花を摘むひと
すらりとした指先が、包帯を丁寧に丁寧に巻いていく。
男のくせに手の手入れなんかする臨也のことを、からかって笑ったこともあった。それでも帝人はその綺麗な指が、パソコンのキーボードを滑らかに叩くのを見るのが、好きだった。
包帯をテープで止めて、その指が包帯の上から帝人の腕をゆっくりとなでた。綺麗なだけじゃなくて、臨也の手のひらはいつも器用だ。いつだって、ぎりぎりのところで、帝人を引っ張りあげてくれる。
「・・・帝人君」
静かな声が、感情も無く帝人を呼ぶ。
帝人は、今度こそあきれられたかと、そんなことを恐れながら、切れ長の臨也の目を見上げた。
「俺に何か、言うことは無い?」
いつの間にか握り締められていた手に、臨也の体温が移る。冷えきった体に、それがとても気持よかった。
「・・・迷惑をかけて、ごめんなさい」
「違うでしょ、そんな言葉じゃない。そうじゃなくてさ・・・!」
一瞬泣き出しそうな顔をした臨也が、一つ息を吐いて帝人を思い切り抱きしめた。秋雨に濡れたせいで冷え切っている帝人の体を溶かすように、ぎゅうぎゅうと。臨也の胸に頬を預けて、帝人はゆっくりと息を吸う。臨也の匂いだ、そんなことを思うだけで、まだ大丈夫だと信じられる気がした。
帝人が臨也と出会ったのは、高校一年生の冬のことだった。落とした生徒手帳を臨也が拾ってくれたのがきっかけで、それ以来何かと臨也が気にかけてくれて徐々に親しくなった。
8つ年上のシステムエンジニア兼プログラマー。気分によってはWEBデザインなんかもするらしい。ようするにコンピューター系全般のフリーの仕事をしてる、大人の男の人。カッコイイし、優しいし、きっともてるだろうなと思うと思うと、帝人は胸がチリチリした。
馬鹿みたいだ、と思う。
優しくされて、特別に思われているんじゃないか、なんて。
こんな素敵な人、恋人がいないはずがないのに。それでも臨也が手を伸ばしてくれるから、こうしてすくい上げてくれるから、また性懲りも無く甘えてしまうんだ。
スキンシップが好きらしく、よく帝人の頭をなでたり、こうして抱き寄せてくる臨也に、あまり子ども扱いしないで欲しい、と切実に思う。臨也にとって帝人は弟みたいな存在かもしれないけれど、帝人にとって臨也は、そうではない。
こうして抱きしめられると、必死で押さえている感情があふれそうになる。可愛がっている弟分から告白なんかされたら、きっと臨也だってショックだろうに。それなのに。
「・・・ごめんなさい」
いろんな意味をこめて、帝人は一言そう告げた。
迷惑をかけてごめんなさい。怪我してごめんなさい。甘えてごめんなさい。・・・好きになって、ごめんなさい。
泣いてしまいそうな目をぎゅっと瞑って、早く臨也と距離を取らなくちゃと、何度も思ったことをまた思った。今日みたいに、ダラーズの創始者として「敵」と戦わなきゃならないたび、怪我するたび、臨也の優しい手を思い出して会いたいなんて思わないように、しなきゃいけない。
「違うよ、帝人君。ごめんじゃない。俺が聞きたいのはそれじゃないよ」
ますます帝人の逃げ道をなくすように、臨也は抱きしめる力を強くした。息が苦しい、と帝人は思う。どうせ散る想いなら、妙な期待なんかしたくないのに。
「臨也さんが、優しいから・・・甘えたくなっちゃうんです」
ダメですね、と帝人は笑う。自嘲に近かったけれど。そんな言葉に、臨也は帝人の肩を掴んで引き剥がし、
「違う」
と、断言して視線を合わせた。
何が違うというのだろう。分からなくてただその目を見返すと、臨也はもう一度、違うんだ、と呟いた。
