力の信奉者
青い突風が戦場を突き抜けた。
土煙を蹴立て、軍兵と魔物が撃ち合う隙間を縫う。
ローレシア王子アレンが剣を振るう度に、魔物の群は吹き飛ばされる。隣り合った魔物同士が血を吹き出しながら一つになって押しつぶされ、または、並んで向かってきた5匹が揃って首をはね飛ばされる。
魔物がたまりかねて引けば、アレンは敵勢の強い場所を選んで突き進む。
時に味方の槍を弾き、魔獣ならば毛むくじゃらの巨躯を吹き飛ばして走ったアレンは、サマルトリア軍の先陣まで辿り着くと、軽く身をかがめてから素晴らしい速さで跳躍した。
一瞬おいて、無人になったアレンの足下になだれ込んだマドハンドは獲物に手が届かず、足止めの役目を果たせない。哀れな魔手が蠢く狩り場にローレシア兵とサマルトリア兵が群がる。
跳躍一つで生み出した殺戮を振り向きもせず、アレンは走った。
その先には奇怪な巨人がいた。
身の丈3メートル、リリザ中央の時計台よりまだ大きな巨人は早駆けする馬と同じ速度で、サマルトリアの王旗へ迫っている。
上がる悲鳴。
慌てて後退しようとするが、兵士や女官(!)が千々に入り乱れて御輿を進める場所はない。
「何をやっているんだ父上!」
逆側から緑色のローブを翻してコナンも駆け寄ろうとしていたが、空から押し寄せるガーゴイルの群に阻まれて進めない。
「ちくしょうっ、どけっ! 纏めて燃やしてやるっ」
コナンの端正な白面が苛立ちに歪む。炎の魔法が上空に向けて放たれるのを横目にみながら、アレンは巨人に向かう。
一瞬、複雑な感情が浮かんだコナンと目が合う。
何の感情も帰さず、アレンはコナンを置き去りに走った。
ローレシアの王子は鉄の槍を捨て、腰に帯びていた銘刀を鞘走らせると、今まさに王の乗った御輿に棍棒を振り下ろそうとしていた巨人へ真っ正面から斬りかかる。
戦士の刀を防ごうと横向きに突き出された巨人の棍棒を、まるでわら束のように易々と切り落とすと、戦士はその勢いのまま、巨人の頭蓋を兜割りにして、喉、胸、腹から股間まで一刀の元に裂いた。
――ぐおおおぉおおん……。
巨人ギガンテスの、割れ鐘のような野太い断末魔が戦場に響き渡る。
その悲鳴が掠れて消え、次いで、ずぅんと地響きの音を立てて巨人が地に倒れると、間髪入れずローレシア、サマルトリア両軍から歓声が沸き起こった。
「うわああああああ!」
「やったああああああ」
「ローレシア王子万歳」
「アレン王子万歳」
兵士達は歓呼しながら勢いづいて魔物に斬りかかる。逆に、将を失った魔物の軍勢は勢いを失ってちりぢりに散開していく。アレンがサマルトリア本陣周辺の掃討を追える頃には、完全にローレシア・サマルトリア側の勝ち戦になっていた。
「アレン」
声を掛けられた。振り向くと緑の魔法戦士がいた。コナンは緑色の袖を千切って、腕のもげたサマルトリア兵士の肩を縛っている。すでに魔法力が尽きているらしく、彼の得意なホイミの詠唱はない。
「すまねぇ、衛生兵が来るまで耐えてくれな」
優しく声を掛けるコナンに、アレンは目を細めた。
「コナン。そっちは大丈夫か」
問い返しながらアレンより一回り細身の体を見る。目立った出血はないものの、マントや膝に刃物で切られた跡がある。
「聞かれるまでもねぇよ。お前のおかげだな。後ろで僧兵団も落ち着いて、負傷兵への手当を始めている。……お前はどこも支障なさそうだな」
ふわり、とマントをはらって軽やかな身振りでコナンがアレンに手を伸ばす。
アレンが差し出された手を握りかえすと、グローブ越しにも細さの分かる指が、しっかりとアレンを掴んだ。
