お姫様は頭の痛いお遊びがお好き
お姫様は頭の痛いお遊びがお好き
年が明けて二日目。竜ヶ峰家は途端ににぎやかになる。折原一家が新年の挨拶にやってくるからだ。毎年、交代で互いの家を訪れるのが両家の正月の習わしだった。今年は竜ヶ峰家が迎える側だ。
呼び鈴に出迎えた帝人は、もう何度口にしているか分からない新年の挨拶を、はにかむような顔で唱える。けれど、分かりやすくがっかりとした顔を見せていた。
臨也が、いないからだ。子どもは正直である。
「ごめんね帝人くん、あの子が遅れて行くって連絡よこしてきたの、ついさっきだったのよ」
よく事情を理解している伯母に言われる。
「駄目じゃないの帝人。そんな顔して、失礼でしょう」
「うん、ごめんなさい……」
母親にたしなめられる帝人に、夫妻はくすくすと笑う。いつものことだから。しょんぼりとした帝人の柔らかい髪を、ふたつの手のひらが撫でる。
「ごめんねぇ、イザ兄ったらきっと寝坊してるんだよ」
「必(絶対、とんで来るよ)」
「クルちゃん、マイちゃん」
くすぐったように身体をちぢこめる帝人に、双子はそろってにっこり笑って、両側から腕を捕まえて。呼吸はぴったりで、帝人が気づいた時には羽交い締めも同然の格好になっていた。
「おっじゃましまーす!あー寒かった、おこた行ってあったまろうねっ!」
「寒(こごえそう)」
「うわあぁ?!」
両脇からひょいっと抱えられた小さな帝人は、なすすべもなくアクティブな双子のお姉様たちに運ばれていった。大人たちは談笑しながら奥の間へと入っていく。
いつも通り、平和な年初め。毎年の風物詩である。
昼過ぎ頃。折原家の長男を除く全員で出かけた初詣の後、一服している時だった。ちょうど彼らが帰ってきたタイミングを見計らったかのように鳴らされる、呼び鈴。
「こんにちはー。あけましておめでとうございます。ちょっと仕事片付けてたら遅くなっちゃった」
実家とは別に居を構えているし、一人暮らしを始めてから今まで元日に帰ってきたためしがない。けれど臨也は、なんだかんだと遅ればせながらも顔を見せるのだ。
居間からひょこりと顔を出した帝人が、とことこと駆けてくる。
「あけましておめでとうございます、臨也さん!」
「おめでとう。はいこれ、お年玉」
ぎこちなくお辞儀をする帝人に、臨也はくすりと笑いながらポチ袋を差し出す。
嬉しそうに受け取る少年に笑みを向けるその姿はさながら、齢二十代にして親戚の子を可愛がる『親戚のおっちゃん』そのものの貫禄であったと、彼を見た者は口をそろえて語る。
「いいなぁいいなぁ、私たちにもはくれないの!?」
「狡(帝人くんだけ、ずるい)」
帝人に向けたものとは打って変わって、臨也はうんざりとした表情でコートを脱ぐ。両手を伸ばして待ち構えている帝人に彼は表情を和らげて、ファーつきロングコートを子どもに預ける。
「なんで実の妹にお年玉をやらなきゃいけないんだ。お前たちだって他の大人からたっぷりもらってるだろ」
「正月に子どもにお年玉を渡すのは社会人の義務なんですぅー!」
「稼(いっぱい稼いでるくせに)」
「どこの世界の常識だよそれは?少なくとも俺が住む日本って国では初耳だな」
大きなコートを預かったはいいが持て余し、臨也からもらったお年玉を握りしめ、頭上で交わされる折原兄妹のやりとりにおろおろしていた帝人は、「あ、あの、」と遠慮がちに声をかける。
「ごめんなさい臨也さん、やっぱり僕、これもらえない、です」
言われてみれば確かにひとり占めしたみたいだし、喧嘩の火種になるなら始めから手にしないほうがいい。彼なりに、いろいろと考えた結果だった。