「臨也さん?」
「俺は、優しくないよ」
「・・・嘘ですよ、優しくなかったら、こんな、傷だらけで泥だらけの不審者、手当てしたりしないです」
実際、臨也の家にたどり着くまでの間に、通行人に思いっきり避けられたりしたものだ。嫌な気分にならなかったといえば嘘になるが、そんな思いをしたって、臨也に会いたかった。きっと、臨也なら手当てをしてくれて、こんな風に抱きしめてくれるんじゃないかって、期待していた。
浅ましいな、僕。帝人はそんな風に思って、息を吐く。
ダラーズから腐敗を排除する為に戦うと決めたのは自分なのに、この息苦しさから逃れる術をずっと探している。どこかで、この戦いに終わりはないと知っている。このままいけば、ダラーズか自分のどちらかが、壊れるしかないということも。
臨也は息を吸ってゆっくりと吐き、それから自嘲を浮かべる帝人をもう一度見た。
「俺は」
低い、耳障りの良い声が言う。
「どうでもいい人間相手に、優しくしたりしない」
「分かってますよ、臨也さんにとって僕は、弟みたいでほっとけないんでしょう?けど、それでも・・・」
「違う」
真剣なまなざしに、声に、帝人はまた少し息が苦しくなった。だめだ、期待をしてはいけないと思うのに、心臓は勝手に早鐘を打つ。特別だといってくれたらいいのに、けど、無理だろうな。こんな何のとりえも無い高校生を、どうすれば臨也は恋愛対象にみてくれるんだろう。そんなの、どうしたって、無理だ。
なのに、そんな風に自己完結しても、臨也の声はしっかりと帝人の耳に飛び込んで意識を揺るがす。
「・・・優しくするのは、下心があるからだよ、帝人君」
「何、言って・・・」
「弟みたいだって、最初はそりゃそうだったよ。けど君はいつも、穏やかに笑いながらどこか無理してた。それに気づいて俺は、すごいショックを受けたんだ」
何に?と尋ねる前に、臨也が切なげに表情をゆがめる。
「何で俺に頼ってくれないんだって、それがすごく悔しかった」
あっけに取られる帝人をもう一度抱き寄せて、臨也は続けた。
「俺は、君が傷つくのは嫌だよ。こんな風に傷つく前に、俺に頼ってよ。どこにだって助けに行く、なんだってするから・・・っ」
嘘だ、こんなの夢に違いない。だって帝人には、この人に好かれる要素なんかなにもないのに。
帝人は震える手を伸ばす。いいのだろうか、この体を抱き返しても。自分なんかが、この人に触れて、いいのだろうか。
躊躇うその手を促すように、臨也は掠れた声で囁いた。
「好き、だよ」
手を、思い切り臨也の背中に回して、ぎゅうっと抱きつく。息を吸い込むと、臨也のつけているコロンの香りが帝人の脳裏まで侵食するようだ。なんと答えればいいんだろう、どうすれば一番喜んでくれるだろう、考えても真っ白の頭の中には、何も浮かんでこない。
帝人は大きく息を吸って、蚊の鳴くような声で、僕も好きです、と告げた。知ってる、と臨也は笑う。両想いだね俺たち、と。
「ね、帝人君。今この瞬間から俺たちは恋人同士だろ?遠慮しないで、言っていいんだよ。辛いなら、逃げたいなら、そう言ってよ」
俺を頼って、と囁く臨也の声に、帝人はくらくらした。まるで深海の海に飲み込まれていく無力な魚のように、力なく臨也という渦に巻き込まれる感覚。甘い甘い、けれども決してそれだけではない、そこの深さを感じさせる声だった。寄りかかってはいけない、本能はそう告げる。
けれども、帝人はもう、戦うことに疲れ果てていたので。
「・・・辛い、です」