「……ありがとう、な。お前がいなきゃ、サマルトリアは終わってた」
淑女を思わせる奥二重の眼差しが、全幅の感謝を篭めてアレンを見つめる。その深い色合いにアレンはどきりとしたが、動揺を顔に表す前に、コナンの白い顔は自身の父が座る御輿に向けられた。
「悪く思わないでくれな。うちのやつらは座学は得意なんだが実践はからっきしなんだ。だから、余計に、旗印が必要だと思ったんだ」
「僕も、それでいいと思うよ」
「アレン」
アレンは日に焼けた顔をほころばせてコナンに微笑んだ。
「よく治水を施し産業をもり立てられてる父君だ。武芸一辺倒のローレシアと違った名君だよ。文官出のお父上が武芸を得手とされていないのは仕方が無い。だからといって兵だけを出して城の奥底に隠れられていては士気も上がらず、慣れない馬に乗られて落馬されてもいけない。御輿が無難だ。御旗の元に敵が行かぬようにお護りするのが僕たちの役目なんだから、君が謝る必要はない」
しばらく目を閉じてコナンはアレンの言葉を聞いていたが、やがて納得したように頷くと、右手のレイピアの柄で肩を叩いた。
「相変わらずの腕だな。場の流れが一気に変わった。すっかりお前に見せ場を取られちまったな」
「そうかい? 全軍整列したときは、君の祈りに皆が聞き惚れていたよ」
「当然。誰のトヘロスだとおもってんだ? 300年の年季が入ってるんだ、御利益が違うだろ?」
「あはは。確かに」
コナンの軽口にアレンが笑う。年上の魔法戦士の唇から零れ出る音楽のような節回しは、戦場で荒れたアレンの神経を心地よくなだめてくれた。
それ以上に……。
アレンはコナンの顔をちらりと横目で伺った。
年上の魔法戦士は眺めているだけで心が浮き立つような、端正な顔をしている。アレンほどではないが男として人並みの背丈もあるし、アレンに比べてずっと細身ではあるが鍛えた体をしている。
その魔法戦士としての凛々しさも、男性として成熟しようとする姿形も底に敷いた上で、コナンにはぞくりと男を誘うような魅力があった。
白い肌にふわりと火照りが差した薄桃色の頬と、つややかな桜桃を思わせる唇。臈長けた顔立ちは父王の宴に出入りする舞姫よりもあでやかだ。
ローレシアやムーンブルクより色の薄い、金髪や緑の目、柔らかい乳色の肌は、率直に言えばアレンの女の好みそのものだった。
アレンが腹の内にひた隠しにした濁った想いなど知らず、コナンはにっこりと笑ってアレンの武勇を褒める。
「ま、そんなに照れるなって。お前がいると心強いってことだよ」
「そうかい? 君に言われると、なんとなく裏を感じるんだけど」
「おいおい、酷いこと言うなよ。俺がこんなに褒めてるんだから、恐縮しながら褒め返せよ」
「君なら褒められ慣れてるだろ? 僕には君が喜ぶような言葉なんて思いつかないよ」
アレンがコナンを真似て軽口を叩くと、年上の隣国王子はじっとアレンを見つめてから、ふっと真顔になった。
「ばぁか」
レイピアを握ったグローブで、軽くアレンの額をこづく。
「どう言うかが問題じゃない、『誰が』言ってくれたかが重要なんだよ、こういうのは」
「へ……ぇ?」
間抜けな声をあげるアレンににっこりと天女のように笑ってみせると、コナンはさっさと背を向けて後ろ手にひらひらと手を振った。
「じゃあな。また戦勝会で」
「……コナン?」
それ以上、コナンに話は聞けなかった。
彼は追いついてきた衛生兵の一群に駆け寄ると、てきぱきと治療の指示をしながら、慌ただしく行き交う兵士の中に消えていった。
