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無菌室で瀕死

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ときどき怖くなることは、いつこのひとが消えてしまうかもしくはわたしが、いついなくならなければならないかということで、それはどんなことも気休めにすらならないほどに強くわたしを不安にさせていた。
「起きたの波江、おはよう」
「ええ」
 まだ薄暗い部屋のなかで、カーテンも開けていないひんやりした朝の独特の持ち味を肌に染み込ませながらわたしはぼうっと、臨也のほうをみた。
 そしてやっぱりそういう不安が消えないことにため息をつきたくなって、それでもたしかにわたしは幸せにちがいないのだけれど、どうにかなってしまいそうな気持ちになる理由を探すことに必死になるためだけに今朝も目が覚めた。
 いつこの「おはよう」が聞けなくなるのだろう。いつわたしがいなくなって、このひともいなくなって、そうしたらこの空間にはたして何がのこるだろう。花すら飾らない、病的に清潔な、まっしろいこの部屋に、何が。
「どうしたの」
 臨也がわたしの顔を覗き込む。よほど苦しい表情をしていたらしかった。
「……二日酔いが」
 とっさにごまかした。こめかみのあたりに掌をあて、頭がいたいふりをした。
「昨日、一緒に飲んだじゃない」
「飲んだって、ほんの少しじゃないか」
 臨也はおかしそうに笑った。わたしも合わせて笑う。くすんと鼻を鳴らすと、臨也は指を絡めてきた。
 うれしいのに同じくらいこわい。すでに十分すぎるほどに大事にされてきた、だから次にくるのは絶望的な喪失にちがいないと、極端な考えしか浮かばない。
 機械的にとんとん進んでいく現実がわたしは得意だったけれど、このひとを好きになってからはそんな日々が続くはずもなく、毎日毎日弟の世話と会社務めをこなすそれなりに満ち足りた世界とひきかえに手にしたあらたな安らぎは、つねにわたしの中身をかきまわすとんでもない混沌だった。むしろそれはわたし自身なのだ。
「ねえ、もう一回いって、臨也」
「何を?」
「おはようって」
 臨也はきょとんと不思議そうな顔をした。だめかしら、とあきらめかけたときに、いいよ、という返事が聞こえて、
「おはよう、波江。おはよう」
「……ん」
 鳥が鳴いていた。ビルの隙間から。絡めとられた指のひとつひとつの感覚を確かめるようにぎゅうっと握り返して、彼のしっかりした指とわたしの白くたよりない細いだけの指が全部おなじ生き物になればいいと思った。そういう方法があるにちがいないと信じる都合のいい女になってやろうと、そういうことを思っていた。

「大嫌いよ」
「嘘つき。知ってるよ」

作品名:無菌室で瀕死 作家名:楠崎なな