唇は震えて、涙がこぼれて、帝人は縋るように零す。
男のくせに手の手入れなんかする臨也のことを、からかって笑ったこともあった。それでも帝人はその綺麗な指が、パソコンのキーボードを滑らかに叩くのを見るのが、好きだった。
包帯をテープで止めて、その指が包帯の上から帝人の腕をゆっくりとなでた。綺麗なだけじゃなくて、臨也の手のひらはいつも器用だ。いつだって、ぎりぎりのところで、帝人を引っ張りあげてくれる。
「・・・帝人君」
静かな声が、感情も無く帝人を呼ぶ。
帝人は、今度こそあきれられたかと、そんなことを恐れながら、切れ長の臨也の目を見上げた。
「俺に何か、言うことは無い?」
いつの間にか握り締められていた手に、臨也の体温が移る。冷えきった体に、それがとても気持よかった。
「・・・迷惑をかけて、ごめんなさい」
「違うでしょ、そんな言葉じゃない。そうじゃなくてさ・・・!」
一瞬泣き出しそうな顔をした臨也が、一つ息を吐いて帝人を思い切り抱きしめた。秋雨に濡れたせいで冷え切っている帝人の体を溶かすように、ぎゅうぎゅうと。臨也の胸に頬を預けて、帝人はゆっくりと息を吸う。臨也の匂いだ、そんなことを思うだけで、まだ大丈夫だと信じられる気がした。
帝人が臨也と出会ったのは、高校一年生の冬のことだった。落とした生徒手帳を臨也が拾ってくれたのがきっかけで、それ以来何かと臨也が気にかけてくれて徐々に親しくなった。
8つ年上のシステムエンジニア兼プログラマー。気分によってはWEBデザインなんかもするらしい。ようするにコンピューター系全般のフリーの仕事をしてる、大人の男の人。カッコイイし、優しいし、きっともてるだろうなと思うと思うと、帝人は胸がチリチリした。
馬鹿みたいだ、と思う。
優しくされて、特別に思われているんじゃないか、なんて。
こんな素敵な人、恋人がいないはずがないのに。それでも臨也が手を伸ばしてくれるから、こうしてすくい上げてくれるから、また性懲りも無く甘えてしまうんだ。
スキンシップが好きらしく、よく帝人の頭をなでたり、こうして抱き寄せてくる臨也に、あまり子ども扱いしないで欲しい、と切実に思う。臨也にとって帝人は弟みたいな存在かもしれないけれど、帝人にとって臨也は、そうではない。
こうして抱きしめられると、必死で押さえている感情があふれそうになる。可愛がっている弟分から告白なんかされたら、きっと臨也だってショックだろうに。それなのに。
「・・・ごめんなさい」
いろんな意味をこめて、帝人は一言そう告げた。
迷惑をかけてごめんなさい。怪我してごめんなさい。甘えてごめんなさい。・・・好きになって、ごめんなさい。
泣いてしまいそうな目をぎゅっと瞑って、早く臨也と距離を取らなくちゃと、何度も思ったことをまた思った。今日みたいに、ダラーズの創始者として「敵」と戦わなきゃならないたび、怪我するたび、臨也の優しい手を思い出して会いたいなんて思わないように、しなきゃいけない。
「違うよ、帝人君。ごめんじゃない。俺が聞きたいのはそれじゃないよ」
ますます帝人の逃げ道をなくすように、臨也は抱きしめる力を強くした。息が苦しい、と帝人は思う。どうせ散る想いなら、妙な期待なんかしたくないのに。
「臨也さんが、優しいから・・・甘えたくなっちゃうんです」
ダメですね、と帝人は笑う。自嘲に近かったけれど。そんな言葉に、臨也は帝人の肩を掴んで引き剥がし、
「違う」
と、断言して視線を合わせた。
何が違うというのだろう。分からなくてただその目を見返すと、臨也はもう一度、違うんだ、と呟いた。