土煙を蹴立て、軍兵と魔物が撃ち合う隙間を縫う。
ローレシア王子アレンが剣を振るう度に、魔物の群は吹き飛ばされる。隣り合った魔物同士が血を吹き出しながら一つになって押しつぶされ、または、並んで向かってきた5匹が揃って首をはね飛ばされる。
魔物がたまりかねて引けば、アレンは敵勢の強い場所を選んで突き進む。
時に味方の槍を弾き、魔獣ならば毛むくじゃらの巨躯を吹き飛ばして走ったアレンは、サマルトリア軍の先陣まで辿り着くと、軽く身をかがめてから素晴らしい速さで跳躍した。
一瞬おいて、無人になったアレンの足下になだれ込んだマドハンドは獲物に手が届かず、足止めの役目を果たせない。哀れな魔手が蠢く狩り場にローレシア兵とサマルトリア兵が群がる。
跳躍一つで生み出した殺戮を振り向きもせず、アレンは走った。
その先には奇怪な巨人がいた。
身の丈3メートル、リリザ中央の時計台よりまだ大きな巨人は早駆けする馬と同じ速度で、サマルトリアの王旗へ迫っている。
上がる悲鳴。
慌てて後退しようとするが、兵士や女官(!)が千々に入り乱れて御輿を進める場所はない。
「何をやっているんだ父上!」
逆側から緑色のローブを翻してコナンも駆け寄ろうとしていたが、空から押し寄せるガーゴイルの群に阻まれて進めない。
「ちくしょうっ、どけっ! 纏めて燃やしてやるっ」
コナンの端正な白面が苛立ちに歪む。炎の魔法が上空に向けて放たれるのを横目にみながら、アレンは巨人に向かう。
一瞬、複雑な感情が浮かんだコナンと目が合う。
何の感情も帰さず、アレンはコナンを置き去りに走った。
ローレシアの王子は鉄の槍を捨て、腰に帯びていた銘刀を鞘走らせると、今まさに王の乗った御輿に棍棒を振り下ろそうとしていた巨人へ真っ正面から斬りかかる。
戦士の刀を防ごうと横向きに突き出された巨人の棍棒を、まるでわら束のように易々と切り落とすと、戦士はその勢いのまま、巨人の頭蓋を兜割りにして、喉、胸、腹から股間まで一刀の元に裂いた。
――ぐおおおぉおおん……。
巨人ギガンテスの、割れ鐘のような野太い断末魔が戦場に響き渡る。
その悲鳴が掠れて消え、次いで、ずぅんと地響きの音を立てて巨人が地に倒れると、間髪入れずローレシア、サマルトリア両軍から歓声が沸き起こった。
「うわああああああ!」
「やったああああああ」
「ローレシア王子万歳」
「アレン王子万歳」
兵士達は歓呼しながら勢いづいて魔物に斬りかかる。逆に、将を失った魔物の軍勢は勢いを失ってちりぢりに散開していく。アレンがサマルトリア本陣周辺の掃討を追える頃には、完全にローレシア・サマルトリア側の勝ち戦になっていた。
「アレン」
声を掛けられた。振り向くと緑の魔法戦士がいた。コナンは緑色の袖を千切って、腕のもげたサマルトリア兵士の肩を縛っている。すでに魔法力が尽きているらしく、彼の得意なホイミの詠唱はない。
「すまねぇ、衛生兵が来るまで耐えてくれな」
優しく声を掛けるコナンに、アレンは目を細めた。
「コナン。そっちは大丈夫か」
問い返しながらアレンより一回り細身の体を見る。目立った出血はないものの、マントや膝に刃物で切られた跡がある。
「聞かれるまでもねぇよ。お前のおかげだな。後ろで僧兵団も落ち着いて、負傷兵への手当を始めている。……お前はどこも支障なさそうだな」
ふわり、とマントをはらって軽やかな身振りでコナンがアレンに手を伸ばす。
アレンが差し出された手を握りかえすと、グローブ越しにも細さの分かる指が、しっかりとアレンを掴んだ。
