『きみの話を聞かせて』
僕の世界はキラキラしていた。
部屋を包む明るい壁紙。欲する前に与えられた玩具。
周囲の大人達は皆優しかった。まるで宝物のように扱われるのはとても心地が良かった。
僕は特別なんだ、と、いつも思っていた。
いや、今思えばそれは全て『思わされていた』だけなのかもしれない。
瓦礫が散乱するこの場所に僕は王として君臨する筈だった。目の前にいるゼクロムと共に、英雄となり、ポケモン達を解放する筈だった。
だが、結局果たせなかった。
「僕がこれから何をするか、どうするか、それは僕自身が決めることだ」
僕の言葉を黙って聞く彼女は一体何を思っているのだろうか。
勝利に満足しているのだろうか、父様の言葉の意味を考えているのだろうか、伝説のポケモンに選ばれたことに誇りを感じているのだろうか。
――何故だか、どれも違う気がした。
ゆっくりと振り返る。彼女は真っ直ぐに僕を見ていた。うっすらと涙が浮かんでいる。感覚的に感じているのだろうか。僕がこれから何を言おうとしているのか。
その瞳はこれまで沢山のポケモンとの出会いや冒険、そして、事件を見つめてきた。
なのに、不思議と彼女の瞳は最初に出会った頃と変わっていない。
「綺麗な目をしているね」
自然とそう言葉にしていた。
彼女は困惑したらしく、目を泳がせてた。
「君の夢を叶えてくれ。僕は――」
口を噤む。これ以上話し続ければ、僕は離れられなくなる気がしたからだ。僕は行かなければならない。ゼクロムと共に。
「さようなら」
別れの言葉を口にするのがこんなにもツライことだなんて知らなかった。心臓が止まりそうなぐらい苦しくなるなんて知らなかった。
彼女ではなく、ゼクロムに手を伸ばす。漆黒の体が近寄ってくる。その背に飛び乗る。
「――!」
背後で彼女の声が聞こえた。
名前を呼ばれたのか、引き留められたのか、別れを告げられたのか。確かな言葉は分からなかったが、悲しませてしまった事は確かだった。
「……ごめんね」
風と共に涙がイッシュの空に散った。
僕の世界はキラキラしている――そう思っていた。
だけど、彼女や沢山のポケモンに出会い、触れあったことで、僕の世界があまりにも狭い事に気付かされる。
草むらを駆けるポケモンは自由を謳歌していた。それを見て、やはりポケモンは自由であるべきなんだと確信した。
町中でブリーダーに褒められているポケモンは嬉しそうに喉を鳴らしていた。それを見て、自由を知らない事を哀れに思った。
海を縦横無尽に泳ぐポケモンは自然と一体になっていた。それを見て、いつか全てのポケモンをこの自然に返すのだと、改めて自分の信念を再確認した。
しかし、彼女と出会い、僕の信念は緩やかに揺らぎ始めた。
『好きだよ』
『君のために頑張るよ!』
『いつも撫でてくれてありがとう』
彼女のポケモンからはいつもそんな言葉が聞こえてきた。
嘘偽りがない言葉の数々に僕は戸惑うしかなかった。
僕が暮らしてきた部屋で出会ったポケモン達は皆、人間を嫌っていた。憎んでいた。
だから、僕が彼らを助けなくてはならないのだと思った。彼らの言葉が分からない人間達に、僕が分からせてやるのだと、あの部屋の中で決めたのに。
なのに、彼女も、彼女のポケモンも僕を惑わした。
それからだ。野生のポケモンや、人間と共にいるポケモンを見ても本当に僕の考えは正しいのだろうか、と考え始めたのは。
父様は変わらず熱心に人間達の説得に努めていた。
久しぶりに会った僕を見ても『N』としてしか接しないのは、それ程までに父様がポケモン達の事を考えているからなのだと思った。いや、思い込もうとした。
「伝説のポケモンに選ばれる日は近い」
「ええ」
派手な装飾で飾られた部屋、その真ん中にある大きなテーブルで向き合いながら食事をとっていた。しかし、二人の距離は遠く離れている。
父様の周りには仕える部下達が取り囲んでいた。
「心構えは出来ているか」
「勿論です。ですが、父様。お願いがあるのです」
「何だ?」
強い目で見つめられる。
一瞬、怯んだが、意を決して口を開いた。
「……彼女と戦いたいんです」
「彼女? ああ、あの小娘か。いきなり何を言い出すかと思えば、お前は英雄になることだけを考えていればいいんだ」
「ですが、父様っ」
ダンッ、と、大きな音がした。テーブルの上にあったグラスが倒れ、中身が零れる。
睨んでくる瞳は強く、恐ろしい。だが、僕は引かなかった。
「僕は必ず伝説のポケモンに選ばれてみせます。しかし、その後人々に本当の意味でのポケモンの解放を理解し、納得させるには対となる伝説のポケモンを倒す必要があるんです」
方便だった。
ポケモンを傷つける戦いなんてしたくなかった。
「ほう。では、お前はあの小娘がもう一匹の伝説のポケモンに選ばれると思っているのか」
「はい」
父様は鼻で笑った。信じていないのだろう。
以前の僕なら父様と同じく信じなかっただろう。しかし、何度も彼女と彼女のポケモンと接してきて、確信した。
彼女は必ず選ばれる。
僕とは真逆の信念を持つ彼女だからこそ。
暫しの沈黙の後、父様は大きく溜息を吐いた。
「分かった、いいだろう。しかし、伝説のポケモンが本当に小娘を選んだ場合だ」
「ありがとうございます」
頭を下げる。
その後は二人とも一言も言葉を交わさず、食事を再開した。
「ゼクロム、君は彼女が選ばれると思うかい?」
初めて乗ったゼクロムの背中を撫でながら問う。しかし、彼は何も答えない。
「そうか。君にも分からないのか」
ゼクロムの姿を見た彼女は、驚きで体を硬直させていた。恐怖心さえ抱いていたかもしれない。こんなにも綺麗な心を持つ彼を恐れるなんて、愚かだ。
「さあ、君の信念を早く僕に見せてくれ」
両手を広げ、風を体で感じながら僕は笑った。
『落ちても知らんぞ』
彼の声は低く、重みがあった。
僕を選んだ時の言葉とは一変したそれは、伝説のポケモンも他のポケモンと変わらないことを僕に教えてくれる。
ああ、なんて愛おしいんだろう。
城の頂上に向かう途中、ある部屋の前で僕は足を止めた。
そこは幼い頃、僕がずっと暮らしてきた部屋だった。僕のために用意された、僕と傷ついたポケモン達の部屋だ。
彼女が追ってくる。分かっていても、足は部屋へ向かった。
変わっていない。子供っぽい装飾の中に溢れかえる玩具。
止まった電車の玩具を見つけた。
『懐かしいですね』
モンスターボールの中から声がした。
『ご主人のお気に入りはあの白い電車でしたよね』
別のボールからまた声が聞こえた。
その声に背中を押されるように、体を屈めると電車の電源を入れた。暫く使っていなかったにも関わらず、それはスムーズに動き始めた。
上を見上げれば飛行機の玩具が延々と回っていた。
ガタッ、という音に再び視線を下げると、外れていたレールの所為で、電車が脱線状態になっていた。
腰を下ろして、レールを繋げる。そして、電車をそこへ乗せる。電車はまた走り出した。
『それは楽しいのか』
ゼクロムの声だった。
作品名:『きみの話を聞かせて』 作家名:まろにー