【サンプル】Rain, Go Away
Rain, Rain, go away,
Come again another day.
中学校の英語の教科書に載っていた遊び歌だ。
当時の僕はいつも不思議でならなかった。雨よ行っちまえ、また今度やって来い、と子どもは言う。どうしてもう二度と来るな、とは言わないのだろうか。
もう二度と来るな、は英語でなんだろう。英語はあまり得意じゃなかったが僕は考えた。ドント・カム・アゲイン、いやネヴァーかな。
ゴー・アウェイ、ネヴァー・カム・アゲイン。
夕焼けを眺めながら呟く。夕焼けが綺麗だと次の日は雨になるという。いくらゴー・アウェイと言ったところで、降るときは降るのだ。
果たして翌日には大雨が降る。その雨の日のことを僕は思い出している。
覚えてるかい、僕らが中学生の頃、毎年夏になると凄い雨が降った。避難勧告とか床下浸水とかそういうレベルの、いわゆる豪雨。確か数学の先生、家の車が流されちゃったって言ってた。大丈夫だったのかな。
大雨が降るとやることがあった。連絡網です、本日の夏季講習は豪雨のため順延になりました。振替日程は追ってお知らせ、とのこと。携帯電話なんてようやく出始めた頃で、まだお互いの家の電話で掛けるのが普通だった。うちには電話の子機なんてものさえなかったから、リビングとダイニングの間、廊下の空気がたまに吹き込んですうすうする微妙な空間でいつも電話を掛けた。
クラスには平井さんとか古川君とかいう人はいなかったので、「は」の次がすぐに「へ」だ、
「もしもし」
コール三回でお前の声がする。もしもし、と返すと、こちらが名乗るのを待たずに、
「講習休みって?」
「そう」
「こんな日にわざわざ電話しなくたって、誰も行かないのにね」
「真面目な奴は行くかもしれないよ」
「あなた行ったの?」
「行ってない」
「じゃ誰も行かないわ」
笑い声がノイズに紛れる。悪天候のせいで電話の音声がひどく乱れた。ざあざあ降る雨と遠雷の音、それから電話のノイズに挟まれたせいで、いつもより声を張って話さなければならなかった。え、なんて?さして意味のない問い掛けが妙に大声になって、驚いた母親がこちらを振り向く。気恥ずかしい。連絡網で長電話もよくないだろうから、早々に切り上げる。
「ちゃんと連絡網回すんだよ。行く人もいるかもしれないんだから」
「ちゃんと回すわよ」
電話が切れる。連絡網がどこまで続いたかは知らない。その後判明したのは、ずぶ濡れで学校に現れたせっかちな奴がただ一人いたということで―我らが経一君はしかし、それでも風邪ひとつ引かなかったそうだ。
雨が止んでしまうと晴れた。暑くなった。ほんとうに雲ひとつない空で、光が強くて、影がいつもよりずっとくっきりしていた。
塀や電柱がつくる数少ない影をつたって、時にはじりじりした日光に身を晒すことも余儀なくされて、僕らは歩いた。講習があるときは講習へ、ないときは図書館か誰かの家か、とにかく、暑いのに僕らはよく歩いた。朦朧とした頭に任せて、似たような会話を何度も繰り返した。
「夏休みだぜ、どっか行きてえ。海とか山とか」
「……もっと暑くないところがいいんじゃないか?映画館とか」
「遊園地行こう」
遊園地。経一はいつも遊園地に拘った。
「俺らで行ったことまだ一回もないじゃん。なあ、遊園地行こうよ」
「嫌よ」
「どうして」
「遊園地は嫌いなの」
「いいじゃん、行ったら楽しいよきっと。逸人も行きてえだろ」
「いや、僕もそんなに…人混みはちょっとな」
「ノリ悪いなあ、お前らはさあ」
三人で遊園地、というプランが当時の経一には結構魅力的だったらしく、ことあるごとに経一はこの提案をした。そのたびお前はすげなく却下した。遊園地は嫌い、子供の多いところは嫌い、人の多いところは嫌い。お前はいつも僕らの数歩先を歩きながら、歌でもうたうように、明るいもの夏らしいものへの罵倒のことばを口にして、愉しげな笑顔でソーダ味のアイスを齧った。
ひと口齧られたアイスは僕の手へ渡った。世の中には二人で分けられるアイスがあるのに、どうしてか三人で分けられるものがない。そんな不平を言い合いながら、僕らはいつも特大のアイスバーを買って、かわるがわる齧った。暑さのせいでアイスは封を切ると早々に溶け出した。青い雫が木の棒をつたって、お前の指をつたって、白くて細い、僕のとははっきり違う骨格を持った指。受けとった僕の手もすぐにべとべとになる。
夏の大半はこんなふうだった。僕が回想したいのは、晴れの日のことじゃなく雨の日のこと。雨の日のお前のことだ。
Come again another day.