「……ありがとう、な。お前がいなきゃ、サマルトリアは終わってた」
淑女を思わせる奥二重の眼差しが、全幅の感謝を篭めてアレンを見つめる。その深い色合いにアレンはどきりとしたが、動揺を顔に表す前に、コナンの白い顔は自身の父が座る御輿に向けられた。
「悪く思わないでくれな。うちのやつらは座学は得意なんだが実践はからっきしなんだ。だから、余計に、旗印が必要だと思ったんだ」
「僕も、それでいいと思うよ」
「アレン」
アレンは日に焼けた顔をほころばせてコナンに微笑んだ。
「よく治水を施し産業をもり立てられてる父君だ。武芸一辺倒のローレシアと違った名君だよ。文官出のお父上が武芸を得手とされていないのは仕方が無い。だからといって兵だけを出して城の奥底に隠れられていては士気も上がらず、慣れない馬に乗られて落馬されてもいけない。御輿が無難だ。御旗の元に敵が行かぬようにお護りするのが僕たちの役目なんだから、君が謝る必要はない」
しばらく目を閉じてコナンはアレンの言葉を聞いていたが、やがて納得したように頷くと、右手のレイピアの柄で肩を叩いた。
「相変わらずの腕だな。場の流れが一気に変わった。すっかりお前に見せ場を取られちまったな」
「そうかい? 全軍整列したときは、君の祈りに皆が聞き惚れていたよ」
「当然。誰のトヘロスだとおもってんだ? 300年の年季が入ってるんだ、御利益が違うだろ?」
「あはは。確かに」
コナンの軽口にアレンが笑う。年上の魔法戦士の唇から零れ出る音楽のような節回しは、戦場で荒れたアレンの神経を心地よくなだめてくれた。
それ以上に……。
アレンはコナンの顔をちらりと横目で伺った。
年上の魔法戦士は眺めているだけで心が浮き立つような、端正な顔をしている。アレンほどではないが男として人並みの背丈もあるし、アレンに比べてずっと細身ではあるが鍛えた体をしている。
その魔法戦士としての凛々しさも、男性として成熟しようとする姿形も底に敷いた上で、コナンにはぞくりと男を誘うような魅力があった。
白い肌にふわりと火照りが差した薄桃色の頬と、つややかな桜桃を思わせる唇。臈長けた顔立ちは父王の宴に出入りする舞姫よりもあでやかだ。
ローレシアやムーンブルクより色の薄い、金髪や緑の目、柔らかい乳色の肌は、率直に言えばアレンの女の好みそのものだった。
アレンが腹の内にひた隠しにした濁った想いなど知らず、コナンはにっこりと笑ってアレンの武勇を褒める。
「ま、そんなに照れるなって。お前がいると心強いってことだよ」
「そうかい? 君に言われると、なんとなく裏を感じるんだけど」
「おいおい、酷いこと言うなよ。俺がこんなに褒めてるんだから、恐縮しながら褒め返せよ」
「君なら褒められ慣れてるだろ? 僕には君が喜ぶような言葉なんて思いつかないよ」
アレンがコナンを真似て軽口を叩くと、年上の隣国王子はじっとアレンを見つめてから、ふっと真顔になった。
「ばぁか」
レイピアを握ったグローブで、軽くアレンの額をこづく。
「どう言うかが問題じゃない、『誰が』言ってくれたかが重要なんだよ、こういうのは」
「へ……ぇ?」
間抜けな声をあげるアレンににっこりと天女のように笑ってみせると、コナンはさっさと背を向けて後ろ手にひらひらと手を振った。
「じゃあな。また戦勝会で」
「……コナン?」
それ以上、コナンに話は聞けなかった。
彼は追いついてきた衛生兵の一群に駆け寄ると、てきぱきと治療の指示をしながら、慌ただしく行き交う兵士の中に消えていった。
作品名:力の信奉者 作家名:よしこ@ちょっと休憩