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ジャミング

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 グラフで示された具体的な達成率であるとか、一日で計上されたにしては多大な戦果といった、アメリカの欲しい文言は何ひとつ得られらないまま、実りのない会議は日暮れとともに一時閉会となった。ネクタイを緩め、ポータブルPCの電源を落として、バインダーに閉じた書類をバッグに締まっていると、部下たちに遅れて退室しようとしていた日本と会議室の扉の前でかち合う。
「お疲れさま! これから一緒にディナーでもどうかい?」
 いつも以上に重くなっている瞼を見開いて、それでも日本は疲れを感じさせない涼しげな眼差しで、にっこり微笑んだ。
「是非ともご一緒に、といいたいところなのですが。これから調整作業が残っていますので」
「そんなの、君のところの部下にやらせておけばいいじゃないか。君ひとり混じったところで、会議はダンスしたりジャンプしたりで忙しくて、どうせ結論は期限切れになるまで先延ばしさ。最近の日本は俺に冷たいよねー」
 ぶー、と頬を膨らませると、先にドアをくぐった日本が呆れたような眼差しで振り返る。
「アメリカさん。昨日、私のうちで手料理を振舞ったじゃないですか……さわらの煮つけが、そんなにお気に召さなかったんですか? もう少し前もって我が家に来る日時を教えてくだされば、貴方の好きそうなご馳走を用意できましたのに」
「フライドチキンとか?」
「ええ、から揚げとか鳥の竜田揚げとかしぐれ煮とか南蛮漬けとか水炊きとか、アメリカさんのお好きなものをですよ……まあ、貴方の好きなものは、特別な日のご馳走とはいいがたいものばかりですが」
「残念だなあ、君の手料理は美味しいんだもん」
 アメリカが首を振ると、薄いグレーのジャケットに包まれた肩を落として、彼はため息を漏らした。
「……今夜も私に作ってもらう気でいたんですか?」
「それはさすがに大変そうだから、どこかで一緒に食べようかって誘うつもりだったんだぞ。今日は君の好きそうなスローフードで、どうかなってさ」
 隣に並んで歩く小柄な彼が、ほんの少しだけ嬉しそうに目元を和らげる。
「それは残念です。それに、私の料理はお褒めいただくほどのものでは……ああ、料理で思い出しました。せっかく用意したのに、お渡しするのを忘れていました」
 エレベーターを呼ぶボタンを押してから、日本は書類で膨らんだバッグの留め金をはずして、底の方をごそごそと探り、ラッピングされた小さな包みをふたつ、アメリカに渡してくる。
「何だいこれ?」
 渡されるまま手のひらで受け取ってしまったが、女の子にあげるようなパッションピンクのラッピング袋に、縛り口のところには、ひとつはピンクのリボン、もうひとつはブルーのリボンがついている。
「もうすぐバレンタインじゃないですか。うちでは、女性から男性にチョコレートを渡すのが主流なんですが、最近は友チョコというものも流行りはじめたんですよ」
「友チョコ?」
「友人に心を込めて贈るチョコ、だそうですよ。うちでは、女性から同性の友人に渡すのが主流ですが……まあ、せっかくなので私も流行に便乗してみた次第です」
「相っ変わらず君のところのイベントは、聖人とは無関係なんだね」
 そして恋人たちのために殉教した聖人を尊ぶ日ではなく、もっぱらチョコレートを売る日にすげ替えるほどには商魂が逞しい。確かにうちでもチョコレートを贈ることもあるが、贈り物として選ばれるのは花やカードの方が多い。イギリスがチョコレートをくれないなら帰ってやる、と、戦時中のバレンタインには、ちょっとした意地悪をしたことがあるが、あのときはどうしても甘いものが食べたかった、というのもある。あとは特別な日にプレゼントを寄越せとごねたら、イギリスがどんな反応をするのか見てみたかった、というのも。
「異文化を独特に味付けして、我流にするのが、私の国民の得意とするところですから」
 傍目には分からない程度に胸を張っている彼に向かって、胸のうちで反論する。いくら異文化を勝手に捻じ曲げるのが伝統だからって、こっちの上司の役職名を年齢指定のゲームに出さなくたっていいだろう。善処しますが、と嫌がる日本にねだって、そのゲームを手に入れたときは大笑いしたけれども。
「まあ、でも、根付くかどうか分かりませんが、友人に贈るというのはいい慣習かもしれませんね。うちには今まで、友人に感謝するような記念日はありませんでしたから」
「……日本、だからこれを俺に?」
 回りくどさが身上の彼にしては、包み隠さず友好を伝えてくる。うれしくなって、手のひらの上のものをじっと見つめてしまった。
「ええ、アメリカさんには、私のよき友であって頂きたいと思いまして」
 やってきたエレベーターに乗り込んだところで、日本は奥まで進んだこちらを仰ぎ見ながら、控えめな笑みを送ってくる。でも甘い顔には誤魔化されないぞ、とアメリカは思う。降りる階数は同じだったので、日本がボタンを押すと、ホテルのエレベーターはゆっくりと下に降り始める。
「だったら、早いうちに君からしっかりとした回答が欲しいんだけどなあ。あんまり伸ばし伸ばしだと、俺じゃなくって、上司が直談判しに来ると思うよ?」
 ガラスの外の夜景が次第に低くなっていくのを目で追いながら、ため息混じりに反論してみた。不自然に凪いだ黒い視線が注がれ、それに含みのある笑顔を返していると、彼は困ったようにかぶりを振った。ついでに止めも刺される。
「アメリカさんとは、今後も末永くお付き合いいただけるものだと、私は思っていたのですが。今月私のうちで発売するゲームも、アメリカさんとご一緒したかったのに。残念です」
「もー……分かったよ! 俺と君は友好国だもんね! これはありがたくいただいておくよ。……それで? ひとつは俺にくれるとして、もうひとつは?」
「ああ、イギリスさんに手渡していただけませんか? 今から送っても確実にお手元に届くか分かりませんし、当日はお会いできそうにもありませんし」
「ええー。俺だって、会うかどうかなんて分からないんだぞ」
 どこで日本に自分のスケジュールが漏れたんだろう、共有しているわけでもないし、と脳裏を探りながら、手の上のチョコレートを睨む。
「先月おっしゃっていましたよね? 今週来週と、島国との会談が続くんだぞ、って。私の家でみかんを食べながら、ご自分で」
 怪訝そうな目つきで見られ、最下層に降りたエレベーターのドアが開く。先に出るよう促されるまま、日本に手を振って別れを告げる。日本は、エレベータホールの前に集まっていた部下たちを見定めると、ホテルから外に出ようとしているアメリカの背に声を掛けてくる。
「青い方が貴方に贈ったものですよ。それでは、イギリスさんによろしくお伝えくださいね」


作品名:ジャミング 作家名:ひなもと