シープスリープ・カウントシープ
ふわりと背後に、舞い上がる感じの浮遊感。なんだろう、これ。そう思っていた。ベッドにいて目を閉じている筈なのにイメージはとても鮮明だ。ちかちかと瞼の裏、点滅する補色と共にひきずりこまれてしまう。ぐらぐらして、眩暈のよう。カウント3で足場を蹴って落ちるんだ。自分でその引き金を引く。あぁ、とても嫌な喪失感だ。
(3)
とても静かな夜だった。日付も変わってAM二時。取り立てて何も無い日々の真ん中のこと。少しだけ気温と湿度の高い夜。重ねて言えば新月の。だからと云って、心を乱す外的要因なんてこれっぽっち、皆目見当もつかない。沸騰したような頭で考える。前後左右の感覚すら既に薄かった。どうしてだろうとシーツの上、まずは身体の向きを変えた。恐くて目が開けられない。沈みゆく感覚を抑えられない。フランシスは、これが夢でもなんでもないことだけ、分かっていた。とても残念ながら。睡眠導入のどこかで意識がずれてしまったのだろう。だって、干したてのリネンのシーツの手触りも、やわらかなブランケットの重さも、枕の感覚も、現実そのものだ。しかし、そんな事実は落下する意識を止めてはくれなかった。瞼の裏、先ほどまで受けていた色彩の補色はチカチカと光りサイレンにも似て、眼球を焼き尽くしてしまいそうな気さえした。強烈な光の先、何も見えない。ひとであって、ひとではないのに、果たして自分の中の何が痛んでいるのだろう。時折思う疑問が、舞い上がる感覚に拍車を掛ける。
かかとを浮かせて自分は終に爪先でいるのだ。あぁ、落ちてしまうよ。
(2)
神経が、ざわついた。雨の日のような感覚がした。こころはどこにあるのだろう。人と同じ場所にあるのかな。
あぁ、そんなのどうだっていい。今は。侵食してくる闇は途方もない夜のようでじわじわ染みてきているではないか。網膜はモノクロ、呼吸をするたびに身体は浮かび落ちていく気がした。果てのない奈落まで、奈落まで?そこは、どこ。
もう爪先は残していた余力を使いそこを離れてしまったよ、肺のふくらみと同じ速度で、あぁ、そう。
(1)
なくしていく。
ぐらぐらと、目が回った。閉じているというのに酷い眩暈。身体は弧を描き、背中を仰け反らせ暗い宇宙へ、落ちた。あぁ、そう。自分の中の「フランシス」が、剥がれて崩れて散らばり、落ちていく。パーツはばらばらに飛散し、跡形も見えない。ぽっかり、なにもなくなってしまう。臓器は重力に逆らい浮遊して、果たしてこれからもとの位置に戻ってくれるのだろうか。酷い吐き気を、伴いながら。
「‥っ!」
耐えられなくなり目を開いても現状は何も変わってはいなかった。
じわじわと侵食を赦す。
たすけて、たすけて、手を握って、抱きしめて。その体温でここから引きずり出してよ、アントーニョ。
瞬きをした。手のひらは、探すように宙をさまよっていた。一寸先すら暗闇で何も見えない。気付けば彼の名を呼んでいた。心臓が弾む。深層心理から這いずり出た言葉?そんな、馬鹿な。でも、あぁ、ねぇ。ベッドサイドに座って、その右手で髪を撫でてほしい。子供をあやすように。いま自分が懸命にイメージしているみたいに。、綺麗なブロンドだと、言って口付けて、攫って、流して。丁寧でなくていい、ぐちゃぐちゃでも、もう構わないから。ねぇ、ここにいて。
腕が、記憶の彼をかたちづくり、抱いた。覚えている腕の隙間と感触が切ない。すっかり痩せた細い腰を抱えるようにすると、これくらいだ。しかし、いくら形作れても、どこにも、いないじゃないの。
あぁ、どうして。
どうしてこんなになってしまったの。なぜふとした瞬間に甘えたいと思うの。どうして、抱きしめて欲しいなんて。
自分は人間じゃない。人を深く愛するなんて、繁殖しないのだからそんなの必要ない、ずっとそう思っていた。それが意識の根幹でも有った。気に入ったものは沢山愛したい。でも、どうして、彼だけ。
指が彼の指の感覚を知っている。手のひらの厚さ、それも鮮明に思い描ける。けれど、
手を伸ばして握ってみてもそこはただの宙だった。空虚だった。なにもなかった。体温も脈拍も、なにも。
「抱っこ‥」
して、ほしくて。どうしてもして欲しくて手を伸ばす。居る訳がないのに。分かっているのに。
伸ばして、触れた、空気のつめたさでこころが圧迫された。
あぁ、もし自分がロヴィーノだったのなら、きっと抱きしめてもらえるのだろう。なにも恐いものなど無いといった表情で。慈愛みたいな顔をして。太陽のにおいがするその手のひらで。頭を丁寧に、丁寧に撫でてくれるのだろう。彼は。首にそっと手を回し、背中をゆっくりとさすって。「落下なんかしない」「空虚なんかない」「すぐに夜は明けるで」って。抱きしめて、くれるのだろう?その両腕で。
自分はそれを、ゆっくりと思い描くことしか、出来ないと言うのに。
どうしてこうなってしまったの。なにをいつ、どこで間違えた?でも、誰も教えてはくれない。
願わくば彼も、こんなせつない夜を、過ごしていたらいいのにと、思うけれども。絶対にそんなことはないのだろう?
