この感情は災厄でしかない
閑話
「この人外誑し」
パチン、パチン、と室内に音が響く。
「ジゴロ、男妾、ヒモ」
「全部同じ意味ですよ。それと身に覚えがありません」
帝人は壁に凭れて携帯電話を操作し、波江は彼の足を膝に乗せて爪を切る。これだけ見れば波江の言い分が正しいようにも思えるが、実際は無闇に友人知人を攻撃するな、という帝人の要求に、爪の手入れをさせろ、という波江が条件を出したためにこうなっている。帝人が波江の言い分を否定しても問題はない。
「守られて貢がれた挙句に無自覚なんて救えないわね」
「貢がれてません。それに髪が伸びたせいで稀に女子と間違われる僕をそんな扱いにする人はいません」
「切ればいいじゃない。貴方なら左団扇で暮らせるわよ」
「そんな自堕落な生活は要りません。それに切ったらセルティさんの『首』が危ないじゃないですか」
帝人の言葉に波江はピタリ、と作業を止めた。
「……弟に『首』を諦めさせたのかしら?」
帝人は波江が実弟の誠二に異常執着していることを、その誠二は『首』に異常執着していることを知っている。それ故に波江が『首』を忌々しく思いながらも破壊出来ずにいて、それを知った上で髪を伸ばすことを条件に『首』の保全を要求した。
それなのに髪を切れば『首』が危ないという。誠二が『首』を諦めたなら、波江がそれを破壊しない理由はない。だから髪を切れない、と言い出したのかと思えばそうでもないらしい。
「違います、というより無理ですよ。矢霧君に諦めさせるなんて」
「さあ、どうだか」
帝人は波江が言った通り無自覚だ。この期に及んでまだ、彼女の弟に対する異常な愛に介入したとは少しも思っていないらしい。
「僕が言ってるのは貴女以外の要因です。貴女は、貴女の矢霧君に対する愛情のことは信頼してるつもりです」
わざわざ彼女自身は信頼していないと言われたようなものである。苛立つ心の赴くままに波江は帝人の足を掴み上げ、
「痛――――ッ!?」
足首に思い切り噛みついた。
「この人外誑し! 本当に救えないわね!」
いっそ××××されてしまえ、と口汚く吐き捨てて、波江は爪切りを再開した。
救われないのはいつだって帝人の周囲の人外ばかりである。
作品名:この感情は災厄でしかない 作家名:NiLi