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恒例行事

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人間なんて、どうしてくれれば大丈夫かなんて、きっといつもわからない。
だからレイは、シンがにこにこと笑っていても決して安心しないことにしている。日常の大半は苛立たしげに怒っているような奴だが、そっちの方がむしろ気を遣わなくてすむというものだ。だからレイは、シンが戦闘から帰ってきた後、ため息をつく間際、眠りに付く直前の、どうしようもなく心がかき乱されてしまう瞬間に(たとえば、夕日を見ながら大声を出して泣きたくなるのも同じ理由からなんだろう)彼がにこにこと笑っていた場合は警戒態勢につくことにしている。
受け止められれば良いと思うのだ、それをできるのが他ならない自分であって、その微かな変化に気づくことがシンのためになるというなら、彼の全てを受け止められれば良いとレイは思う。傷つきやすいという意味でシンはひどく単純な少年だったし、そんなときに、うわべだけでも構わないから、大丈夫、気にしていないよと一声かけるだけで、彼が天にも昇る心地になることぐらい、これ以上必要ないくらいにわかっていた。要するに、レイはシンが笑っていられるだけでかまわないのじゃないかと思っているのだ。彼が心に傷を負っているとか、どういった心構えで戦いに臨んでいるかとか、そういうことは一切抜きにして、せめて彼のことを後ろで支えられるぐらいにはなりたいのだと。そうして、その結果それを愛だと呼んでくれるなら、なるほどレイ自身、シンを愛おしく思っていることには違いなかった。
「……レーイ!レイってば……!」
だからなおのこと、レイはひどく混乱している。今も……硬質な廊下を、目的に向かって一心不乱に駆けるその靴音を耳にしながら、ひどく混乱、というか動揺しきっているのだ。
シンに抱くのが、そうして小さな子どもを真綿にくるむような愛だというなら納得もできよう。ならば彼女に対するものはどう説明すればいい。シンに対するものとは明らかに異なるのだ、大切に、大切にしたいとか、それだけの、それだけの一方的なものだけではなくて、もっと、何と言えば良いのか、もっと。
「……あ、ここにいたの!」
後ろから大きな声を上げられて、レイは思わず自分の毛先が跳ね上がったのじゃないかと思った(実際は微動だにしていない)。飲みかけのコップを手にしたまま、ゆっくりと振り返ると、予想していた通りに肩で息をするルナマリアがいる。ただでさえ上向いた前髪が、その身体が上下するたびさらに揺れて、それが緊迫した(しているのか?)場にそぐわず、妙にコミカルだった。
「ルナマリア」
何の用だと、しかし彼女がここに来た理由すらレイには見え見えであったが、尋ねる間も与えずに彼女はずんずんと歩み寄ってくる。随分と大股だった。端から見れば、ルナマリアが何かレイに対してひどく怒っていて、今まさに襲いかかろうとする場のようにも見えたかもしれないが、レイだけは、そして当の彼女にだけは、何が何だか得心がいっている。
あまりの速さに、レイには何だか赤いものが迫ってくるようにしか見えなかったし、事実もまさにその通りで、ルナマリアは何かに負われでもするかのように彼に近づいた。謳い上げるように、高らかな靴音が部屋を割って響いてくる。まるで時計が時を刻むようでもある、一定のリズムを置いて、その跳ね上がった前髪の毛先が見えるようになるまであと3歩、その頬の紅潮が見抜けるようになるまであと2歩、その瞳がのぞき込めるようになるまであと1歩。 
「レイ……!」
ぱしんと鋭い音がして、ルナマリアがレイの肩に両手を置いた。部屋のすみからぎょっとしたように振り返る、一人の整備員の顔が目に入る。別に珍しいことではないのだが、それを見慣れていない者だったのだろう。悪いことをした、驚かせてしまったか、そう思いながらも、あえて詫びを口に出すことはなく、レイは顔をうつむけたままの彼女の言葉を辛抱強く待った。
「大丈夫だって」
レイ、うながすように言葉を続ける彼女に、やっぱり、とレイは目を伏せる。
だからと言って、何も言うまい。そこまで自分の介入を求めるか否かは、彼女自身の問題だ。
「大丈夫だって、言ってレイ」
言って欲しいの、とようやく顔を上げたルナマリアの表情に、狼狽した様子は見られなかった。見られなかったが、それはあくまでも、よそよそしいという意味を除いた上での他人から見た評価にすぎないのだとレイは思う。結局彼女が何を恐れていて、何が悲しくて、何が喜ばしくて、どうしたら幸福であるかなんてわからないのだ。それは時に、その者を愛おしく思うものにとっては苦痛であるにしても、言葉なしに全てが伝わる世の中なんて白々しいと彼は考える。
人間、どうしてくれれば大丈夫かなんて、きっといつもわからない方がいい。
「レイ」
「大丈夫だ」
そうしてようやく、ルナマリアの瞳に光が戻るのがわかる。
「そうよね」
「そうだ」
何度言ってやってもかまわないのだが、過ぎたるはなお及ばざるがごとしだ。ルナマリアがそれを繰り返し求めるまでのわずかな時間に、レイはやんわりと彼女の両手を肩から下ろさせて、首を一度だけ縦に振る。
「安心するのよ」
わかってくれる、とレイの右手を両手でいじりながら、彼女は何か焦りでもするように、言い訳のような言葉を口にした。たとえそれが言い訳であったとしても、丁寧に丁寧に、今まで通りに使い古されたフレーズなのだから、もう劇的な効果は無い。
「信じてるから」
「わかっている」
誰を、と彼女が口にする前に、レイはいたたまれないような思いに駆られてその言葉をさえぎった。
ルナマリアが自分を信じているのだと言うたび、レイとて同じくらい焦っているのだ。彼女が信じている、そう口にするごとに、わかっている、自分もまた心から信じていることに変わりはないのだと言わなければならない気がして、わざわざ口に出さなくてもいいのに、彼女がこうして自分の元に来たこと自体に意味があることぐらいわかっているのに、それが伝わらないことの歯がゆさを思い知る。
「大丈夫だ」
言い聞かせるようにもう一度繰り返すと、先ほどの整備員が気を遣うように部屋から出ていくのが見えた。
「本当に?」
信じているから、信じているから、ルナマリアの言葉が頭の中で反響する。信用ではなく、信頼しているのだろう、他でもないレイ自身の言葉を聞いて、彼女はやっと安堵する。
受け止められれば良いというだけのものじゃないんだ、とレイは言いたかった。シンを愛しても、狂おしくなることはなく、むしろ抱き上げて気味の悪い夢からすくい上げてやりたいと思うことはあっても、彼女にはそうした思いを抱くことがない。
「本当に?」
伏せがちなまぶたにそっと口づけると、ぽつりと疑問を口にした彼女が、小さく息を吐くのがわかった。
「本当だ」
そのまま手を伸ばして、耳もとにひっかかる髪をほどいてやる間も、ルナマリアはレイの好きにさせている。その顔はひどく考え込んでいるようでいて、それでいてただぼんやりとしているだけなのかもしれなかったが、レイには彼女が何をしているのかがわかっていた。
「大丈夫よね」
作品名:恒例行事 作家名:keico