かくれんぼ
静かな空間に、突然電話のコール音が鳴り響いた。
今日はたまたま家族全員が出払っていて、今、家に残っているのは自分ひとりだけ。それも、ただ偶然、忘れ物を取りに帰ってきただけで、その電話が鳴らなければすでに家を後にしていたことだろう。
まるで引き止めるように途切れることなく鳴り続けるベルに舌打ちをする。
待ち合わせの時間には多少余裕があるものの、面倒なことには変わりない。よりによってこんな時に、とも思い、無視することも出来たが、その酷く癇に障るベルが、何故か取るまで鳴り止まないような気がして、諦めの溜息を吐き、履きかけた靴を脱いだ。
「あーはいはい、――――もしもし?」
これで何かの勧誘であれば即切ってやる、という意気込みで受話器を取ると、外から掛けているのか騒がしい街の様相が聞こえてきた。暫く待っても名乗らない相手に苛付きながら再び尋ねる。
「……どなたですか?切りますよ」
すると、遠いざわめきの中、やけにはっきりと高い子供の声で、
『ぼく、まさる。これから行くね』
三、四歳くらいだろうか、舌足らずな言葉が耳を擽った。
「まさる」、という名前にはまったく覚えが無い。親戚にも、知り合いにも誰にも。もしかして親の知人の子供なのかもしれないが、どちらにせよ自分も含めて家には誰もいないのだから、来ると云われても困る話だ。
「……えっと、まさる君?今日、家に遊びに来ても誰も居ないから、違う日に来てくれる?」
できることなら親に替わって貰いたい所だが、「まさる」はそんな様子もなく、少し黙った後に再び云った。
『これから遊びに行くね』
思わず溜息を吐く。何を云っても同じ台詞を返されるだけでこれでは埒が明かない。きっと来訪の約束でもしていたのだろうが、相手が来てもどうしようもない。自分だってこれから予定があるのだから待っている訳にもいかない。どちらにせよ親と替わって貰って事情を説明するしかない状況に嫌気がさした。
「あのねえ、まさる君。お父さんかお母さんはそこに居ないのかな?居たら替わって欲しいんだけど」
「まさる」はやはり少し黙り、先ほどから変わらぬ抑揚で、
『おとうさんと、おかあさんねえ――』
無機質にも感じられる声音で答えた。
『事故でしんだの』
ぞっとした。得体の知れない怖気に襲われる。
「事故で死んだ」その内容に、「まさる」の言葉に、そして今家の中に一人きりという状況すべてに云いようのない恐怖を感じた。
何かがおかしい。そう思うばかりで混乱した頭は納得できるような説明をつけてくれない。
偶然に家族全員が出掛けていること。たまたま忘れ物を取りに帰ってきた自分。そしてそれを見計らったかのように掛かってきた電話。そして、この「まさる」という見知らぬ少年。
すべてはこの「まさる」がそうなるように誂えたようにさえ感じてしまう。
そして、さっきまでは何とも思わなかったことが不思議に思えるほど、妙にねっとりと湿った、閉塞感を感じさせる声で「まさる」が云う。
『――ねえ、あそぼ?』
息が詰まった。厭な汗が掌に滲み出て、理由のない恐怖が身体を竦ませる。混乱で上手く回らない舌を必死で動かしながら、一刻も早くこの会話を切らなければと思うのに、固まったかのように手が受話器を掴んで放さない。
「だ、誰もいないから来ちゃ駄目だってばっ!」
『かくれんぼしようよ』
遮るように言葉を重ねられた瞬間、後方に何がしかの気配を感じてギクリ、とした。
相変わらず声は受話器から聞こえてくる。けれど、彼が何かを云う度に気配は次第に強くなっていく。
汗が一筋、こめかみから頬を伝って落ちた。
『さいしょは、ぼくが鬼だね』
ゆっくりと、背後を振り向く。頭の何処かで警報にも似たアラームが鳴る。操られたように背後を確かめると、予想に反し其処には誰も居なかった。先程までの気配も消えている。詰めていた息を吐きながら流れる汗を拭った時、耳元で、
「もういいかい――――?」
「ギャ――――ッッ!」
「おわっ、なんつー声出してんねん岳人」
突然叫びだした岳人の声に、忍足だけでなくレギュラーメンバーの誰もが言葉もなく驚く。
今彼らは、放課後の部活の休憩時間にベンチに寄り集まって休息を取っていた処だった。
「驚かすなよ。心臓が止まるかと思ったじゃねえか!」
宍戸が右手を心臓の位置に当て、一瞬詰めた息を吐きながら云う。当の岳人はしゃがみ込み、両手で顔を覆ってガタガタと震えてる。
「おれじゃないよ。侑士が悪い!変に臨場感煽る話し方しやがって」
「そない云うたかて臨場感も何も実話やし。俺も姉ちゃんから同じように聞かされたんそのまま喋っただけやで。まさか岳人がこの手の話弱いとは知らんかったから」
ごめんなあ、と大して悪びれた様子もなく謝る忍足に、岳人は鋭い視線を投げた。
「馬鹿にすんなよ侑士!俺は『怖い話』が苦手なだけで、怖いもの事態は平気なんだよ」
「どこがどう違うん」
首を傾げて忍足が聞くと、岳人はあっさり、
「イマジネーションの問題」
「…………さよか」
一気に疲れたように脱力する忍足の腕を、眠っていた筈の慈郎が引っ張った。
「ねえ忍足、その話実話ってホント?本当にあった話なの?」
覚醒途上なのか、幾分舌足らず気味の言葉に忍足は苦笑し、慈郎の頭をぽふぽふと撫でた。
「ほんまの話や。おれの姉ちゃんの友達がな、体験したことやってん」
慈郎の頭をくしゃくしゃにしながら、初めてその話を聞いた時のことを思い出した。結局姉の友達はその後持っていた受話器を放り投げ、脇目も振らずに家を出て行ったそうだ。そして後から家族に「まさる」という名の子供の心当たりを聞いたが、親兄弟誰一人として知らないと答えたという。
「怖っえー……」
どこか寒さを感じたように宍戸が身体を擦る。
「マジであるんだな、そんな話」
「まあなあ……。最初に聞いた時は暫く電話出られんかったもんな」
怖い話で感じた恐怖は、他人が怖がる様をみて薄れるものだ。忍足は、自分の恐怖をなくすために巻き込んだ人の良い友人達にこっそり感謝をした。が、ふと見ると、宍戸の後ろで鳳が嫌に青い顔をして黙り込んでいる。
「なんや鳳もこういう話、駄目やったんか?」
忍足の言葉で、他のみんなも鳳を振り返える。誰もが彼の青褪めた表情を見て言葉をなくしたように黙り込んだ。鳳は、やや伏目がちに、
「あ、あの……、この話、もう止めませんか」
「なんだよ鳳、そんなに怖かったのかよ」
何時も真っ直ぐに相手を見て話す彼らしくない態度に、岳人も戸惑う。
「いえ、そうじゃなくて……。皆さん、気付きませんか?」
「何が」
鳳は顔を上げて先輩達の顔を順に眺めた後、視線をコートの方へと転じた。
「さっきからこのコート……いえ、僕達の周囲が、酷く静かなんですよ」
云われて、全員が周りを見渡し、息を呑んだ。目の前に広がるコート内は云うに及ばず
隣接するレギュラー以下使用のコート、更に設置されている観覧席のみならず視界に映る範囲に自分達以外の人間の姿は影すらも見当たらなかったのである。
「おいおい……、シャレなんねえぞ……」