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ゆっくりとおとなになりなさい

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「あべっ!」
 昼下がりの渡り廊下によく通る声が響いた。振り仰いだ二階の教室からのぞいた顔には嫌というほど見覚えがある。はっきりと決められた衣替えのない西浦高校では、夏から秋への季節の移り変わりは曖昧で、今日のように汗ばむくらいの陽気には、十月に入っても田島のように半袖をひらめかせる姿は珍しくない。眉をほんの少し寄せ手を上げることで答えると、田島はおおきく両手を振った。窓から落ちそうなほど身を乗り出した田島を止めようとしているのは花井だろう。二まわり以上おおきな影が背後から手を伸ばすのを振り切って、田島は
「あのさあ!」
と無邪気さの残った声を張り上げる。阿部の隣で同じく二階を見上げていた栄口が、あぶないなあ田島、と呟くように言った。その口調に今ひとつ真剣味が足りないのももっともだ。あれくらいのことは田島と一年半付き合ってきた今では日常の範囲内で、それに一々反応して気疲れしているのは花井くらいだった。その二人が同じクラスだというんだから、ご愁傷様というしかない。
「はる――、―ロ――だって!」
 よく日に焼けた口元にこぼれた歯の白さがぱくぱくと形を変える。田島はなにかを叫んでいるようだったが、切れ切れに聞こえる音だけでは上手く文章にならない。
「なんだよ! 聞こえねえ!」
「だからあ!」
 怒鳴り返すと田島は焦れたように窓枠を掴む。まだ少年の域を出きらないちいさな体が弾みをつけて前にのめった。
「はるな、プロだって!」
 その言葉の意味を阿部は正しく理解できなかった。鋭角に二階を仰いだまま、深く一回瞬きをする。阿部が光に入ったフライの行方を捜すときのように目を細めるのと、栄口が発声のわずかな風圧で壊れてしまうものを前にしたような囁き声で、榛名さん? と漏らしたのは同時で、その一瞬あとに、思い出したように鳴ったチャイムとともに、驚きが降ってきた。