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アイマライアー

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ふいに、暗闇の向こう側に光が差して、総司はああ、誰かが部屋の障子をあけたんだな、と思い至った。
すぐに光が差したときと同じような音がして、瞼の向こうに黒々と広がる闇がその色を取り戻す。誰かが畳の上を(そろそろと気遣いながら、一歩一歩踏みしめている様子も生々しく)歩いているのだ、やがて何かが側に腰を下ろす気配がして、思わずふふ、と笑いが漏れた。
目を閉じていてもわかるもの。
首すじを、すっかり力を無くしたまま横たわる髪の毛がくすぐったが、それを優しく押しのけて顔を傾ける。
「ねえ」
土方さん、と早口に言い終えると、相手は驚いてしまったのか、少し狼狽したように動きを止めて……そして、返事を返すように、所々節のある細い指が頬に触れてきた。ああ、この人はどこかしら私に触れていないとさびしいのだ、いつもいつでもたまらなくさびしいのだろうとそんな実感が胸に満ちて、確かめやすいように唇を寄せると、今度は鼻腔をくすぐるような切ない匂いがする。これは、今咲いている桜の花の匂いかしら、それとも遅咲きの梅の香りかな、ふいにそんなことが頭に思い浮かんで、そういえば、美しいものの放つ空気を、人はよく「香り」とか「薫り」とかいう字を使って飾り立てるけれど、この人のものは「匂い」という言い方ぐらいがちょうど良いのだと、総司は胸の奥にまで吸いこんだそれを味わいながら考えた。
土方さんはうつくしくなんてないのだ、鬼だと責め立てる人はいても、この人をうつくしいなどと思う者はいない。でも、うつくしくないかわりに、この人は大変愛おしくあると総司は常々思っていた。その場の癇癪で傷つけた相手の手を引きながら、慰めて回るような不器用さがこの人にはある(本当に優しい人は、最初から相手を傷つけるようなことはしないと総司にはわかっている)。しかし、その雄々しさは、たまらなくなるほどに強引な力で人々の心を魅了しながら、彼らがこの人の信頼を勝ち取ったと確信した瞬間に、毒にひたすような容赦の無さでそれを裏切っていくのだ。総司は、副長を愛していますと泣きながら、彼のために死んでいった大勢の隊士を知っている。彼の作った規律に裁かれ、彼の作った道徳に押しつぶされて、若い者たちも、老いた者たちも、子どものように幼い者もいたでしょう、彼らはばたばたと死んでいく。だのに、この人はそれを見ながら、自分のために殺されていく者たちを見ながら(俺のために死ねと言い捨てるだけの勇気はあるくせに)同じように彼らのことを思って嗚咽する。だから総司はいつも思うのだ、地に落ちるほどの愚か者め、自分が傷つくぐらいなら、そんなことなどしなければいいのに。なんてひどい人だろう。なんて、なんて愛おしい人だろう。
思わず、また冷えた笑いが漏れると、決まり悪そうにどうした、と尋ねる低い声がした。
「もう、お仕事は終わったんですか?」
その質問には答えずに、目を閉じたまま聞き返して、いつのまにか顎の方に回ってきたその指を遊び半分にくわえてみる。舌が触れる前に、すぐさまやめろ、と苦笑混じりの声がして、骨張った手は離れていった。
まだきちんと味わってないのに。それが何故なのかわからないまま、胸にぽっかりと穴が開いたような気分に陥って、あーあ、わざとらしくため息をつくと、どこからか指が降ってきて軽く額をこづかれた。
「……総司」
名前を呼ばれて、私の質問には答えてくれないんですかとすねた口調で返すと、ため息と共に、まだ終わったわけじゃないという返答が返ってくる。低くまろやかな声を耳で聞きながら、時にはこうして、互いの顔を見ないまま会話を交わすのも良いものだと総司は思った。今までの鍛錬のおかげなのかはわからないけれど、その姿がまるで見えなくても、何をしているのかはわかる。ためらっているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、その表情がはっきりとは見えなくても、何を考えているかはうっすらと伝わってくるのだ。彼の存在そのものを、身体が覚えているのだと総司は理解していた。産まれてきた赤ん坊が、何も教えられないで母親を見分けるときに使う機能のようなものが、こうして大人になってしまった総司にもずるずると残されているのだろう、感覚的に、歳三のまとう空気というものを身体が覚えていて、どんなときにもそれを区別して他と隔てることができてしまう、と。
ふいに当てずっぽうで手を伸ばすと、微かに脈打つ鼓動を指先に感じて、これは土方さんの首に違いない、と総司は笑った。少し移動すると、手首に冷たい彼の横髪が降り注ぐ。総司が手のひらをいっぱいに広げて、手櫛を後ろ髪に突っ込んでも、歳三は面倒くさいのか彼の好きにさせていた。
「お前の様子を見に来たんだ。しばらくしたら、部屋に戻る」
普段は怒号混じりのその声も、こうして様子を見に来てくれるときは、夢のように優しいのだ。嘘臭いなあ、まるで土方さんそのものじゃあないかと思いながら(優しさの大盤振る舞いをしても、偽善臭く見えるほど土方歳三という人間は情けをかけることに慣れてはいない)右手の人差し指で彼の髪を強引に巻き取ると、やんわりと腕が伸びてきて爪の先までも外される。突然やることがないような気分に陥って、もう寝てしまおうかと思案していたら、頭上で……額の上、もしくは右目の真上辺りだ……歳三が、気づかれないようにそっと吐息をついたのがわかった。
「総司」
彼が続きを言う前に、土方さんは、私に話しかけるまえに名前をよく呼びますねえと口をはさむと、苛立ったような舌打ちが聞こえて(でも、それは本当に怒っているというよりは、手のかかる弟の世話を任せられたときの、兄が抱くたとえようのない感情のそれに色濃く似ていた)彼が自分の額の髪をかきあげたのが総司にはわかった。水が流れるときのように、さらさらと後れ毛が着物とこすれあう音がする。寝しなの子どもにするように、繰り返し生え際をなでてくる細い指の感触を確かめながら、総司は、ふいに歳三の喉がかすかに震えた、その残響を耳にしたような気がした。
「お前」
ため息をつくように言われて、ふふ、と笑ったまま(寝汗でも拭き取るつもりなのか)耳もとに袖を押しつけてくる歳三の手を受け入れる。
「痩せたなあ」
総司の指などすっきりと収まってしまう大きな手のひらが、名残惜しそうに手首の太さを確認しているのがわかった。身じろいだ瞬間にずり落ちた掛け布団を引き上げて、肩まで寒くないように包み込む様は、まるで(母親の記憶なんてとうに無くしてしまったし、むしろその記憶自体が幻に近いものなのだとしても)世話焼きの母親そのものだ。
「すっかり青白くなっちまって」
作品名:アイマライアー 作家名:keico