か細い声に口を閉じた兄妹は、ほんの一瞬だけ視線を交わした。そして。
「変な遠慮はしないの!もらったお年玉は有意義に使う、これ未成年の義務!ねっ」
「そうそう、俺の手元から離れた時点でそのポチ袋は帝人くん、君のものになったんだから。返品不可だよ」
「考(なに買うか、決めよ)」
あらゆる意味で屈折した兄妹であるが、頭の回転の早さは数少ない共通点だ。しかもそれが、こと帝人に関する場合は磨きがかかるのも同じ。
――どうするのイザ兄
――どうってそりゃあもちろん
――休(一時休戦だね)
その間わずかコンマ五秒。目配せだけで意志の確認。最優先されるべきは帝人である。その帝人に正月そうそう後味の悪い思いをさせるわけにはいかない。
「帝人くん何か欲しいものないの?」
「えっとね、パソコン買おうかなって。母さんがね、言いつけを守るならお年玉で買ってもいいって」
すかさず姉妹が話題を逸らす。まだデスクトップかノートかすらも決めていない。じゃあ新聞の折り込みチラシ見てみなよ、絶対新春セールとかやってるよ、と言われて。母親にチラシの所在を訪ねながら、帝人が気づいた時には玄関に臨也の姿はなかった。
影みたいな人だ、と彼はいつも思う。
居間に戻ると臨也がこたつに入って、台所の缶ビールを取りに来た帝人の父親と談笑していた。庶民的生活の代表みたいなこたつとか、嫌みも皮肉もない世間話だとか。新宿での折原臨也を知っている者が見れば、呆気にとられるか、脱力するか、爆笑するか。臨也の裏の顔を知らない帝人少年はただ、「なんとなく似合わないなぁ」と思った程度だった。
近所のおっちゃんたちが帝人の父親を連れ出しに来て、席を立つのをやはり好青年然とした顔で見送って、臨也はさらりと言う。
「やあ帝人くん、パソコン欲しいんだって?暇だし電器屋まで買いに行く?」
思い切ってパソコンが欲しいと、帝人が母親にお伺いを立ててみたのが昨日のこと。懇々と説き伏せてお許しをもらったのが今朝。誰にも打ち明けていなかったことを、東京にずっといたはずの臨也がなぜ知っているんだろうと、帝人はちらりと考えた。考えただけで止めた。帝人ももう少し成長すれば、うっすらと得体の知れなさを感じ始めるのだが、今はまだ深く考えるに至らない。
なんで知ってるの、と率直に尋ねても、本人はごく当たり前の一般常識を説くような時と同じ顔をして言う。
「だって俺は素敵で無敵な情報屋さんだからね!」
情報屋だから、その一言で片づけていなければ、その後の竜ヶ峰帝人の人生も変わっていたかもしれない。まさか帝人も、自分に関するありとあらゆる情報を押さえられているとは思いもしていない。臨也だってそこまで暇でもないので、常に新鮮な情報を仕入れ続けているのは帝人限定ではあったが。
情報屋。読んで字の如く、かと思いきや具体的な内容がさっぱり分からない怪しげな単語に『非日常』のにおいを嗅ぎ取って、その時の帝人はなんとなく納得していたのだった。
「ちょっとー、帝人くんは私たちと買い物行くって決めてたんだからぁ!」
「え、そうなの?そうだっけ?!」
「決(さっき決まったの)」
「帝人くん、嫌なら嫌ってはっきり言わないと、こいつらには通じないよ」
帝人はぱたぱたと手を振る。我が道を行く人たちだけど、嫌いではないのだ。
「別に嫌ってわけじゃないんだけど、うん、ちょっとびっくりしただけ」
「謝(ごめんね)」
「……で、なんだって?」
露骨に面倒くさそうな顔をする臨也に、舞流はにいっと笑って、親指で障子の向こうを指す。
「表出ろイザ兄」
作品名:お姫様は頭の痛いお遊びがお好き 作家名:美緒