「臨也さん?」
「俺は、優しくないよ」
「・・・嘘ですよ、優しくなかったら、こんな、傷だらけで泥だらけの不審者、手当てしたりしないです」
実際、臨也の家にたどり着くまでの間に、通行人に思いっきり避けられたりしたものだ。嫌な気分にならなかったといえば嘘になるが、そんな思いをしたって、臨也に会いたかった。きっと、臨也なら手当てをしてくれて、こんな風に抱きしめてくれるんじゃないかって、期待していた。
浅ましいな、僕。帝人はそんな風に思って、息を吐く。
ダラーズから腐敗を排除する為に戦うと決めたのは自分なのに、この息苦しさから逃れる術をずっと探している。どこかで、この戦いに終わりはないと知っている。このままいけば、ダラーズか自分のどちらかが、壊れるしかないということも。
臨也は息を吸ってゆっくりと吐き、それから自嘲を浮かべる帝人をもう一度見た。
「俺は」
低い、耳障りの良い声が言う。
「どうでもいい人間相手に、優しくしたりしない」
「分かってますよ、臨也さんにとって僕は、弟みたいでほっとけないんでしょう?けど、それでも・・・」
「違う」
真剣なまなざしに、声に、帝人はまた少し息が苦しくなった。だめだ、期待をしてはいけないと思うのに、心臓は勝手に早鐘を打つ。特別だといってくれたらいいのに、けど、無理だろうな。こんな何のとりえも無い高校生を、どうすれば臨也は恋愛対象にみてくれるんだろう。そんなの、どうしたって、無理だ。
なのに、そんな風に自己完結しても、臨也の声はしっかりと帝人の耳に飛び込んで意識を揺るがす。
「・・・優しくするのは、下心があるからだよ、帝人君」
「何、言って・・・」
「弟みたいだって、最初はそりゃそうだったよ。けど君はいつも、穏やかに笑いながらどこか無理してた。それに気づいて俺は、すごいショックを受けたんだ」
何に?と尋ねる前に、臨也が切なげに表情をゆがめる。
「何で俺に頼ってくれないんだって、それがすごく悔しかった」
あっけに取られる帝人をもう一度抱き寄せて、臨也は続けた。
「俺は、君が傷つくのは嫌だよ。こんな風に傷つく前に、俺に頼ってよ。どこにだって助けに行く、なんだってするから・・・っ」
嘘だ、こんなの夢に違いない。だって帝人には、この人に好かれる要素なんかなにもないのに。
帝人は震える手を伸ばす。いいのだろうか、この体を抱き返しても。自分なんかが、この人に触れて、いいのだろうか。
躊躇うその手を促すように、臨也は掠れた声で囁いた。
「好き、だよ」
手を、思い切り臨也の背中に回して、ぎゅうっと抱きつく。息を吸い込むと、臨也のつけているコロンの香りが帝人の脳裏まで侵食するようだ。なんと答えればいいんだろう、どうすれば一番喜んでくれるだろう、考えても真っ白の頭の中には、何も浮かんでこない。
帝人は大きく息を吸って、蚊の鳴くような声で、僕も好きです、と告げた。知ってる、と臨也は笑う。両想いだね俺たち、と。
「ね、帝人君。今この瞬間から俺たちは恋人同士だろ?遠慮しないで、言っていいんだよ。辛いなら、逃げたいなら、そう言ってよ」
俺を頼って、と囁く臨也の声に、帝人はくらくらした。まるで深海の海に飲み込まれていく無力な魚のように、力なく臨也という渦に巻き込まれる感覚。甘い甘い、けれども決してそれだけではない、そこの深さを感じさせる声だった。寄りかかってはいけない、本能はそう告げる。
けれども、帝人はもう、戦うことに疲れ果てていたので。
「・・・辛い、です」
唇は震えて、涙がこぼれて、帝人は縋るように零す。