隠す涙
わかっていた。
この気持ちがなんて言うかなんて。
本当はとっくにわかっていたんだ。
それでも俺達は親友だった。
どうしようもないくらい大切で、
どうしようもないくらい、触れられない。
大切だからこそ触れられない----
そんなことがあるなんて、
君と出会うまで知らなかったんだ。
まるで黄色い花のような笑顔で笑う君の横で、
今日も俺は歩いている。
隠す涙 〜 One's tears 〜
映画が好きだった。
よく見るのはラブロマンス。
そう言うと、初対面の目の前の男(というには華奢で小さくて、顔も女顔をしていた)は、
似合わねー、と笑った。
男は、向日岳人と名乗った。
小さな鼻と、すっと引かれた勝ち気そうな眉。
その下にある大きな瞳をくりくりさせて、笑うと黒目がいっそう広がった。
切りそろえられた直線的な前髪のライン。
その小さな頭は、おかっぱだった。
前の席のこの男は、人見知りしない性格らしく、
初対面の俺にも気さくに話しかけてくる。
「俺はね、バンジーが好きなの!バンジージャンプ!」
薄い小さな唇から発せられるその声は、意外に低かった。
しかし、それが全体の活発そうなイメージを強調している。
前の席のイスをこちら側に向け、肘を俺の机に乗せて、
あれこれと早口にしゃべる相手を見て、俺は思わず苦笑した。
「なんやお前、期待を裏切らん奴やなあ」
俺がそういうと、
「お前は、外見に似合わず女々しい趣味してんのな!」
と、可笑しそうに笑った。
「ま、同じ部活同士、よろしくな!」
そう言って、その小さな男はにっこりと笑って右手を差し出した。
花の様な笑顔だと、その時思った。
4月の、午前の陽光が明るく照らす教室。
何の変哲のない自己紹介の場面。
ありきたりな映画の導入部のように、それは始まった。
俺の、人生というシナリオの中に、向日岳人という新たな登場人物が加わったのだ。
それが1年半前。
暖かな春の日、こうして知り合った、この地最初の友人は、
今も俺の横を歩いている。
9月の太陽は、緑の木々を照らし、木陰には木漏れ日の光がキラキラと揺れている。
夏の薫りを残した入道雲も、傾き始めた午後の太陽も、抜けるような青空の中で光輝いていた。
俺は、その眩しさに思わず目を細める。
「9月になっても、まだ夏やなあ。暑くてかなわんわ」
土曜日の部活の帰り道、俺達は並んで帰路につくところだった。
本当はもう3年生は引退なのだが、2年生の指導の為と、体が鈍るのを防ぐ為、
そして、もう目の前にある進路という2文字を、まだ見たくはなかった為に、
レギュラーの3年生達は時々部活に参加していた。
「ああ、ほんとマジあちー!部活やった後なんてたまんねーよなぁ」
隣の相方は、襟元をパタパタはためかせて、薄い胸に風を送っている。
華奢で小さな体に見合わない、大きなテニスバックを背負ったその背中は、
汗で制服のシャツが貼りついてしまっていた。
「岳人も、部室でシャワー浴びてくればよかったやん」
俺は、岳人達が後輩達と賑やかにしゃべっている間に
シャワーを済ませていたのでまだマシだったが、
それでもジリジリと白い太陽に照らされて、新たな汗がじっとりと首筋を伝う。
「いや、俺んちすぐ近くだから、家で風呂入ったほうがいい」
岳人は、忌々しそうに額の汗を拭った。
「さよか」
俺は、ふっと息を吐いて、前方を見た。
灰色のコンクリートの道はどこまでも真っ直ぐ続いていて、
その先はゆらゆらと立ち昇る陽炎で霞んでいる。
その光景が、いつか見た映画のワンシーンに似ていると思った。
どんな題名の映画だったかは、もう忘れてしまったけれど。
お互いにとりとめもない話をしながら歩いていると、
目の前に大型チェーンの電気店が見えてきた。
岳人の父親は、そのチェーン店の社長だ。
「あ!侑士今日これから暇?」
岳人が思い出したように顔を向けて聞く。
「ああ、特に用事はないけど」
「よかった!ちょっと俺んち寄ってって!
勉強わかんねーとこあって、教えて欲しいんだけど」
ホントは勉強なんてやりたくねーけど、やらねーと親がうるさくよ、
岳人は親にやかましくされた事を思い出してるのだろうか、
眉根を寄せて空を睨んでいる。
「岳人風呂入るんとちゃうん?」
「俺が入ってる間、ちょっと部屋でまっててよ。すぐ出るから」
パっと表情を変え、その大きな瞳を俺に向けて、
すがるように見つめてくる。
俺は、この瞳に弱い。
ふっと息を洩らし、
「なんや、まるで恋人同士の会話やなあ」
と仕返しの気持ちも込めてからかった。
「は?」
岳人は、一瞬意味を図りかねたようだったが、すぐに気づいて、
「ばーか!」
と言って笑った。
俺も笑う。
「ええよ。教えたる。何教えればええの?」
「マジ!?サンキュー!ええと、古典だろ、数学だろ、科学だろ、それから……」
岳人は空を見上げながら、眉根に皺を刻んで指折り挙げている。
ああ、そんなに皺を寄せていたら、その白い顔に跡が残ってしまうのではないか。
俺は不安になり、無意識に手を伸ばす。
「何?」
ハッとして我に返る。
気付ば、俺の右手が、岳人の頭の上で、所在なげに止まっていた。
俺を見つめるその瞳を避けながら、俺はぽんと岳人の頭に手を置く。
「なんや、それって全部やんか」
「えへへー」
ぺろっと舌を出して笑う岳人の頭は小さくて、そして熱かった。
太陽の熱のせいか、それとも俺の手が熱いのか……。
照りつける太陽のせいで、岳人のうなじが白く眩しかった。
俺は眩暈を感じて目を閉じた。
「すみませんねぇ、バカの面倒みてもらっちゃって」
岳人の母親は、2人分の麦茶を出しながら言った。
岳人の部屋には何回か来たことがあったが、いつもは仕事に出ているのだろう、
母親に会うのは初めてだった。
小柄で、麦茶を出すその手は白く小さかったけれど、とても優しい感じがした。
笑うと、大きな瞳が黒目勝ちになって、きっと岳人は母親似なのだろうと思った。
「バカで悪かったな。バカな母親に似たもんで」
岳人が憎まれ口を叩くと、おばさんはぽかっと岳人の頭をはたく。
「いってぇ!」
「そんなに強く叩いてないでしょ。おおげさだねぇ。しっかり勉強教えてもらいなよ」
そういって、おばさんは出ていった。
「まったく、いつもうるさくてやんなるよなあ」
「優しそうなおばさんやったやんか」
「へっ、どこが!」
そういうと、岳人は出された麦茶をストローでぐーっと一気に吸い込んだ。
その動作がとても無邪気で子供っぽくて、俺は吹き出してしまう。
「そんな急がんと、麦茶は逃げやせんで」
「咽乾いてたんだよ。早く風呂入りたいし。じゃ、ちょっと行ってくっから、
それまでそこらへんの漫画でも読んでて」
そう言うやいなや、着替えをひっつかんで部屋を出ていった。
「相変わらず、忙しいやっちゃなあ」