迷子
「どうした?」
気がつくとそう声をかけられた。
見上げると、そこには黒い影法師がゆらりと揺らいでいる。
(・・・・・・・誰・・・・・・・?)
目を凝らしてその影法師の、はっきりした姿を見ようとした。
けれど、真昼のお日様の眩しい光を背に受けていて、やっぱり影のまま。
「何を泣いている?」
再びそう聞かれて初めて自分が泣いているのに気がついた。
わたしは慌てて、その涙を腕で拭い。
「・・・・・・・迷子に、なったの。」
たどたどしく掠れた声でわたしは、影法師にそう答えた。そう答えると影法師がまた揺らいだ。
「じゃあ、連れていってあげよう。」
その瞬間、急に目の前がハッキリした。
わたしのそばにつばの広い黒い帽子と黒い背広の”お兄ちゃん”がいて、わたしを見下ろしている。
「”お兄ちゃん”誰?」
そう聞いてみる。すると黒いお兄ちゃんは笑った。
「怖がらなくていい。僕がお母さんのところまで連れていってあげるよ。」
わたしに向かって手を差し伸べた。
「本当?」
わたしはちょっとだけ迷った。
この”黒いお兄ちゃん”について行って大丈夫かな?” この”黒いお兄ちゃん”は、もしかしてヒトサライじゃないかしら?小さな不安がわたしを怖がらせる。
戸惑っていると”黒いお兄ちゃん”が苦笑した。
「ああ、大丈夫。心配しなくてもいい。」
わたしの目を見つめて。
「お母さんと友達なんだ。ずっと君を探してた。」
そういった。
「・・・・・・・つれてってくれるの?本当に?」
わたしはお兄ちゃんの黒いその姿と同じ瞳を見返して、そう聞いた。
「ああ。」
黒いお兄ちゃんは頷く。わたしは思いきって、それでも恐る恐る差し伸べられたその手を取った。
(あ)
その手を取って引き上げられた途端にふわりと、身体が浮いた。黒いお兄ちゃんとの距離も近くなった。
「”立てた”だろう?」
「うん。」
わたしは大きく頷いた。
”立てた”それだけで嬉しい気がした。
自分の足で”立ってる”。 ―――それはずっと忘れていた、感覚。
「大丈夫だな。」
黒いお兄ちゃんがつぶやく。
「さあ、行こうか。」
わたしの手を握って黒いお兄ちゃんは歩き出した。
わたしも微かに暖かいその手を握り返しながら、その後をついて行く。
そして。
黒いお兄ちゃんとわたしは”そこ”から、歩き出した。ほんの少しの好奇心を、ともなって・・・・・・
どんどん、歩いていく。
見知らぬ街、見知らぬ人達、そして動く奇妙な”物” 初めて見るその風景にわたしは驚きながら、目を丸くする。
キョロキョロと見ていたら黒いお兄ちゃんが歩きながら今、歩いているのは ”○×町”だと教えてくれた。
「面白いねぇ、面白いねぇ」
歩きながらわたしは、はしゃいでいた。こんなに楽しいのは”久し振り”。
ずっと、変わらない風景を、見てたから・・・・・・・。
「あ。」
空を見上げたら、ふわふわと何かが飛んでいる。白くて見たことがない変な、もの。
「あれは何?」
空を指差してわたしは黒いお兄ちゃんに聞いてみた。
「ああ、あれは外国で作られた”風船”というものだよ。」
目を細めて黒いお兄ちゃんはそういった。
「ふう〜ん」
わたしはそれを物珍しそうに眺めた。
ふわふわと、それは風に流されるように空に浮かんでいる。
「さあ、行こうか」
飽きずに見ていたら黒いお兄ちゃんに、そう促された。
「うん。」
わたしは空の、その”ふうせん”に目を奪われながらも頷いた。黒いお兄ちゃんに手を引かれもう一度、歩き出す。
何時間、歩いたんだろう。
もう数え切れないくらい、いろんな街を通りすぎた。
目に見えるもの、聞くもの・・・・・・・何でも珍しくてわたしは黒いお兄ちゃんにいろいろと質問した。
黒いお兄ちゃんは、そのたびに質問に答えてくれた。
そして、黒いお兄ちゃんといる時間は、とても楽しかった。
歩いても、歩いても、まるで自分の足に羽がついているみたいに軽くて疲れなかった。
気がつくと、もうお日様は山の向うに沈んでいく時間になっていた。空はさっきまで青々としていたのに、すっかり赤く染まっている。
そして、黒いお兄ちゃんとわたしはいつのまにか森の中に足を踏み込んでいた。
「ここ、知ってる」
わたしはそうつぶやいていた。
そうだ、ここは。
心の中のもやもやがその風景を見て晴れていくのが、分かる。
ずっと、忘れていた。
そう、ここは・・・・・・・
「知ってるよ。」
「そうか」
黒いお兄ちゃんが頷くと、わたしの手を離す。
「小夜子ちゃん。」
初めてわたしの名前を黒いお兄ちゃんが呼んだ。わたしはびっくりして目をみはった。
「お兄ちゃん、わたしの名前知ってたの?」
