【米英】Give me a chocolate!
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セーシェルは放課後の廊下を急ぎ駆けていた。
今日は天気が良いらしい、窓からは冬の冷たい空気を温めるかのように暖かな光が降り濯いでいるが、あいにくそんなことを気に留める余裕はない。
さきほど終業のベルが鳴り、WW学園は放課となっていた。生徒たちはこれから寮の門限まで、思い思いの時を過ごす。校内外でスポーツや趣味の活動に励む者、親しい仲間と午後のお茶に繰り出す者、山のような課題に取り組む者などさまざまだ。中には上司の呼び出しを食らって帰国を余儀なくされる気の毒な者もいる。
そしてセーシェルはというと、現在、己のクラスから、同じ棟の最上階に位置する生徒会室へと向かっていた。彼女は生徒会役員のひとりで、これから会議が待ち受けているのだ。
その距離は数百メートルながら、廊下は教室から出てきた人やたむろしている人で溢れていて、なかなか思うように前に進めない。ときおり人にぶつかりそうになりながらも器用に避け、セーシェルは走る。足を踏み出すたび、二つに結んだ長いおさげが左右に揺れていた。ブレザーの袖をまくって腕時計を確認すれば、いつもの集合時間まではあと五分もなかった。
(やっばい、遅れたら今日こそあの眉毛に侵略されちゃう!)
自分を植民地にすると云った極悪な顔を思い出して、セーシェルはぶるりと身震いする。そんなことになったらたまらない。
そもそも彼女が遅刻しそうになっているのは、前の化学の授業で使った実験器具の後片付けをしていたためだった。授業が終わると、同じ班の女子たちはなんだか知らないが用があると云ってそそくさと帰ってしまったのだ。しょうがないのでひとりで片付けてきたのだが、あの元ヤンがそんな言い訳の通じる相手ではないことは良く分かっている。とにかく今は急ぐのみだ。
ちなみに極悪な眉毛であり元ヤンであるその人物とは、泣く子も黙るこの学園の生徒会長、イギリスのことである。かつての大英帝国をその胸に誇る彼は、会長に任命されるや否や、見事な手腕を発揮してこの世界各国の集う学園をまとめあげた。
その能力は高く評価されてしかるべきところだが、いささか厳しすぎる部分もある。中でも彼は時間や規律にうるさかった。いつも懐中時計を片手に、やれ何分遅れだの何だのと口やかましい。とはいえ、同じ生徒会のメンバーでさえ、彼に面と向かって意見できる者はそういない。先日入ったばかりのセーシェルなど、もってのほかだ。
「――はぁっ、良かった、セーフ……っ」
そうして数分後、セーシェルは最上階へと足を踏み入れた。全力で走った甲斐あって、どうにか時間前にたどり着けそうだ。ほっと胸を撫で下ろしながら廊下奥の目的地へと急ぐ。
だがそのとき、生徒会室のドアの前に見慣れた男子生徒が佇んでいることに気がついた。制服の上にファーつきのフライトジャケットを重ねるといういつものファッションの彼は、両のポケットにそれぞれの手を突っ込んで、壁に寄りかかるように立っている。
「アメリカさん、そんなとこで何してるんですか? 中、入ったらいいのに」
切らした息を整えながら近寄って行くと、どこかぼうっとした様子であさっての方向を見ていたアメリカは、振り返ってああと気のない返事をした。
「セーシェルかい。……うん、別にこれといって用があるわけじゃないから」
なんだか口調に抑揚がないし台詞に説得力がない。用がなくてこんなところにいるわけがないのだ。アメリカは役員ではないから遠慮しているのだろうか……と云っても、彼がそんな控えめな性格をしていないというのは、彼女も良く知るところである。アメリカはいつも、勝手気ままに生徒会室に入ってくる。あまりに堂々としているから、最初、彼も生徒会の人間なのかと思っていたくらいだ。
「でも、廊下じゃ寒いんじゃないですか? それになんだか立たされてるみたいですよ――あ、もしかして、会長に」
「――いいから放っておいてくれよ」
ぴしゃり。
軽く云ったつもりが、苛立ちを隠さない声で返されてしまった。セーシェルはすごすごと引き下がると、ひとりで中へと入る。ドアを閉めると、ちいさく吐息を漏らした。
(変なの。ちょっとからかっただけでそんなに怒らなくてもいいのに)
セーシェルが知る限り、アメリカは陽気な男だ。普段はそれはもう、鬱陶しいくらいのハイテンションだ。なのに今日はどうしたというのだろう。首を捻りながら中に目を向ければ、ソファに座っていたフランスが「よう」と手を上げる。見る限り、部屋には他の人間はいないようだ。手招きをされるがままフランスに近づくと、彼はまさに気になっていた話題を振ってきた。
「セーシェル、そこでアメリカに会ったろ?」
「会いましたよ……何かめっずらしく機嫌わりーですね。何かあったんですかね?」
セーシェルは隣に腰を下ろした。大声で話すとドアの外に漏れるかもしれない、自然とボリュームが下がる。フランスは肩をすくめた。
「まあ、予想はつくけどな」
「?」
首をかしげると、フランスは人差し指を二人の顔の前でぴんと立てた。
「さて、クイズです。セーシェル、今日は何の日だ?」
「え? 何かありましたっけ。二月十四日……あっ」
声に出してみて、ようやく答えに思い当たる。
「そ、バレンタイン。ってか、忘れてたの? マジで?」
フランスは信じられないものを見る目で見てきた。
「だって用ないですもん」
なるほど、道理でクラスの女子はさっさと帰ったわけだ。けれどチョコをあげる相手のいないセーシェルにはとんと縁がないイベントである。あっさりと云うと、彼はいやいやと首を振った。
「ないってことないでしょう。セーシェルのチョコを欲しがってる男はたくさんいるよ?」
「どこにいます?」
「ここに……」
フランスの右手は彼の胸の上にある。まるで愛を語っているかのような仕草だ。
「私、義理はあげない主義なんです」
とたんにフランスはポーズを崩した。前のめりにぐらりと揺れ、うう、と呻く。
「今の台詞、突き刺さったなあ……」
「そんなことより、アメリカさんですよ。つまりそれって……?」
セーシェルは話を戻した。バレンタインとアメリカの不機嫌、どういう関係があるのか分かりかねる。いや、ひとつ考えられることはあるが、とてもありそうな話ではない。……と思ったが、心を読んだかのごとくフランスは頷いた。
「そ。あの坊ちゃんは、本命からのチョコが貰えなくてカリカリしてるってわけ」
「えええ! まさかそんな、嘘ですよ!」
「シーッ、セーシェル、声でかい」
慌てて口を噤むと、苦笑してフランスは云う。
「嘘じゃないんだなあ、コレが。まぁ信じらんないのは俺も同じだけどな」
「だって、アメリカさんの本命って……その、」
言葉を濁すと、フランスが続きを述べた。
「ああ。偉大なるうちの生徒会長様だよ」
「……ですよねえ」
生徒会長であるイギリスとさきほどのアメリカは、兄弟のような関係にある。そしてイギリスはアメリカの育ての親でもある。何でもアメリカは物心ついた頃から数年前に家を出るまで、イギリスに面倒を見てもらっていたらしい。
作品名:【米英】Give me a chocolate! 作家名:逢坂@プロフにお知らせ