ジャミング
お互いに痛む腹の探りあいはするが、八つ橋にくるまない饒舌な文化を共有しているおかげで、イギリスの上司との会談はそれなりの合意を見せた。体調は安定しないが共にがんばろう。改めて確認することなのかと頭を痛めながら、席を立とうとしているイギリスを見ると、下を向いてアメリカを見ていないふりをした。手元の資料を部下に押し付けながら、誰も彼もバレンタインを意識しすぎだろうと、椅子の背に顔を隠して、アメリカは笑う。立ち上がると、ものいいたげなイギリスが意を決したように駆け寄ってきた。
日が日なせいか、そわそわした顔でイギリスが自宅へと招いてくる。この会場からそう遠くないし、夕食も作ってやる、という誘い文句には、もう少しマシな言い方があるだろう、と思ったけれども。ここで嫌だと断ったら怒って泣くかなあ、泣き顔も嫌いじゃないんだけどなあ、と苦笑いしながら、うん、いいよと快諾すると、妙にうれしそうにイギリスが顔をほころばせた。
イギリスに乗せてもらった車で、都心よりも寒さが身にこたえる郊外へと向かう。クーペの車内は縦にも横にも狭くて窮屈だ。助手席から見るどんよりとした景色が、すべて左側に流れていくのも、常にアクセルをベタ踏み気味のイギリスの運転も、落ち着かない。
日の暮れる前に着いたのは、彼個人の所有する邸宅のひとつ、郊外に建つ一軒家は、手入れの行き届いた庭の中に、崩れかけた屋敷が立っているという趣だ。この家に関しては使用人を雇おうという気はさらさらないらしく、手の開いているときはイギリス自身が床を直し、セメントで外壁のひびを塞ぎ、壁を漆喰で固め、屋敷よりもよっぽど立派な温室の花々の世話をし、庭を掘り返して土をやわらかくし、肥料や腐葉土を入れて園芸用に、と、途方もない苦行と二世紀前の手工業が家のいたるところで発揮されている。
ペド野郎んちの教会が完成するよりは早く家として完成する、が彼の口癖で、言い訳だ。どうせ過去が大好きな彼のことだ、昔日を懐かしむ場所として、この隠れ家に入り浸っているに違いない。住んで快適かどうかよりも、古い土台を基に昔どおりに作り直すこと自体を楽しんでいるようだから、全ての部屋が使えるようになるのは遠い未来のような気がする。そして温水蒸気の配管がようやく完成したので、真冬でもイギリスの誘いを嫌がらずに、二言三言はかび臭い寒いと文句をいいながらでも付いてくることができる。
冬でも風通しの良過ぎる家に案内され、一歩足を踏み入れると、濃い花の香りに全身が包まれる。玄関におかれた花瓶には瑞々しい赤バラが咲き誇っているし、暖炉の上棚には一本挿しにピンクの大輪のバラ、ダイニングのローテーブルには短く切りそろえられたバラが平べったい花瓶に山と盛ってあるし、庭に面したガラス戸の脇に置かれた階段状の花台の上には、一抱えもある大きな花瓶に純白のバラが、今にも飛び出すようにぎっしりと挿してある。
やり過ぎという単語はイギリスの頭に詰まっていないのだろうか。ないのだろうなあ、とアメリカは目に痛い花の色の洪水を見ないよう、瞳を閉じながら反芻する。そして、やり過ぎて失敗する。かつて無条件に愛を注ぎすぎた子どもに独り立ちされてしまったときのように。
勝手知ったるイギリスの家だと、重いコートを脱ぎ捨て、一番あたたかいダイニングのソファーを占領して、キッチンへ行ったイギリスの足跡を目で追う。今日が十四日とはいえ、家中に飾りつけてあるバラは、本意があからさま過ぎて萎える。
体があたたまるからと、運ばれてきたトレイには、ホットココアがふたつ並んで用意されていた。やたらスパイスが効いていて、魔法使いの作る薬草みたいな味のするエッグノッグじゃなくて良かったと思いながら、手を伸ばす。
「この家じゃ、未だに生花で芳香しているのかい?」
テーブルの上の薄黄色の花の、わざとらしく強く香るにおいを嗅ぎながら、皮肉も込めて訊ねてみる。たぶん、この家に今咲いているバラのすべては、香水売り場にいるときよりも頭がくらくらするから、香りの強い種類のものだ。
「いい香りだろ? 去年よりも見事に咲いたんだぜ」
腕組みして得意げな園芸家は、門外漢の揶揄をあっさり無視する。まあこれだけ年々花の数が増えていれば嫌でもわかるさ、とげんなりしながら、向かい合って座る、満面の笑顔の彼をのぞき見る。バラの香りで麻痺した鼻にカップを近づければ、ココアのにおいも消えている。ココアの美味しさが半減だ。
次に、この言葉を告げたら例年不機嫌になることを知りながら、アメリカは口を開く。
「これだけあるなら、俺が一本くらい貰って帰ってもいいよね?」
日本の、女性から男性へ一方的にチョコレートを贈る慣習と違って、恋人同士でちょっとしたプレゼントを贈ったり、親しい人とカードを交わす習慣ならアメリカにもある。特に男性からバラを贈るのは昔から一定の人気があった。今日に至るまで一度も、イギリスからカードやら花束やらを貰ったことがないので、この国ではどうするのかは知らない。でも、かつてはイギリスの保護下にあったのだし、そんなに大差はないだろうとも思う。
「ダメだ!」
はしばみ色のネクタイにグリーンのVネックのセーター、スーツ姿は板についているのに、下手するとローティーンの仲間のイギリスの見た目はともかく、大の男が、耳の先まで真っ赤になってまで拒否することじゃない、と声に出さずに反論してやった。
欲しいなら俺の丹精込めた花をお前に特別に分けてやろう、という素直な台詞が返ってくるのは、この先何年かかるのやら。検討もつかない。
「お、お前、切花の扱い方なんか知らないじゃないか。お前にやった瞬間、萎れてダメになりそうだろ」
「ふーん?」
これだけ飾っておいて? という疑問は口にしない。
「お前、活けたら水を替えるのも忘れそうだろ? 水道水のままだと花が長持ちしないってのも知らないだろ? な?」
「分からなかったらメールで聞くよ」
これは押し文句としては弱かったかなあ、などと呑気に考えながらココアをすすると、イギリスはあたふたと手を振っている。
「ダメだ! 今日はダメだ」
困ったように太い眉根を寄せる。今日は? と反芻するのも莫迦らしくて、アメリカは口を噤む。
今日が特別な日だとしても、バラの花一輪を手渡したくらいで、そこに何か甘い意味すべてを込めてしまわなくてもいいだろうに。おそらく、この家に活けられたバラひとつひとつに花言葉があって、それから渡す場合は花の色にも意味があったような気がするから、花自体が彼の言葉のひとつなのだろう。
が、あいにくアメリカは花にも花言葉にも興味がないので、彼の言葉は一度たりとも手元まで届いたことがない。ついでにイギリスから花を貰えたこともないので、彼の好意なり愛情なりは、きれいに部屋に飾られるだけで、艶やかな香りばかりが鼻につく。
まあ、だいたいが去年と同じやり取り、予想通りの反応なので、腹も立たないし、アメリカもイギリスに贈るプレゼントなんてひとつも用意してないのだが。
「まあ、なんでもいいさ。これだけあるのに、イギリスは俺に一本たりともくれるつもりが無いんだね?」