夢のあと(短編集)
きみはぼくを駄目にする
飽きもせずにその後ろ姿を眺めていると高校のころを思い出す。今は自由席だから後ろから眺めるということがあまり出来ないし、それだけのために後方に座るのは怪しんでくれと頼んでいるようなものだと分かっていたし、そこまでしたくはない。だから席が指定されていて、しかも沢木のすぐ後ろにいられるこの授業の時間は貴重で、いつまで経っても飽きなかった。彼の背中を眺めるとき僕は何も考えていない。ただただ一心に彼の姿が視界一杯に広がっているのを楽しむ。今は授業に聞き入っているようだが高校生のころはよく窓の外を眺めていた彼だったことをすこし思い出す。だが、普段は感づかれやすかったぶん、眠りに入ってしまうとこちらのものだった。それこそ自分の視線がX線になった気分だった。制服の下を知りたいと僕は男子高校生の常としてそればかり考えていた。無論沢木の背中くらいは知っている。夏のプール講習であきれる程目にした。でもそれとこれとは別だった。私服なのに制服時代よりも彼がかしこまっているように見えるのはまだ大学に慣れていないだろうか。さっきから教師の声は耳を素通りしていくばかりだ。ノートなんて取れているわけがない。全く彼ときたらどこまで自分を夢中にさせるつもりなのだろう。と思う間も無く彼がそっと振り返った。
「ばーか」
唇がそう動くのを目視したならば、顔を赤らめて俯く以外選択肢はなかった。
<左腕が痛いだけ>
幼馴染みがすやすやと寝息をたてて眠っている。さらさらとした髪が腕にかかる。こうして触れてみるとウィッグだということがよく分かった。幼馴染みの髪は細く切れやすい質だから、プールの授業がある夏はいつも脱色されていたのを思い出した。すると透けるようにに白い肌と相まって彼は光の加減でともすれば白人のように見えたものだ。中高の間女子に羨ましがられた長い睫毛には今や化粧の力まで加わって青白い瞼に影を落としていた。化粧をした彼の顔をこんなにまじまじと観察したのははじめてだった。化粧をしたままで寝るのはよくないらしいとぼんやりとは分かっていたもののだからといって起こす気もなかった。つう、と頬を撫でてみる。予想に反して粉っぽい感触はしない。面白くなって今度はふにふにと柔らかな頬をつついてみた。ん、と呻いただけで幼馴染みは起きない。寝返りを打つような素振りを一瞬見せたが今の枕から落ちてしまうことを無意識のうちに察したのか再び元の位置に戻った。つまりは一番悪戯しやすい場所。だがあいにくと油性ペンの持ち合わせがない。ついでに言うと今の体制では取りに行くことも叶わない。刺激がなくなったせいか寝息は再び安らかなものになった。それがつまらなくて再び頬をつついてみる。
「起きろよ、蛍」
耳元で囁きながら、それとは反対のことを思った。