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【ヘタリア】声が雑踏に消える【忠告あり】

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「声が雑踏に消える」


その男を認識できるのはイギリスことアーサー・カークランドだけになっていた。しかしそれは間柄の親しさでもなければ因縁による可視ではなく、彼の特技である人ならざるものに聡いという一点のみでつながりだった。その男はカークランドにとってあまりいい思い出を持つ人物でなかったのではじめて男が視界に入ったときは苦い気持ちになり、あまつさえ彼との交流があった頃の高圧的な態度もとっていた。その男があの頃あの状態のあの場所にいた男だと知るや否や男がもっとも苦手としているだろう、そして自分にとっては身近な人物を引き合わせてやろうか、それがいやならば日本こと本田菊を自分の都合がいいように動かせるような工作をしろ、といってのけたのだ。男はそのときかわらぬ皮肉っぽい笑みを浮かべて「どうぞ、誰でもお呼びください。数箇所ある緊張状態の人はあまり刺激しないでもらえればうれしいですが」と小首を傾げるのだった。絶望に顔を染め慄いて唇を震わせるものだと思っていたカークランドは拍子抜けすると同時に眉をひそめた。どういういみだ、と口を開けかけたときに男は唇に人差し指を一本立てて沿え、何も言うなと命じてきた。不意のことに思わず黙っていると人の足音が近づいてきてふいっと本田が顔をのぞかせた。
「ああ、ここにいたんですね。食事の準備中とはいえお構いできずに済みませんでした。こんななにもない部屋でなくてさきに居間にいてください。すぐに用意も終わりますから」
そういってカークランドにだけ話しかけ、少し着替えるといって男の前を通り過ぎて奥の部屋へ姿を消した。
「あの子でさえあの調子だ。ほかの誰がきたところで俺の姿なんてやすやすと見えない」
本田が入った部屋をぼんやりとした目で見つめながらの男の声色は妙に胸に響いて壮絶な虚無感を掻きたてた。カークランドがようやく絞り出した声は震えてはいないものの緊張していることを本人が良く自覚していた。
「おまえ、は」
「ただの亡霊ですよ。忘却はあの子が望んだことです。それに私は「どこ」でもないし「なに」でもない。ただ時間が忘れたくて忘れられない空白を埋めているだけ」
たぶん。とつけて男ははにかんだ。しょうがないんだ、とでもいいたげな顔で何も納得した様子はなかった。
そのときの会話はそれだけだった。尋ねたいこともいろいろとあったはずだのに、早くおいきなさい、と本田が戻らないあいだに居間へと追いやる亡霊の声に素直に応じてしまった。
そこからアーサー・カークランドと自らを亡霊だと言う男との奇妙な交流は続いていた。
男はいつでも表れることはなく、カークランドも頻繁に本だの家を訪れることもできないためその密会じみた会話は年に数回あるかないかだった。
「どううしても合いたいのならば、夏の盛りに来るといい」
そういう助言をしたのは男のほうからだった。曰く、彼が抱いている時間と場所と魂を深く考えようとするのが夏場だと言うのだ。それも暑い盛り、8月の中ごろまでだ、と。
カークランドには最初その意味が分らなかったが、予言どおり夏場に何度か足を運ぶとその口実にふと眼が留まった。あぁ、そうか、それで。と一人でうなずきながら、そうやって思い起こされると言うのは本田だけでなくあの男にとって酷い苦痛じゃないのか鈍く長い痛みじゃないのか。それを本人に問いかけることはカークランドにはできなかった。かつては狂気に思えた瞳はりんとして真っ直ぐで子供のようにさえ思えたからだ。

セミ達がけたたましくなくころカークランドは本田の家を目指していた。しかし肝心の家主はいない。なにかの式典があるといって出かけていることをスパイ達から事前に聞いている。伊達にスパイ国家の名前をしていない、のまえにこの家は自分が狙われるかもしれないと言う危機感がすこぶる低いからなにもスパイを使わなくともヘタをするとインターネットか人づての話でそうとうな地位の人間の行動が割れていることも少なくない。こっそりと上がりこんだ敷地の中庭に面した扉は大抵施錠がされておらずそこからあがりこむこともたやすかった。
雨戸の締め切られた室内は暗く、カークランドが入ってきた場所にのみ一筋の光がさしていた。たった一枚の扉を経ただけだというのに室内はやや涼しく、湿気はあるのかもしれないが気温が低いようだと推測した。カークランドがこうして法を犯してまでこの屋敷に入ったことに特に意味を感じていない。ただ偶然にもこの国ではこの日が大きな節目と意味を持っていることを知り、個人的な渡来の予定が確保できたからあの男に会いに来たに過ぎない。いわれてみれば本田菊もこの前後、とくに前二週間ほどはときおり顔色の悪さを隠しきれないことがあり、それはカークランドも含むそういうものに時折起こる立ちくらみやめまいににた過去のフラッシュバックだということは知っていた。ただ、そういう意味合いの日は9月にはいってからのイメージが強く当然ニュースだとか上司が参列することもあるが見過ごしがちだった。
興味本位なんだろう、とカークランドは思っている。あの男が、血気盛んに東洋の海や空を駆け回っていた頃は、血まみれでも骨が砕けていても薄汚い包帯しかもっていなくとも無理が過ぎる精神論で歯向かっていたその男が牙も剣も狂気的な神経も抜き取られてその日をどうすごすのか。そこまで思って悪趣味だと笑うしかなかった。それでもあの獰猛だが気高いと信じ込んでいた獣が報われない魂を抱えてすごす様が見たいだけなのだろう。
問題の男はいつもの部屋に正座をして背を伸ばし目を瞑っていた。ゼンか黙祷のようにそうでなければ剥製か何かのようにじっとしている男にカークランドは足音を立てて近づいた。すぐ隣に腰を下ろすと男はすっと眼を開きゆっくりとした所作でカークランドを瞳に写した。
「きたのか」
今まで声を出していない酷くかすれた声で男はいった。それに対してカークランドは、まあな、とうなずくのみだった。
「悪いが、構ってられない」
抑揚なくいう男の瞳は虚ろで過去のある地点か男が抱えるいくつもの命たちを見つめているのだろう。
「かまわない」
「それとも、のた打ち回って苦しんでいるところを見に来たのか」
「そういうつもりでもない」
「悪いが、見苦しい体面を見せるが他言しないでくれ」
「いまさらだな。第一、おまえがいることを誰が信じる」
「信じるさ、今日ならばな」
男は断言すると一瞬だけ鼻を鳴らして皮肉の笑みを浮かべた気がしたがまたすぐにどこを見ているとも分らない虚無な表情に戻った。
そこからしばらくは無言でいたが男がぎりぎりと何かに追い詰められていくのをカークランドは横目で見ていた。この男がどういう立ち位置なのか、どういう役職なのか完全には理解していないがかつて男がいった言葉がそのまま回答なのだろう。「この土地ではないのにこの土地の一部に組み込まれ」がため「誰にも認められず」に「侵略者として君臨」したアレとその時代に付随するもろもろの「黒歴史」だと男はいっていた。認めてほしいとは言わないが目を逸らさないでほしい、とも。