「ああ。」
もう一度、頷くとそのままわたしの目線まで黒いお兄ちゃんが腰を下ろした。
「ここが、どこかもう思い出しただろう?」
じっと目を見つめてそういった。
「うん。」
わたしは、はっきりと頷いた。そうだ、ここはわたしの住んでたお家のお庭だ。
でも。何でだろう?ずっとずっと忘れてた気がする。
「なら、もう1人で帰れるね?」
「うん。」
その言葉に頷くと黒いお兄ちゃんが笑った。そして黒いお兄ちゃんは、立ちあがると森の向うへと指を指す。
「さぁ、お帰り。あすこへ行けば帰れるから。」
いわれるまま、その指差した方向へ視線を向けると ”ぼう”と淡く輝く、道が見えた。
とん、と黒いお兄ちゃんがわたしの背中を後押しした。わたしは少しだけ振り返って、黒いお兄ちゃんを見る。
「さぁ、お帰り。」
そういって優しく笑った。
「うん。ありがとう、お兄ちゃん!!」
手を振った。わたしは駈け出した。
やっと。
やっと、お家へ帰れる。
はやる心を押さえながら、
わたしは、お家へ帰れる。
「ありがとうごさいました。」
その夜。
1人の娘が魔実也に頭を下げた。とあるカフェの一角。
「これで、やっと肩の荷が降りました。」
娘はいう。
「父が”小夜子”ちゃんをさらってあんなひどいことを、しなければ・・・・・・・。あんなところに、たった1人で留まってはいなかったと思います。」
娘はそういって目を伏せる。窓ガラスの娘の顔は、店内の灯りで何処か青ざめて見える。
「そう気にしない方がいいですよ。」
仄かな灯りの下、ふわりと紫煙が浮かぶ。
「あれは貴女の父上がやったこと。貴女には何も関りがないことです。」
数年前。
ある男が病を患っていた。重度の精神病だった。
男はサナトリウムに入院していたが、ある日そこを脱走した。その時、行きずりに女の子をさらい○×町の橋の上で勢い余って殺してしまった。
男はそのまま通行人に取り押さえられたが、女の子は絶命したという。
・・・・・・・それから月日が経ち、男のたった一人の身内である娘が成人を迎える。娘は以前から自分の父が犯した罪をまるで自分の事のように悔いていた。
いつしか○×町の橋のたもとに花と線香を毎日、供えるようになる。そして、ある日その橋のたもとにうずくまる”女の子”を見かけるようになった。
気がつくとそう声をかけられた。
見上げると、そこには黒い影法師がゆらりと揺らいでいる。
(・・・・・・・誰・・・・・・・?)
目を凝らしてその影法師の、はっきりした姿を見ようとした。
けれど、真昼のお日様の眩しい光を背に受けていて、やっぱり影のまま。
「何を泣いている?」
再びそう聞かれて初めて自分が泣いているのに気がついた。
わたしは慌てて、その涙を腕で拭い。
「・・・・・・・迷子に、なったの。」
たどたどしく掠れた声でわたしは、影法師にそう答えた。そう答えると影法師がまた揺らいだ。
「じゃあ、連れていってあげよう。」
その瞬間、急に目の前がハッキリした。
わたしのそばにつばの広い黒い帽子と黒い背広の”お兄ちゃん”がいて、わたしを見下ろしている。
「”お兄ちゃん”誰?」
そう聞いてみる。すると黒いお兄ちゃんは笑った。
「怖がらなくていい。僕がお母さんのところまで連れていってあげるよ。」
わたしに向かって手を差し伸べた。
「本当?」
わたしはちょっとだけ迷った。
この”黒いお兄ちゃん”について行って大丈夫かな?” この”黒いお兄ちゃん”は、もしかしてヒトサライじゃないかしら?小さな不安がわたしを怖がらせる。
戸惑っていると”黒いお兄ちゃん”が苦笑した。
「ああ、大丈夫。心配しなくてもいい。」
わたしの目を見つめて。
「お母さんと友達なんだ。ずっと君を探してた。」
そういった。
「・・・・・・・つれてってくれるの?本当に?」
わたしはお兄ちゃんの黒いその姿と同じ瞳を見返して、そう聞いた。
「ああ。」
黒いお兄ちゃんは頷く。わたしは思いきって、それでも恐る恐る差し伸べられたその手を取った。
(あ)
その手を取って引き上げられた途端にふわりと、身体が浮いた。黒いお兄ちゃんとの距離も近くなった。
「”立てた”だろう?」
「うん。」
わたしは大きく頷いた。
”立てた”それだけで嬉しい気がした。
自分の足で”立ってる”。 ―――それはずっと忘れていた、感覚。
「大丈夫だな。」
黒いお兄ちゃんがつぶやく。
「さあ、行こうか。」
わたしの手を握って黒いお兄ちゃんは歩き出した。
わたしも微かに暖かいその手を握り返しながら、その後をついて行く。
そして。
