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仰げば尊し

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秋は夕暮れ



蝉の声が消えてしまった空に、オレンジ色が満ちていく。
耳を澄ましても何も聞こえはしない。いつの間にか過ぎ行く季節は別れの言葉は残さずに空白を作る。ぽっかり開いた季節の隙間は、しかし圧倒的な強い光に埋められてしまう。夕陽は、ただ、力強く。それを榛名がどんな表情で見ているのか、阿部は知らない。

長袖の制服を着ることにそろそろ慣れようとしていた頃、阿部はついいつもの調子で視線を裏庭へと向けた。特別教室と通常の教室を繋ぐ渡り廊下でのことだった。その途端、ビクリと身じろぎした阿部に「ど、どしたの阿部?何か変なものでも食べた?」と恐る恐る失礼な問いかけをしてきたクラスメイトには首を振って答える。何も食べてはいない、けれども明らかに様子をいつもと異ならせて、阿部は残りの休み時間とそれに続く授業を過ごした。授業の終わりと昼休みの始まりを告げるチャイムと同時に立ち上がり、滑るようにして教室から出て行った阿部に、クラスメイトは首を傾げて、そのまま昼食を買いに行くべく財布をカバンから取り出した。
歩いていた足はいつの間にか早足になり、最終的には駆け出しそうになるのを必死で堪えて阿部は目的地へと急ぐ。ただ眉をしかめ、真っ白になった頭で、目的が何かなのかは分からないまま。勢いよく開いた扉の向こうで榛名がきょとんと振り向いた、その先にあるものを見てようやく分かった。遅いけれど。
「どしたん、そんな急いで」
あどけない表情で聞いてくる榛名に、見当違いと分かっていても苛立ちが起こる。それを必死で隠して阿部はなるべく平坦な声が出るように息を整えた。
「……それ」
指差したものに、榛名は小さく目を細める。
「あぁ、こうして乾かすと種が取りやすいんだよ」
黒くなった向日葵は、生物室の片隅で逆さまにぶら下げられていた。ただ切り口だけが残された花壇を見て、ここまで狼狽した自分がバカバカしい。苦い気分を堪えていると、見透かしたように榛名が笑った。軽い笑い声のあとに、頭の上に軽い手触り。
「変なヤツだな、お前」
グシャグシャにかき混ぜられたのは、頭だけだったはずなのに、阿部はどこか違うところにも触れられた気がした。それももう、去年のことだ。だから今年は太い切り口だけ残した花壇を見ても慌てることはなかった。寂れた、裏庭。慌てることはないけれど、その日の昼休みに生物室へと足を向けた阿部は、思いがけないことを言われる。
「お、タカヤ」
なぜか扉の前で首を捻っていた榛名は、阿部に気付くと笑顔を向けた。少し前の卒業生に「阿部」という名字を持つ人がいたからと、この教師は阿部のことを下の名で呼ぶ。どう聞いてもカタカナの響きしか持たないそれを、聞くたびにどこか遠い場所に連れて行かれた気分になる。そのときもだから足元を少しだけ揺らめかせ、それを何とか踏みとどまると、阿部はいつも通りの呆れた視線を榛名に向けた。
「何やってんすか」
「あ?あぁ、なぁ」
頷いて、榛名はなんでもないように言った。
「タカヤ、お前、今日からここ出入り禁止な」
ハイ?と聞き返す言葉も出てこなくて阿部はただパクパクと口を開いては閉じる。頭が、真っ白だ。そん阿部の様子に気付くこともなく、榛名は教官室のドアを眺めてふむと頷くと、ペタリと一枚の紙を貼り付けた。
『テスト期間中、生徒の立ち入りを禁ずる』
「しっかり勉強しろよ?」
恐らく自分が生徒であった時間に、嫌と言うほど聞かされたであろう言葉を、榛名は阿部に向けて嬉しそうに言った。この、胃の奥に溜まりつつある苛立ちをどうして良いのか分からなくて、阿部はとりあえず無言で頷いた。榛名は笑ったままだ。
そんなことがあり、部活ももちろん無ければ阿部が榛名に会うことはめっきりなくなった。一週間っていうのは、と心の中で呟きかけて慌てて続きを止める。こんなに長かったっけかな、と思うだけでも腹立たしいので、閃いたものを打ち消すようにパタパタと手を振ってみる。なのに一度出てきてしまうと言葉は消えてはくれなくて、頭の中を埋め尽くすように広がっていく。何だか、こんなことばかりだと阿部は苛立たしげに思う。榛名と出会ってから、自分の頭は真っ白になったりそれとも何かで一杯になったりと忙しい。
何で、とウンザリしながら窓の外を見ても阿部の頭は鈍く、それでもすばやくとある光景を引きずり出す。
焼けるような夕陽、は、榛名を思い出す。
グラウンドを遠い場所から見つめる人のことを。
それは単なる偶然で、バッティング練習で使ったボールを集めている最中のことだった。気持ちがいいほど遠くに飛ばされたボールを、意地になって捜していたとき、見つけた。ガサガサと音を立てて草を踏み分けてきた阿部にも気付かずに、榛名は、ただ、じっと。見つめていたのを本当は見てはいけなかったのだ。けれど見つけてしまった事実を消せない阿部はしばらくそこに立ち尽くしていた。こんなところじゃなくって、もっと、近くで。浮かんだ言葉をかけることはどうしてもできない。それほど榛名は遠かった。夕陽はちょうど自分たちの真横にあって、グラウンドを燃えるような色に染め上げていた。視界が数瞬定まらずにぼんやりと揺れる。そのせいで腕に抱えたボールがポツンと、落ちた。音に気付いた榛名はようやく顔を上げると、阿部に気付いて少し笑った。笑ったのだと思う。オレンジ色の光が陰影を作ってよくは見えなかった。足元に転がってきたボールを気だるげに拾い、片手にすっぽりと収めると無表情が崩れて頬が歪んだ。大きく、振りかぶる真似をして投げ出されたボールはゆっくりと放物線を描いた。ポーン、と音がしそうなボールを阿部が器用に片手で受け止めると、榛名は「ナイキャ」とイタズラっぽい、いつも通りの笑顔を見せると背中を向けて歩き出した。オレンジ色の道。小さくなっていくのをしばらく見ていると、突然榛名が立ち止まる。その後再び歩き出した背中の向こうから白い靄が榛名を包もうとしては消えていくから、煙草に火をつけたのだと分かった。けれど充分過ぎるほどに離れていたから、香りすら阿部には届かなかった。
思い出すことはいつも小さなことばかりで、そんなことが脳裏を過ぎるたびに、阿部はうずくまってため息をつきたいような、それとも走り出してしまいたいような気持ちにさせられる。何で、と思うものの答えを浮かばせはせずに、むしろ振り切るように阿部は窓の外に目を凝らす。誰もいない、ただ影が伸びていくだけの校庭。
テストが終わり、教官室や職員室に張られた張り紙が外されても、阿部は意地になったように生物室へは行かなかった。しかし頑なな態度が通用したのはテストが終わって一週間だけだった。崩したのは副担任の「阿部、野球部だよな?」の一言だ。
「そうですけど……?」
あからさまに警戒心をみなぎらせた阿部の言葉を頓着せずに、教師は慌しくプリントを押し付けた。
「あのさ、榛名先生って野球部の顧問だったよな?コレ、届けといてくれないか?オレ、今日中に全部の先生に渡さなきゃなんないんだよ……!何でみんな職員室にいねぇんだ!」
作品名:仰げば尊し 作家名:フミ