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善法寺伊作という男

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【序】




「おや、随分と遅いんだね」
「ええ、ちょっと……。食べるもの、ありますか?」
 後片付けもほとんど済んだ食堂にひょっこり顔を出した善法寺伊作に、食堂を預かるおばちゃんは目を剥いた。
 あとはかまどの火を落とすのみだったから、間に合ってよかったというべきか。いくばくかの飯は明日の朝、自分が食べるようとして蓋つきの壷の中に入れてある。
「冷や飯になっちゃうけど、いいかい?」
 それと漬物とぐらいしか用意は出来ない。それでも、普段朗らかな少年は、薄汚れて疲労がにじむ顔に笑みを浮かべる。
「はい。食べられればなんだって」
 そんな少年に座っておいでと声をかけると、急いで湯を沸かす。せめて温かいお茶とお絞りぐらいは用意してやりたい。
 そうして盆を持って出れば、伊作は食堂の壁に寄りかかるようにして目を閉じていた。
 何も声をかけずに机にお盆を置くと、コトリという小さな音で彼は目を開ける。
「すみません」
「いいんだよ。ゆっくりお食べ。ご飯はおしまいだけど、お茶ならまだあるからね」
 こういうとき、大人が側にいてはゆっくり出来ないことも知っている。奥にいるからねと言い残し早々にカウンターの奥へと戻れば、いただきますという小さな声が背後から聞こえた。


 温かいおしぼりで顔を拭けば、とても気持ちがいい。ほっとするし、萎えかけていた生気が蘇るような、なんていったら大げさかも知れないれど、本当にそんな感じだ。
 首まで拭えば、白かった手ぬぐいは薄ら汚れ、あっという間に温もりは消えていく。その代わりに得た元気に感謝しながら、お茶を飲む。
 喉を通り、胃へと染み込む湯の温もり。なんて、なんてすばらしいんだろう。冷えた握り飯も、あふれ出る唾液のおかげで、なんとも甘く感じる。
「……幸せだね」
 こうして、食事が出来ることが。美味しいと思えることが。そして誰かが気遣ってくれることが。
 ほんの些細な、誰かに言えばたったそれっぽっちと言われそうなことだけれど、でもあまりにも大きな、とても大事な幸せ。人知れず忍務を済ませた後では、特に心の奥に沁みこんでくる。
 また一口、おばちゃんが握った大きなお結びを頬張れば、広がる甘みに涙が溢れた―。

「ご馳走様でした」
 カウンターに空になった食器を下げて台所を覗き込めば、おばちゃんは休んでいたのだろう。奥の部屋から顔を覗かせる。
「そこに置いといておくれ。お絞りもそのままでいいからね」
 洗って戻そうと伊作の手に握られているものを、見えるはずもないのに見咎めて、おばちゃんは笑う。さすが、忍術学園の母親的存在の人だ。もう一度礼を言って、お盆の上に遠慮なく置いておく。
 食堂を出れば、すでに灯りも落ちた学園内は、薄墨に包まれているかのよう。そんな暗がりを月明かりだけを頼りに歩く。
 長屋へ戻る道中、あちこちから甲高い音が聞こえるのは、今が夜間の自主トレの時間帯だからだろう。それもまたこの学園の日常で、知らずに頬が緩む。
 繰り返される、変わらぬ営み。それが何より尊いものだと思い始めたのはいつだっただろうか。おそらく、忍者として向いていないと言われても、辛くなくなった頃からだと思う。


「おかえり。ご機嫌だな」
 珍しく部屋にいる同室者が、戸の開く音に振り返る。
「うん。とっても美味しいご飯をいただいてきたからね。それより留さんがこの時間部屋にいるなんて珍しい」
「失礼な言いようだぞ」
 笑って、彼は手元に視線を落とすと木槌を振るう。そんな留三郎の影から、壊れた桶らしい残骸が見える。
「……精が出るね。でも、明るいときにやったら?」
「ん? ああ。早く直してやりたいんだ。でないと、朝の洗顔にも、困るだろう」
 コンコンと木を打つ音は絶え間ない。しかし、直してやりたい、というあたりこの桶は留三郎のものでも学園の備品でもないのだろう。しかもわざわざ直してやるあたり、おそらくは一、二年生の忍たまのものか。
 そっか、と呟いて、床に座り込む。どっと感じる疲れに息を吐けば、衝立の向こうから、ほら、と絞った手ぬぐいが降って来る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 どうしてこういうものが用意されているかなどと問うのは面倒なので、遠慮なく身体を拭かせてもらう。
 木を打つ音だけが響く、室内。漂う薬草の香りは、部屋の中で煎じることが多いせいで染み付いてしまったもの。もしかしたら自分の身体にも染みついているかもしれない。スンと腕を嗅いでみるが、鼻腔を刺激するのは汗の臭いばかりだ。
「………伊作」
 木槌の音に紛れ、六年間慣れ親しんだ声がする。ただこんな風に落ち込んだ声は久しぶりだと思いながら、いつもの調子で返す。
「なに?」
「今日な、チビたちが樹の上から落ちたんだが……話、聞いてるか?」
「ううん…僕もさっき学園に戻ってきたから」
 出かけていたのは知っているはずの相手だし、後輩が落ちたとなれば保健室に担いでいったはず。ならば伊作が不在だったことぐらいわかっているだろう。
 それでもこう話しかけて来る理由は、聞いてほしいからか。疲れているのにな、なんて少しだけ思いながら、髪を解く。
「どうかしたんだい?」
 つとめなくても、平素の音は変わらない。
 いくら自分たちが最上級生といっても、弱音をまったく吐かないわけじゃない。むしろ後輩に洩らすわけにはいかない分、溜め込んでいるぐらいだ。
 そんなときの息抜き相手を務めるのは、大抵が同室者の役目。それを放棄するのは、自分が弱音を吐く場所を放棄するに等しい。
 もちろんそんな屁理屈関係なく、友を支える存在であり続けたいと思っている。続きを促せば、それまで小刻みに音を奏でていた木槌の音が鈍る。
「……いつものことだ。遊びに夢中で、それはいいんだが、あいつら柿の樹に登ってたんだよ」
「それは…」
 立派に見える枝ぶりでも、柿の樹は脆い。忍術学園に入学してくる歳の子供ならば、日々の生活の中で親や兄弟から教えられていることだろう。
 ただ、たまにそうでない子供もいる。この学園にはさまざまな環境から子供が集まってくるのだから、ごく当たり前な話だ。
 それは自分たちの代でもあったこと。そして毎年起きる、よくあるトラブルのひとつ。
「ああ。案の定ぽっきり枝が折れて……下にいた子供が支えたからよかったんだけどよ。だけどそいつが、折れた枝でひどく額を切って」
「…頭のケガは、血がとても出るからね」
「しかも目の上をやっちまって、もしかしたらもう目がダメになるかもしれない。俺がもう少し早く、気づいていたら…っ」
 いつしか木槌の音は消えて、代わりに聞こえるのは、ほんの微かな鼻を啜る音。気づかぬ振りをして軽く衝立に背を預ければ、軽く軋む音がする。
 留三郎は優しい。庇護するべき対象には、本当に心を砕く。そしてそれが忍者らしくないと文次郎に指摘されて、かなりショックを受けていることも知っている。
 子供のケガなんてこの学園内では日常茶飯事だし、そもそも子供なんて怪我をしながら育つのが当たり前。
 ただその中で、取り返しのない怪我を負う忍たまもいる。
作品名:善法寺伊作という男 作家名:架白ぐら