中学校の英語の教科書に載っていた遊び歌だ。
当時の僕はいつも不思議でならなかった。雨よ行っちまえ、また今度やって来い、と子どもは言う。どうしてもう二度と来るな、とは言わないのだろうか。
もう二度と来るな、は英語でなんだろう。英語はあまり得意じゃなかったが僕は考えた。ドント・カム・アゲイン、いやネヴァーかな。
ゴー・アウェイ、ネヴァー・カム・アゲイン。
夕焼けを眺めながら呟く。夕焼けが綺麗だと次の日は雨になるという。いくらゴー・アウェイと言ったところで、降るときは降るのだ。
果たして翌日には大雨が降る。その雨の日のことを僕は思い出している。
覚えてるかい、僕らが中学生の頃、毎年夏になると凄い雨が降った。避難勧告とか床下浸水とかそういうレベルの、いわゆる豪雨。確か数学の先生、家の車が流されちゃったって言ってた。大丈夫だったのかな。
大雨が降るとやることがあった。連絡網です、本日の夏季講習は豪雨のため順延になりました。振替日程は追ってお知らせ、とのこと。携帯電話なんてようやく出始めた頃で、まだお互いの家の電話で掛けるのが普通だった。うちには電話の子機なんてものさえなかったから、リビングとダイニングの間、廊下の空気がたまに吹き込んですうすうする微妙な空間でいつも電話を掛けた。
クラスには平井さんとか古川君とかいう人はいなかったので、「は」の次がすぐに「へ」だ、
「もしもし」
コール三回でお前の声がする。もしもし、と返すと、こちらが名乗るのを待たずに、
「講習休みって?」
「そう」
「こんな日にわざわざ電話しなくたって、誰も行かないのにね」
「真面目な奴は行くかもしれないよ」
「あなた行ったの?」
「行ってない」
「じゃ誰も行かないわ」
笑い声がノイズに紛れる。悪天候のせいで電話の音声がひどく乱れた。ざあざあ降る雨と遠雷の音、それから電話のノイズに挟まれたせいで、いつもより声を張って話さなければならなかった。え、なんて?さして意味のない問い掛けが妙に大声になって、驚いた母親がこちらを振り向く。気恥ずかしい。連絡網で長電話もよくないだろうから、早々に切り上げる。
「ちゃんと連絡網回すんだよ。行く人もいるかもしれないんだから」
「ちゃんと回すわよ」
電話が切れる。連絡網がどこまで続いたかは知らない。その後判明したのは、ずぶ濡れで学校に現れたせっかちな奴がただ一人いたということで―我らが経一君はしかし、それでも風邪ひとつ引かなかったそうだ。
雨が止んでしまうと晴れた。暑くなった。ほんとうに雲ひとつない空で、光が強くて、影がいつもよりずっとくっきりしていた。
塀や電柱がつくる数少ない影をつたって、時にはじりじりした日光に身を晒すことも余儀なくされて、僕らは歩いた。講習があるときは講習へ、ないときは図書館か誰かの家か、とにかく、暑いのに僕らはよく歩いた。朦朧とした頭に任せて、似たような会話を何度も繰り返した。
「夏休みだぜ、どっか行きてえ。海とか山とか」
「……もっと暑くないところがいいんじゃないか?映画館とか」
「遊園地行こう」
遊園地。経一はいつも遊園地に拘った。
「俺らで行ったことまだ一回もないじゃん。なあ、遊園地行こうよ」
「嫌よ」
「どうして」
「遊園地は嫌いなの」
「いいじゃん、行ったら楽しいよきっと。逸人も行きてえだろ」
「いや、僕もそんなに…人混みはちょっとな」
「ノリ悪いなあ、お前らはさあ」
三人で遊園地、というプランが当時の経一には結構魅力的だったらしく、ことあるごとに経一はこの提案をした。そのたびお前はすげなく却下した。遊園地は嫌い、子供の多いところは嫌い、人の多いところは嫌い。お前はいつも僕らの数歩先を歩きながら、歌でもうたうように、明るいもの夏らしいものへの罵倒のことばを口にして、愉しげな笑顔でソーダ味のアイスを齧った。
ひと口齧られたアイスは僕の手へ渡った。世の中には二人で分けられるアイスがあるのに、どうしてか三人で分けられるものがない。そんな不平を言い合いながら、僕らはいつも特大のアイスバーを買って、かわるがわる齧った。暑さのせいでアイスは封を切ると早々に溶け出した。青い雫が木の棒をつたって、お前の指をつたって、白くて細い、僕のとははっきり違う骨格を持った指。受けとった僕の手もすぐにべとべとになる。
夏の大半はこんなふうだった。僕が回想したいのは、晴れの日のことじゃなく雨の日のこと。雨の日のお前のことだ。
作品名:【サンプル】Rain, Go Away 作家名:中町