(だって、かれにはいるんだもの)
飛散した破片のうちのひとつが、ぺしゃんと音を立てて落下した。涙だった。
*
【カウントシープ、スリープ・フランス編】
(3)
とても静かな夜だった。日付も変わってAM二時。取り立てて何も無い日々の真ん中のこと。少しだけ気温と湿度の高い夜。重ねて言えば新月の。だからと云って、心を乱す外的要因なんてこれっぽっち、皆目見当もつかない。沸騰したような頭で考える。前後左右の感覚すら既に薄かった。どうしてだろうとシーツの上、まずは身体の向きを変えた。恐くて目が開けられない。沈みゆく感覚を抑えられない。フランシスは、これが夢でもなんでもないことだけ、分かっていた。とても残念ながら。睡眠導入のどこかで意識がずれてしまったのだろう。だって、干したてのリネンのシーツの手触りも、やわらかなブランケットの重さも、枕の感覚も、現実そのものだ。しかし、そんな事実は落下する意識を止めてはくれなかった。瞼の裏、先ほどまで受けていた色彩の補色はチカチカと光りサイレンにも似て、眼球を焼き尽くしてしまいそうな気さえした。強烈な光の先、何も見えない。ひとであって、ひとではないのに、果たして自分の中の何が痛んでいるのだろう。時折思う疑問が、舞い上がる感覚に拍車を掛ける。
かかとを浮かせて自分は終に爪先でいるのだ。あぁ、落ちてしまうよ。
(2)
神経が、ざわついた。雨の日のような感覚がした。こころはどこにあるのだろう。人と同じ場所にあるのかな。
あぁ、そんなのどうだっていい。今は。侵食してくる闇は途方もない夜のようでじわじわ染みてきているではないか。網膜はモノクロ、呼吸をするたびに身体は浮かび落ちていく気がした。果てのない奈落まで、奈落まで?そこは、どこ。
もう爪先は残していた余力を使いそこを離れてしまったよ、肺のふくらみと同じ速度で、あぁ、そう。
(1)
なくしていく。
ぐらぐらと、目が回った。閉じているというのに酷い眩暈。身体は弧を描き、背中を仰け反らせ暗い宇宙へ、落ちた。あぁ、そう。自分の中の「フランシス」が、剥がれて崩れて散らばり、落ちていく。パーツはばらばらに飛散し、跡形も見えない。ぽっかり、なにもなくなってしまう。臓器は重力に逆らい浮遊して、果たしてこれからもとの位置に戻ってくれるのだろうか。酷い吐き気を、伴いながら。
「‥っ!」
耐えられなくなり目を開いても現状は何も変わってはいなかった。
じわじわと侵食を赦す。
たすけて、たすけて、手を握って、抱きしめて。その体温でここから引きずり出してよ、アントーニョ。
瞬きをした。手のひらは、探すように宙をさまよっていた。一寸先すら暗闇で何も見えない。気付けば彼の名を呼んでいた。心臓が弾む。深層心理から這いずり出た言葉?そんな、馬鹿な。でも、あぁ、ねぇ。ベッドサイドに座って、その右手で髪を撫でてほしい。子供をあやすように。いま自分が懸命にイメージしているみたいに。、綺麗なブロンドだと、言って口付けて、攫って、流して。丁寧でなくていい、ぐちゃぐちゃでも、もう構わないから。ねぇ、ここにいて。
腕が、記憶の彼をかたちづくり、抱いた。覚えている腕の隙間と感触が切ない。すっかり痩せた細い腰を抱えるようにすると、これくらいだ。しかし、いくら形作れても、どこにも、いないじゃないの。
あぁ、どうして。
どうしてこんなになってしまったの。なぜふとした瞬間に甘えたいと思うの。どうして、抱きしめて欲しいなんて。
自分は人間じゃない。人を深く愛するなんて、繁殖しないのだからそんなの必要ない、ずっとそう思っていた。それが意識の根幹でも有った。気に入ったものは沢山愛したい。でも、どうして、彼だけ。
指が彼の指の感覚を知っている。手のひらの厚さ、それも鮮明に思い描ける。けれど、
手を伸ばして握ってみてもそこはただの宙だった。空虚だった。なにもなかった。体温も脈拍も、なにも。
「抱っこ‥」
して、ほしくて。どうしてもして欲しくて手を伸ばす。居る訳がないのに。分かっているのに。
伸ばして、触れた、空気のつめたさでこころが圧迫された。
あぁ、もし自分がロヴィーノだったのなら、きっと抱きしめてもらえるのだろう。なにも恐いものなど無いといった表情で。慈愛みたいな顔をして。太陽のにおいがするその手のひらで。頭を丁寧に、丁寧に撫でてくれるのだろう。彼は。首にそっと手を回し、背中をゆっくりとさすって。「落下なんかしない」「空虚なんかない」「すぐに夜は明けるで」って。抱きしめて、くれるのだろう?その両腕で。
自分はそれを、ゆっくりと思い描くことしか、出来ないと言うのに。
どうしてこうなってしまったの。なにをいつ、どこで間違えた?でも、誰も教えてはくれない。
願わくば彼も、こんなせつない夜を、過ごしていたらいいのにと、思うけれども。絶対にそんなことはないのだろう?
(だって、かれにはいるんだもの)
飛散した破片のうちのひとつが、ぺしゃんと音を立てて落下した。涙だった。
*
【カウントシープ、スリープ・フランス編】
作品名:シープスリープ・カウントシープ 作家名:トマリ