黒いお兄ちゃんとわたしは”そこ”から、歩き出した。ほんの少しの好奇心を、ともなって・・・・・・
どんどん、歩いていく。
見知らぬ街、見知らぬ人達、そして動く奇妙な”物” 初めて見るその風景にわたしは驚きながら、目を丸くする。
キョロキョロと見ていたら黒いお兄ちゃんが歩きながら今、歩いているのは ”○×町”だと教えてくれた。
「面白いねぇ、面白いねぇ」
歩きながらわたしは、はしゃいでいた。こんなに楽しいのは”久し振り”。
ずっと、変わらない風景を、見てたから・・・・・・・。
「あ。」
空を見上げたら、ふわふわと何かが飛んでいる。白くて見たことがない変な、もの。
「あれは何?」
空を指差してわたしは黒いお兄ちゃんに聞いてみた。
「ああ、あれは外国で作られた”風船”というものだよ。」
目を細めて黒いお兄ちゃんはそういった。
「ふう〜ん」
わたしはそれを物珍しそうに眺めた。
ふわふわと、それは風に流されるように空に浮かんでいる。
「さあ、行こうか」
飽きずに見ていたら黒いお兄ちゃんに、そう促された。
「うん。」
わたしは空の、その”ふうせん”に目を奪われながらも頷いた。黒いお兄ちゃんに手を引かれもう一度、歩き出す。
何時間、歩いたんだろう。
もう数え切れないくらい、いろんな街を通りすぎた。
目に見えるもの、聞くもの・・・・・・・何でも珍しくてわたしは黒いお兄ちゃんにいろいろと質問した。
黒いお兄ちゃんは、そのたびに質問に答えてくれた。
そして、黒いお兄ちゃんといる時間は、とても楽しかった。
歩いても、歩いても、まるで自分の足に羽がついているみたいに軽くて疲れなかった。
気がつくと、もうお日様は山の向うに沈んでいく時間になっていた。空はさっきまで青々としていたのに、すっかり赤く染まっている。
そして、黒いお兄ちゃんとわたしはいつのまにか森の中に足を踏み込んでいた。
「ここ、知ってる」
わたしはそうつぶやいていた。
そうだ、ここは。
心の中のもやもやがその風景を見て晴れていくのが、分かる。
ずっと、忘れていた。
そう、ここは・・・・・・・
「知ってるよ。」
「そうか」
黒いお兄ちゃんが頷くと、わたしの手を離す。
「小夜子ちゃん。」
初めてわたしの名前を黒いお兄ちゃんが呼んだ。わたしはびっくりして目をみはった。
「お兄ちゃん、わたしの名前知ってたの?」
「ああ。」
もう一度、頷くとそのままわたしの目線まで黒いお兄ちゃんが腰を下ろした。
「ここが、どこかもう思い出しただろう?」
じっと目を見つめてそういった。
「うん。」
わたしは、はっきりと頷いた。そうだ、ここはわたしの住んでたお家のお庭だ。
でも。何でだろう?ずっとずっと忘れてた気がする。
「なら、もう1人で帰れるね?」
「うん。」
その言葉に頷くと黒いお兄ちゃんが笑った。そして黒いお兄ちゃんは、立ちあがると森の向うへと指を指す。
「さぁ、お帰り。あすこへ行けば帰れるから。」
いわれるまま、その指差した方向へ視線を向けると ”ぼう”と淡く輝く、道が見えた。
とん、と黒いお兄ちゃんがわたしの背中を後押しした。わたしは少しだけ振り返って、黒いお兄ちゃんを見る。
「さぁ、お帰り。」
そういって優しく笑った。
「うん。ありがとう、お兄ちゃん!!」
手を振った。わたしは駈け出した。
やっと。
やっと、お家へ帰れる。
はやる心を押さえながら、
わたしは、お家へ帰れる。
「ありがとうごさいました。」
その夜。
1人の娘が魔実也に頭を下げた。とあるカフェの一角。
「これで、やっと肩の荷が降りました。」
娘はいう。
「父が”小夜子”ちゃんをさらってあんなひどいことを、しなければ・・・・・・・。あんなところに、たった1人で留まってはいなかったと思います。」
娘はそういって目を伏せる。窓ガラスの娘の顔は、店内の灯りで何処か青ざめて見える。
「そう気にしない方がいいですよ。」
仄かな灯りの下、ふわりと紫煙が浮かぶ。
「あれは貴女の父上がやったこと。貴女には何も関りがないことです。」
数年前。
ある男が病を患っていた。重度の精神病だった。
男はサナトリウムに入院していたが、ある日そこを脱走した。その時、行きずりに女の子をさらい○×町の橋の上で勢い余って殺してしまった。
男はそのまま通行人に取り押さえられたが、女の子は絶命したという。
・・・・・・・それから月日が経ち、男のたった一人の身内である娘が成人を迎える。娘は以前から自分の父が犯した罪をまるで自分の事のように悔いていた。
いつしか○×町の橋のたもとに花と線香を毎日、供えるようになる。そして、ある日その橋のたもとにうずくまる”女の子”を見かけるようになった。