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ラボ@ゆっくりのんびり
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太陽の笑顔

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 敗者として豊臣軍に迎えられ、ふつうの武将ならば天よりも高い自尊心ゆえに腹を切ってもおかしくないというのに、家康は違った。いつも大らかに笑っている。いつしか三河の者だけでなく、一部の豊臣の人間からも可愛がられていた。太陽のようだと称した人間がいた。家康は全てを包み込む太陽のようだと。三成にとっての太陽は秀吉だった。太陽はひとつ在ればいい。いくつもあってはどちらが本物か惑う。付いていくべき光がふたつもあっては、揺れてしまう。


「三成」


 と、家康が三成を呼んだのはそんなときだった。
 竹千代として出会ったときよりも低く落ち着いた声に振り返る。珍しく誰も連れずにひとりで立っている家康の姿があった。


「……何か用か」

「いや、用というほどでもないんだ。最近おまえとあまり話していないような気がしてな」

「用がないなら話しかけるな」

「はは、相変わらずきついな、おまえは」


 ふん、と踵を返して歩き出す。背後で家康も同じように踵を返す空気が伝わった。
 ふと、何かを言いたくなって、三成は足を止めた。上半身だけをわずかに捻って背後を見やる。家康の背中が視界に移った。


「家康」


 呼び止めた瞬間、家康の足が止まる。一瞬の間を置いて家康が振り向いた。その瞳を見つめる。というよりも、家康の眼光に射ぬかれてそこから逸らすことができなかった。


「良いか、豊臣のために生きろ。秀吉さまに、全てを、捧げろ」


 三成の言葉を受け、家康は面食らった顔をするでもなく、ただ静かに、ほとんど表情のない顔で三成を見つめていた。一瞬、或いは永遠にも思える時間のあと、家康は一瞬だけふっと笑った。その顔は少しだけ寂しそうにも見えた。そうしてゆっくりと唇が動いた。


「三成、」


 記憶の中の家康の声が、現実の声と重なる。ふっと現実に引き戻された三成の目の前には倒すべき相手が立っていた。先ほどまでの記憶の中の姿よりも少し精悍になっている。太陽の笑顔はすっかり引っ込んでいた。


「……家康」


 ふつふつと、心の煮えていく音が耳の裏側から聞こえた。温度が上がっていくたびに思い出がひとつひとつ浮かんでは消えていく。敬愛した秀吉の体躯が地に伏した記憶が心に浮かんだとき、その怒りが頂点に達した。


「家康!!」


 家康が何かを言う前に身体が動いた。そうしようと思うより早く刃を振るう。家康の拳がそれを弾き、そのまま三成にまっすぐ向かってきた。すれすれでそれをよけたあと、その勢いのまま真横に振るったが、家康の腹を掠るだけだった。ほぼ五分の攻防が続く。お互いに致命傷を負わせられないまま、時間だけが無情に過ぎていった。


「三成」


 家康が口を開く。上がった息の所為か、言葉は所々切れ切れだった。


「聞いてくれ、三成」

「貴様の言葉を聞く耳など持たん」

「三成!」


 家康の声は懇願に似ていた。もしくは、許しを請うようにも。一瞬、心が揺れたような気がして、三成は家康に向かって走ることでそれをかき消した。右側から繰り出される拳を上体を下げることで避け、短く握った刀を下から思い切り振り上げた。


「…………ッ!!」


 刃に今までと違う感触が走った。同時に、家康が声を詰まらせるのが聞こえた。右のわき腹から心臓のある左胸にかけて一文字の刀傷が走っている。家康は握りしめていた拳を開き、身体から溢れる血に触れ、それを目で確認したあと、ゆっくりと崩れ落ちた。うつ伏せに倒れたその身体を足で仰向けにさせる。重傷ではあるが、致命傷にまでは至らない。三成はちょうど心臓の真上に刀を掲げた。わずかに閉じられた家康の瞳が開かれ、刀に焦点を合わせたあと、三成の瞳を見つめた。
 ──あのときと同じだ。
 逸らしたいと思うのに、眼光がそれを許さない。死に直面してもなお強い輝きを放っていた。


「みつなり、」


 と、弱々しく口を開く。聞きたくなどないのに、金縛りにあったように身体が動かなかった。家康の弱々しい声など、三成はこのとき初めて聞いた。認めたくなどなかったが、三成は確かに動揺していた。


「ワシが……昔言った言葉を、覚えているか」

「貴様が言った?」

「ああ」


 きょとんとした三成を見て、家康は一度だけ静かに笑った。


「秀吉公のために生きろと、ワシに言ったときだ」


 偶然にも先ほど思い出していたところだった。しかし家康が自分に向かってなにを言っていたか──それを思いだそうとしたより早く、昔を懐かしむような口調で家康が言った。


「“おまえには悪いが、豊臣のために生きるつもりも、すべてを捧げるつもりもない”──ワシはそう言った。あのあとおまえは怒ってすぐにどこかへ行ってしまったが、本当は続きを言うつもりだった」

「続き?」

「ああ」


 痛みに耐えるように、もしくは命の終わりを受け入れるように、家康は目を閉じた。そして、穏やかな声で、言葉を紡いだ。


「おまえのために生きることなら出来た。おまえにすべてを捧げることなら、出来た」


 消え入りそうに小さな声で、家康は確かにそう言った。三成はただ目をみはることしか出来なかった。すべてを言い終えたあと、家康はふぅ、と低く息を吐き、身体の力を抜いた。


「三成、人生とはうまく行かないものだな。だがワシはずっと言いたかったことを言えてよかったよ」


 悔いはない。
 そう言った家康を、三成はただ無言で見下ろす。


「殺れ」


 刀の切っ先が揺れる。いや、揺れているのは自分自身だと、三成はとっくに気が付いていた。惑う。どうしてこんなに心が揺れるのだろうか。
 ──家康を殺せ。
 三成の内側から声がした。もう何度も囁かれた声だ。秀吉さまの仇。私から秀吉さまを奪った原因を、殲滅しないでどうするんだ。
 ふるえる指先を叱咤した。ぎゅ、と刀を指先が白くなるまで強く強く握り直す。かたく目を閉じ、勢いをつけて刀を下ろした。肉を裂く感触が指先を伝う。
 家康の声は聞こえなかった。
 頬を、一筋の涙が伝った。秀吉の仇を討てたことへの喜びの涙だと思うようにした。
 ゆっくりと、目を開ける。夢のように真っ暗な闇の中に三成は立っていた。何故だろう、なんて考えなくてもわかる。私は太陽を亡くした。近くに在ったふたつとも。
 三成にとって秀吉は太陽だった。そして、気づかないうちに家康も同じくらいの太陽となっていた。太陽は一度にふたつも存在していいわけがないと思いながら、そのふたつが共存する術を探した。ふたつの輝きが寄り添うように隣合っていることが三成の理想だった。同じ未来を、同じ場所で見つめていたかったのだ。
 笑いと涙が同時にこみ上げてくる。

 家康、とつぶやいたはずの言葉は嗚咽にまみれて空気に溶けた。