あの奴隷商人の足元に跪き、この人はいやだ、と訴えたい心細さと沈黙に耐え難くなり、長い盥回しの生活の中で覚えた言葉で、私は男に話しかけた。




「アナタ、ダレ?」
「うちの言葉がちったぁ話せるか。それなら好都合だ」




男が笑みを含んだ声で話して、立ち上がり、その防護壁ですらあるような御簾を押しのけて現れた。
目の前に露わになった男の姿に息を呑んだ。自分よりも一回りも二回りも大きく逞しい男の体は豪奢なこの国の装束に身体を包み、そしてその表情は読めない。陶器か何かで作られたらしい白い面で覆われ、口元は黒い布で隠されていた。この個人という存在を一切隠す男の正体がまた空恐ろしくなった。男は一人で何か呟いていたが、その小さな声と早口はまだ耳慣れない私の耳では理解できなかった。だが、男がふいに笑ったような気がした。








やがて男はその大仰な装束を翻して消え、そして私の日々は劇的に始まった。
同じ奴隷と思わしき男達が私をハマムと呼ばれる風呂へ連れて行き、旅の垢と埃を徹底的に落とし、体中に何か女のような匂いのする油をたっぷりと塗った。そしてこれから伽でもさせる気だろうかと身構えた私を寝所と思わしき場所へと連れて行き、放置した。これは、寝ろという事なのだろうかと考える暇もなく眠りについた。翌日からは怒涛の日々だった。あの仮面の男は一度も顔を見せることはなかったが、私はこの国の言葉を徹底的に頭に叩き込まれ、同時に礼儀作法も仕込まれた。言葉の通じぬ私は動物と同じもので、間違うことがあれば容赦なく鞭が飛び、体へと叩き込まれた。自分がどうなっていくのかさっぱり分からなかった。男が私に何をさせたいのかも分からなかった。仮面の男は一切顔を見せる事はないが、しかしあの男が主であるのだろうとは思っていた。ただその主が、この私にこの奴隷達のように家事をさせたり、力仕事をさせたい訳ではないのだろうと解釈していたが、男が私を自分の寝所に呼びつけ、伽の相手をさせる様子もなく、ただ教育というものを施されていった。




そしてある夜、眠っていた私はいきなり目隠しをされて、猿轡を嵌められて、袋に詰められてどこかに運ばれた。
また売られるのだろうか、とだけ考えていた。もしかしたらあの仮面の男は奴隷商人であったのかもしれない。珍しい私を、しかし動物のように言葉と教養のない私を買い取り、教育し、もっと高い値段で別の金持ちに売るのであろうと考えていた。今更逃げてどこかへ行く当てもないので揺られる袋の中で息苦しさを覚えながらそれでも大人しくしていれば、やがて私はどこか柔らかい場所へと降ろされ、袋から出された。







そして目隠しをとった先には、あの仮面の男がいた。



部屋の中は小さく、窓が取り付けてあったがまるで牢獄のように、しかし複雑な文様が格子のようになり、その向こうから真っ黒な夜空が見えていた。薄暗い部屋の中は香が焚かれているのか、甘い匂いがする。私のようなただの武士の縁があるだけの田舎者がまさか嗅いだことなどある筈もないが蘭奢待という香木の香りというものはこんな高貴で甘く、官能的な匂いなのではないだろうか、とふっと思った。私は仮面の男の前にあっても、既に脅えることはなかった。もうどうとでもなれという気分だった。





「随分垢抜けたじゃねぇか」
作品名:共犯者 作家名:山田