【サンプル】Rain, Go Away
名簿で「は」の次が「へ」という例の事情のため、お前と僕は日直が一緒だった。ちょうどいい。僕は溢れる衝動に後押しされ、勇気を奮って話し掛けた。日誌書きのついでなんかを装って、精一杯さりげなく、彼のようにへんな先入観は一切無しで。他愛もない話をいろいろした。昨夜見たテレビ、先生の噂、そういえば野球部が地区大会進出しそうだってこと、うちのクラスの彼がレギュラーなんだってね、凄いね、なんてこと、天気の話、それから。
「蛇頭さん、そういえば、イブヤ君とよく話してるね」
「そうね。どうして?」
「いや、なんか、仲いいなと思ってさ」
「好きなの?」
「―」
見下ろしていた机の上にいつのまにか焦げ茶色の液体がこぼれている。あれ、なんだろう。数秒考えて気付いた。僕が握り潰していた飲みかけのコーヒー牛乳だ。ストローからぴゅうぴゅうと勢いよく吹き出ていた。
茫然としたまま隣を見る。お前が口を押さえて肩を震わせながらハンカチを差し出している。空いた手で受け取ると、とうとう机に倒れ掛かって笑い出した。
「笑うことないだろ」
「ごめんなさい、だってあなた」
さっきから顔真っ赤よ、大笑いするお前に言われてようやく、僕は自分の顔が耳まで熱いことに気がついた。
「可愛い」
「馬鹿にしてるのかよ」
「してない」
「どうせおかしいと思ってるんだろ」
「そんなことないわ」
お前の声のトーンが少しばかり変わる。茶色く染まったハンカチを握りしめたまま、隣の席を見る。机に片耳だけつけたお前の瞳が射すくめるようにこちらを見上げている。
「彼、頭は空っぽだけど、セクシーだもの。あなたみたいに思ってる人たくさんいる」
「…そんなことわかるの」
「わかるわ。あなたのことだってすぐわかった」
このとき僕は初めてお前の顔をちゃんと見た。わかる、というその言葉が妙に真に迫って聞こえた。
何気なしにイブヤ君が悪く言われていたことについて、反論をしなければと思った。頭が空っぽなんてことはない、ただ素直で純粋な人なんだ、しかし僕がうまく言葉を継げないでいると、お前は不意に目を細めた。目だけで笑った。
「わたしみたいに悪い子と仲良くしたら、好きになってもらえるって思った?」
返答に詰まった。
けれど、言わなければならないと思ったことを言った。
「下心はあった。ごめん」
「正直ね」
「……それと、僕が言えた義理じゃないかもしれないけど」
「なに?」
「自分のことも、友達のことも、そんな風に言うもんじゃないよ」
お前は少し驚いた顔をした。ぱちぱちと瞬きをした後、体を起こしてふっと笑った。
「あなた面白い人」
それから、逸人、と呼ばれた。びっくりした。下の名前を認識されているとも思っていなかった。
「鈍でいいわ」
言ってお前は颯爽と立ち上がる。長い髪を掻き上げ、もう一度こちらに向き直った。
「三人で帰りましょうか」
そうして十数分後、僕は動悸で軽く死ねそうな気持になりながら、どうにか平静をよそおって彼と顔を突き合わせていた。
「イツヒト?」
お前に教えられた名を、外国の単語でも口にするような調子でイブヤ君は繰り返した。
「そんな名前だったっけ」
僕も経一呼びの権利を手に入れる。下の名前で呼び合うようになってから、彼の僕への接し方は距離ゼロも同然だった。今日から友達、を文字通り実践できる稀有な人間だ。
その日僕らは初めて三人で下校した。最初のアイスを食べることになるのはもう二カ月ほど後で、僕の傷心はそれよりも手前に起こった。
作品名:【サンプル】Rain, Go Away 作家名:中町