交譲木
交譲木
だらしないねぇ、と。そう言って、当主さまは大きくため息をついた。
ようやく夏の暑さも収まりかけていた日のこと、私は訓練期間を終えて、初陣を踏もうとしていた。だが。そんなハレ舞台は、そんな不吉な流れで始まろうとしていた。
「うるせぃ、選考試合でボッコボコにされたんだから仕方がないだろう。第一、アンタかばったのだれだと思ってるんだ」
「そんなことより、泉子の初陣だよ」
布団の上に半身を起こし顔をしかめる父上にむかって、当主さまはひらひらとてのひらをふった。そう、つい先日の討伐隊選考試合に出た皆が、当主の桜子さまを除き、未だ臥せっているのだ。訓練期間であった私のほかに一人、選考試合に出なかった人間がいることはいる。だがその人物――撫子さまは、夏の間私の訓練を見ては下さったものの、疲れが取れないとそれ以外の時間はずっと床についていた。夏をこえられるとは思っていなかった、と。誰かが言っているのを聞いた。
しばしの間、当主さまは無言で眉を寄せていた。父上のもとに来る前に、私たちはほかの方々を見舞ってきた。疲れは抜けぬものの、出られないことはないとおっしゃっていた方もいた。だが。私たちの身体はもろく、寿命は短い。限られた時間の中で、大江山の鬼を倒すために尽力するには、時にせかされるだけではいけない。休養も大切だ。ほんの少しの疲れと思っていても、あれよあれよというまに命の炎を吹き消すにたる風へと成長することもあるのだ。
それと同時に。言うまでもなく、能力を伸ばせる期間は短い。今を逃しては、私が実戦における振る舞いを身につけられる機会は――おそらく、ない。
唇をかみうつむく私の方を見、当主さまはにこりと笑った。
「仕方ないね。あまり遠くへはいけないけれど、二人で行きましょう」
「おいおいおいおい! ちょっと待てよ、いたた……」
「怪我人は黙っといで」
あなたの成長を見られるのを楽しみにしているわ、と。そう言って、桜子さまは目を細めた。
*
そうして、私と桜子さまが向かったのは、色とりどりの鳥居がある鳥居千万宮だった。淀んだ空気が押し寄せてきて、内部へと足を踏み入れた者を押しつぶそうとしているみたいな場所だった。
さっそく現れた鬼たちに、私は慌てて構えをとろうとした。冷静に。動じるな。しかと目を見開き、一刻たりとも相手の姿から目をはなすな。幾度、撫子さまは繰り返してくださったことだろう。にもかかわらず、私は、鬼たちから目をはなし、もつれる指で背負った薙刀を止めるヒモをほどこうと奮闘した。だが、ぶるぶると震える指先は、白いたすきを捉えるに至らず。とらえても、それを解こうとして、きつい結び目をつくる始末だった。
そんな情けない私に頓着することなく、桜子さまは弓を引いた。そして、無言のまま、それを放つ。
一瞬で勝負はついていた。狂ったように笑いながら、私たちに襲いかかってこようとしていた鬼たちが動きを止める。止めたかと思うと、ばたばたと鳥居千万宮の奥へと走り去っていく。
「あ……」
結び目に必死で指を立てていた私は、あまりにあっけない結末に、小さく間抜けな声を漏らした。ゆっくりと息をはくと、桜子さまは私を見た。
馬鹿者! と。撫子さまの声が聞こえたような気がして、私はびくりと震えた。
だが。桜子さまは、そんな情けない私のさまを見ても、怒りはしなかった。そして、ただ、怪我をしなかったかとだけ尋ねた。
あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうだった。ぎゅっと結び目の上でつくったこぶしに、桜子さまはそっと手をかけた。そして、はじかれたように顔をあげる私に向かって、出陣前と同じように笑った。
「落ち着いて。私も年だけど、若い者には負けないわ。だから」
そう言って、桜子さまは、てのひらで私の両の肩をポンとたたいた。
「力を抜いて。怖いことなんて何もないの。大丈夫よ」
「……ごめんなさい」
穏やかな笑顔に、泣きそうになりながら、私はただそう言った。そんな私に、ただ柔らかく、桜子さまは大丈夫よと繰り返した。そして、もう一度ゆわきなおしましょう、と。かたく締まってしまった結び目をさした。
幾度か薙刀を構え直してから、私は再度身支度を整えた。そのさまを、桜子さまはただ黙って見ていた。終わったところでうなずき、もう少し先へ行きましょうと口にされた。
次に出てきた鬼に対しても、私はなにもできなかった。ただ、薙刀をかまえることだけはできた。その次は、辛うじて前にいた子鬼に切りかかった。どんな場合であっても、桜子さまはただまっすぐに鬼の大将を狙い、一撃でほふっていた。私が役に立っているとは、とても思えなかった。
