もう君が居ない
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
顔を洗って鏡を見る。そこには確かに折原臨也が居た。
良かった、昨夜は変なことをしたから此処にいる自分は別人じゃないかと疑っていた。
気分は二日酔いの気持ち悪さは変わらずあるものの、それよりも倦怠感が酷かった。
まるで精気を吸い取られたみたいだ。
「…酷い顔色。」
誰かにそう言われたが自分でもそう思う。
俺はふらっと外へ出た。
相変わらず天気が良い。この世の終わりのような日はまだ来ないらしい。
そう思って俺はいつからこの世の終わりを望むようになったんだっけ、と考えようとした。
けれど考えはもちろんまとまらない。
ああ、駄目だ。ここが外で歩道だってことはわかってるけれど、今すぐに倒れてしまいたかった。
いっそ車道にでも寝っ転がろうか、そしたら案外世界は早く終わるかもしれない。
「大丈夫ですか?」
まただ、声がする。
俺は俯いたまま答えた。
「大丈夫なわけ無いだろ。気持ちが悪くて吐きそうだ。」
「それは大変ですね、とりあえず何処か中に入りましょうよ。」
?
声の方を見ると、そこには帝くんが居た。
「とりあえずすぐそこが臨也さんちなんですから、いったん部屋に戻りませんか?」
「・・・。」
「驚きました。臨也さんに会おうと思って来たんですけど、まさかこんな昼間から外に居ると思いませんでした。」
「・・・。」
「あ、もしかして何処か行かれるとこだったんですか?」
帝くんは首を傾げる。
そこで初めてマナという少女が帝くんと似ていると思った。
「…楽しかったの?旅行。」
「え?あ、もちろん楽しかったですよ!あんなに綺麗な海を見たのは初めてでした!」
興奮してしゃべる帝くんに俺はため息をひとつ吐いた。
「あ、すいません気分悪いのに僕、ペラペラと…。」
背中に手を当てられて、部屋へ戻るよう促される。
少し視線を左下に向ければすぐそこに帝くんが居たから、俺はなんだかどうでも良くなった。
「どうぞ。」
部屋に戻ってからお茶が入ったコップを手渡され、冷たいそれを一気に飲み干す。
「体調悪かったんですか?」
うわ、何それ。俺の体調が悪い原因を作った張本人が何を言ってんだか。
それは3日だか4日前の話だ。
「旅行?」
訝しげに言う俺の前で帝くんは微笑んだまま楽しそうに言う。
「旅行っていうか…合宿みたいなんですけど。」
「で、何処へいくの?」
「沖縄です。」
学校のなんだかで合宿があって今回それが初めて沖縄で行われるらしく、帝くんは申し込んだらしい。
嫌だな、その間俺は帝くんに会えないじゃないか。
「…俺から離れて君に生きる場所があるの?」
「ぇ…。」
「ホラね?」
俺は笑う。恋人の俺がこんない行ってほしくないと頼んでいるんだから君は行くべきじゃない。
それなのに帝くんは時々俺より残酷だ。
「やだな、臨也さん。たったの3泊4日ですよ。」
あははと、笑う帝くんはまさに小悪魔だった。
「そういえば臨也さんに『パイナップルカステラ』をお土産に買ってきたんです。気分がよくなったら食べてみて下さい、甘さ控えめで美味しかったですよ。」
にこにこと帝くんは言う。
「…帝くん。」
「あ、今食べますか?」
「違う。ソレ、あげる。」
俺は机の上に置きっぱなしにしていた小さな箱を指さす。
「え?」
「あげる。」
帝くんは開けても良いですか、と聞くので君にあげたんだから好きにしていいと答えた。
「わ…っ。」
キラキラと控えめに光るその石がなんとなく君に似合う気がしたんだ。
「これ…ゆび、わ……。」
「安いよ。」
だいたいあの時愛想笑いばかり浮かべてた店員が、『恋人への贈り物などいかがですか?』なんて言うもんだから一瞬俺は言葉に詰まった。
そんな俺を見て店員はそれまでの愛想笑いを引っ込めて心から微笑ましそうに笑う。
だから、なんだか買ってしまった。柄じゃないのは承知してる。
「ありがとう、ございます。」
感激したように言う帝くんは小指に指輪をはめていた。
…小指…。
「なんで、小指なの?」
「え?」
言外に薬指じゃないの?と帝くんを責めた。
「あ、でもこれ小指にピッタリなんで…。」
どうやら薬指にしてはサイズが小さ過ぎたらしい。
「むかつく・・・取り替えて貰う。」
そう言った俺を帝くんは慌てて宥めた。
『恋人さん、きっと喜びますよ。』最後に店員が言った言葉が頭に浮かぶ。
たぶん、その通りにはなったんだと思う。
マナという少女のときだってそうだ。その少女が君と似た顔で僕を心配するから、お茶を差し出すその手を振り払えなかった。
『ちゃんと受け取ってください。』俺の中の帝くんが隣でそんな風に叱るから。
男子高校生たちのときもそうだ。彼らが君と同じ高校の制服さえ着てなければ助けるなんて気無かった。
『お願いします、臨也さん。』俺の中の帝くんが隣でそんな風にお願いするから。
そうなんだ、帝くんが俺の近くに居なければ居ないほど、俺の中の帝くんが俺を支配する。
帝くんが側に居なきゃ俺は『折原臨也』のままじゃ居られなくなる。
『折原臨也』らしい行動ができなくなる。
俺の中から『折原臨也』が消えたら、そこに残るのは一体誰なんだろうか?
きっと妙に偽善者ぶった胡散臭い男。
君に離れられたら俺は『俺』のままでは生きられない。
「臨也さん、僕、本当に嬉しいです、その…。」
「そう。」
まだ喋るつもりの帝くんと額と額を合わせた。
近くなった距離に君は黙る。
帝くんの目の中に折原臨也が居た。
「ねぇ、帝くん。今、俺の目の中には誰が居る?」
「え?僕が居ますけど…。」
「そう。」
やっぱり鏡とは違う。
俺の目の中には君が居る。そうじゃなきゃやってられないよ。
「あ、あの、臨也さんっ…。」
「静かに。目を閉じて。」
帝くんは素直に目を閉じた。
もし、今君が目を開いていればそこには泣きそうに笑う折原臨也が居ることだろう。
でも、もうそんなことを考えるのは止める。俺は最も愛しいその存在に口付けた。
帝くんが此処に居る。
それならもう、世界がどうなろうと知ったこっちゃ無い。