そうやって先へと進んでいく間、いろいろなことを聞いた。たとえば、あの撫子さまも、初陣では矢筒をぶちまけて泣いていたこと。行軍の際、父上はいつも明るく、皆をもりたててくれているということ。京さまの落ち着き。今度生まれる子につけようと思っている名前。初代桜子さまの人となり。かの方の初めてのお子――今の桜子さまのお兄さまのこと。
「撫子が言っていたわ。あなたはとてもおぼえがよくて、素直だと。肩を並べて戦える日が来るのが楽しみだ、と。――本当よ」
そして、私もそう思うとつけくわえた。過分なほめ言葉と、自らのていたらくに、私はただうつむくことしかできない。そんな私を見、桜子さまは目を伏せた。
「そうね。確かに今までの鬼たちは、私がすべて追い返しているわ」
怖いもの、と。そう言って、桜子さまは内緒よと口元に人差し指を立てる。
「最初は、薙刀を抜くこともできなかった。けれど次には、構えられた。ちゃんと敵を見据え、切りかかることができるようになった」
当たり前のことではないだろうか。褒めていただけるようなことなんかでは、絶対にない。
「だから。言ったでしょう? あの撫子だって、初陣ではてんでダメだったって。……あ、でも内緒よ。私がそんなこと言ってたなんてのは。あの子、あなたの前では怖い先生でいたいみたいだから」
「――桜子さまはどうだったのですか?」
あら、と。桜子さまは何度かまばたきをした。そして、視線をそらす。
「ええと、矢筒をぶちまけたりはしていないわよ」
他の何かをしただろうというのが予想できる口調だった。私はただ桜子さまをじっと見る。
「もう! ……ぜんぜん鬼がいるところとは違った場所に矢が飛んでいったり、あやうく兄上に当たりそうになったり、それだけよ」
今、知ってる人はいないんだから、秘密よ、と。そう言って、桜子さまは子供のように頬をふくらませた。
「だから」
桜子さまは言った。
「だから、大丈夫よ。本当に、この討伐だけでもどれだけ強くなるのかしら」
本当に楽しみだ、と。そう言って、桜子さまは目を細める。
そんな秘密をわけあいながら、私たちは鳥居の奥へと進んでいく。そのうちに、狙いがずれたのだろうか、桜子さまは鬼の大将を打ちもらした。私は素早く前へと進み出た。このころには、幾分か落ち着いて、鬼全体の動きなどを見ることができるようになっていた。
「やあっ!」
撫子さまの指導のとおり、おなかに力をこめ、気合一閃。大将を中心に、薙刀を水平にふりきる!
だらしないねぇ、と。そう言って、当主さまは大きくため息をついた。
ようやく夏の暑さも収まりかけていた日のこと、私は訓練期間を終えて、初陣を踏もうとしていた。だが。そんなハレ舞台は、そんな不吉な流れで始まろうとしていた。
「うるせぃ、選考試合でボッコボコにされたんだから仕方がないだろう。第一、アンタかばったのだれだと思ってるんだ」
「そんなことより、泉子の初陣だよ」
布団の上に半身を起こし顔をしかめる父上にむかって、当主さまはひらひらとてのひらをふった。そう、つい先日の討伐隊選考試合に出た皆が、当主の桜子さまを除き、未だ臥せっているのだ。訓練期間であった私のほかに一人、選考試合に出なかった人間がいることはいる。だがその人物――撫子さまは、夏の間私の訓練を見ては下さったものの、疲れが取れないとそれ以外の時間はずっと床についていた。夏をこえられるとは思っていなかった、と。誰かが言っているのを聞いた。
しばしの間、当主さまは無言で眉を寄せていた。父上のもとに来る前に、私たちはほかの方々を見舞ってきた。疲れは抜けぬものの、出られないことはないとおっしゃっていた方もいた。だが。私たちの身体はもろく、寿命は短い。限られた時間の中で、大江山の鬼を倒すために尽力するには、時にせかされるだけではいけない。休養も大切だ。ほんの少しの疲れと思っていても、あれよあれよというまに命の炎を吹き消すにたる風へと成長することもあるのだ。
それと同時に。言うまでもなく、能力を伸ばせる期間は短い。今を逃しては、私が実戦における振る舞いを身につけられる機会は――おそらく、ない。
唇をかみうつむく私の方を見、当主さまはにこりと笑った。
「仕方ないね。あまり遠くへはいけないけれど、二人で行きましょう」
「おいおいおいおい! ちょっと待てよ、いたた……」
「怪我人は黙っといで」
あなたの成長を見られるのを楽しみにしているわ、と。そう言って、桜子さまは目を細めた。
*
そうして、私と桜子さまが向かったのは、色とりどりの鳥居がある鳥居千万宮だった。淀んだ空気が押し寄せてきて、内部へと足を踏み入れた者を押しつぶそうとしているみたいな場所だった。
さっそく現れた鬼たちに、私は慌てて構えをとろうとした。冷静に。動じるな。しかと目を見開き、一刻たりとも相手の姿から目をはなすな。幾度、撫子さまは繰り返してくださったことだろう。にもかかわらず、私は、鬼たちから目をはなし、もつれる指で背負った薙刀を止めるヒモをほどこうと奮闘した。だが、ぶるぶると震える指先は、白いたすきを捉えるに至らず。とらえても、それを解こうとして、きつい結び目をつくる始末だった。
そんな情けない私に頓着することなく、桜子さまは弓を引いた。そして、無言のまま、それを放つ。
一瞬で勝負はついていた。狂ったように笑いながら、私たちに襲いかかってこようとしていた鬼たちが動きを止める。止めたかと思うと、ばたばたと鳥居千万宮の奥へと走り去っていく。
「あ……」
結び目に必死で指を立てていた私は、あまりにあっけない結末に、小さく間抜けな声を漏らした。ゆっくりと息をはくと、桜子さまは私を見た。
馬鹿者! と。撫子さまの声が聞こえたような気がして、私はびくりと震えた。
だが。桜子さまは、そんな情けない私のさまを見ても、怒りはしなかった。そして、ただ、怪我をしなかったかとだけ尋ねた。
あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうだった。ぎゅっと結び目の上でつくったこぶしに、桜子さまはそっと手をかけた。そして、はじかれたように顔をあげる私に向かって、出陣前と同じように笑った。
「落ち着いて。私も年だけど、若い者には負けないわ。だから」
そう言って、桜子さまは、てのひらで私の両の肩をポンとたたいた。
「力を抜いて。怖いことなんて何もないの。大丈夫よ」
「……ごめんなさい」
穏やかな笑顔に、泣きそうになりながら、私はただそう言った。そんな私に、ただ柔らかく、桜子さまは大丈夫よと繰り返した。そして、もう一度ゆわきなおしましょう、と。かたく締まってしまった結び目をさした。
幾度か薙刀を構え直してから、私は再度身支度を整えた。そのさまを、桜子さまはただ黙って見ていた。終わったところでうなずき、もう少し先へ行きましょうと口にされた。
次に出てきた鬼に対しても、私はなにもできなかった。ただ、薙刀をかまえることだけはできた。その次は、辛うじて前にいた子鬼に切りかかった。どんな場合であっても、桜子さまはただまっすぐに鬼の大将を狙い、一撃でほふっていた。私が役に立っているとは、とても思えなかった。
そうやって先へと進んでいく間、いろいろなことを聞いた。たとえば、あの撫子さまも、初陣では矢筒をぶちまけて泣いていたこと。行軍の際、父上はいつも明るく、皆をもりたててくれているということ。京さまの落ち着き。今度生まれる子につけようと思っている名前。初代桜子さまの人となり。かの方の初めてのお子――今の桜子さまのお兄さまのこと。
「撫子が言っていたわ。あなたはとてもおぼえがよくて、素直だと。肩を並べて戦える日が来るのが楽しみだ、と。――本当よ」
そして、私もそう思うとつけくわえた。過分なほめ言葉と、自らのていたらくに、私はただうつむくことしかできない。そんな私を見、桜子さまは目を伏せた。
「そうね。確かに今までの鬼たちは、私がすべて追い返しているわ」
怖いもの、と。そう言って、桜子さまは内緒よと口元に人差し指を立てる。
「最初は、薙刀を抜くこともできなかった。けれど次には、構えられた。ちゃんと敵を見据え、切りかかることができるようになった」
当たり前のことではないだろうか。褒めていただけるようなことなんかでは、絶対にない。
「だから。言ったでしょう? あの撫子だって、初陣ではてんでダメだったって。……あ、でも内緒よ。私がそんなこと言ってたなんてのは。あの子、あなたの前では怖い先生でいたいみたいだから」
「――桜子さまはどうだったのですか?」
あら、と。桜子さまは何度かまばたきをした。そして、視線をそらす。
「ええと、矢筒をぶちまけたりはしていないわよ」
他の何かをしただろうというのが予想できる口調だった。私はただ桜子さまをじっと見る。
「もう! ……ぜんぜん鬼がいるところとは違った場所に矢が飛んでいったり、あやうく兄上に当たりそうになったり、それだけよ」
今、知ってる人はいないんだから、秘密よ、と。そう言って、桜子さまは子供のように頬をふくらませた。
「だから」
桜子さまは言った。
「だから、大丈夫よ。本当に、この討伐だけでもどれだけ強くなるのかしら」
本当に楽しみだ、と。そう言って、桜子さまは目を細める。
そんな秘密をわけあいながら、私たちは鳥居の奥へと進んでいく。そのうちに、狙いがずれたのだろうか、桜子さまは鬼の大将を打ちもらした。私は素早く前へと進み出た。このころには、幾分か落ち着いて、鬼全体の動きなどを見ることができるようになっていた。
「やあっ!」
撫子さまの指導のとおり、おなかに力をこめ、気合一閃。大将を中心に、薙刀を水平にふりきる!