時奪
「っ……あれか、マッサージか? よし任せとけ」
回りにくくなっている舌を強引に動かしてそう決め付ける。俺が小学生の時は、デスクワークで肩や背中に痛みを訴える臨也の凝りを解していた。既にかなり懐かしい分類の想い出に振り分けられているその話題を出すと、臨也がにっこりと笑みを作った。
「んーん、そうだなあ、あえて言うなら俺がシズちゃんをマッサージするんだよ」
「ふざけんな、ろくでもねえ事考えてるだろ」
「あ、ちゃんと判ってるじゃん。大丈夫、全身触ってあげるからさ」
「それの何処がマッサージだ! 単なる変態か痴漢だろ」
「さて俺はどっちでしょう」
「両方だ!」
上半身を仰け反らせ限界まで離れようとするが、そんな俺から臨也は一旦目線を外し、机の上で時間を教える正方形を見つめる。夕暮れとも、ステンドグラスの赤みとも関係無く、臨也の頬は僅かに紅潮している。何時に無く早口だったのは、俺から初めて物を贈られた事に対する照れと喜びだろうか。
(そうだと、良いな)
臨也の興奮が伝わってきて、居心地の悪さから身動ぎすると、ばちっと眼が合ってどちらかともなく笑う。
「ありがとう。大切にするね」
人にしか興味が無い臨也が、ほんの少しでも愛情を時計に傾けてくれるだろうか。それが回りまわって、俺に返ってくる。そんな気がする。
そっと伸ばされた手が俺の指の隙間を埋める。戸惑うような吐息を零す俺にくっと身を近付け、零距離で視線が絡む。耐えられなくなったのは俺の方で、瞼を落として限界まで顔を反らす。すぐ傍で臨也が笑ったような気配を感じて薄らと眼を開く。何時もみたいに、何処か他人のように上っ面だけで人を転がすような、そんな笑みじゃない。誤魔化すような人を喰ったようなものでもない。折原臨也としての純粋な好意を全面に押し出したような心から滲み出た綺麗な笑顔。照れ臭そうに目元が赤くなっているのに気付き、滅多に見られない素直な表情に言葉を失う。
「っ……」
握り合っている手が熱い。重なっている部分が火照ってどっちのものか判らなくなる。繋がっていると、勘違い出来る程に。
何処か遠い臨也。何処か壁を作っていた臨也。欲しがっても、何処か空回りしていたような気がする、臨也。そんなのが俺の眼の前で、生まれて来た事を祝福されて心から幸せを感じてくれている。
「いざ……や」
「ん……?」
名を呼んだだけで、俺の言葉が沁みていく。俺の声で、臨也が満たされていく。
今の臨也なら、俺でいっぱいに出来るのか?
「臨也」
はっきりと発音する。その声に焦る気持ちが奔る。今じゃないと、今じゃないと伝わらない気がした。
「臨也っ」
物欲しげで、余裕の無い声。籠る熱を吐き出したい。
ほんの僅かに顎を反らして唇に触れる。沸騰しそうなこの熱、逃がしてくれるのは臨也だけ。切羽詰まっているようで控え目な俺からの口付けに臨也は眼を細めた。心なしか指の熱、あ、
「ん……ぁあ、臨、也……臨也」
何度も唇を合わせる度に臨也の眉も苦しそうに顰められる。くるしいくらいの感情。じわじわと昇ってくる温度に気付けないくらいに、夢中になる。
苦いのに重ねるなんて、人間は矛盾だらけだ。
「シズちゃん」
やや乱れた息で力強く囀られる。時計は電池が無ければ、俺は臨也が無ければ終わるんだろうな。残酷なところは、時計と違って、俺は臨也を失っても時間を止められない事だ。臨也の居ない、進む世界で生きる事、俺にとっての死が、それだ。
俺の震えた睫毛に何を思ったのか。俺の頬を両手で包むと、
「来年も一緒にいようね」
と、笑った。
来年どころの話じゃねえと笑い飛ばしてやろうと思ったんだが、俺はにっと歯を出して三日月を作る。
「プロポーズかよ」
俺にとっては最大級の意趣返しのつもりだった、それ。眼を丸くした臨也に勝った、と内心で拳を作ったんだが、すぐに意地悪く唇が弧を描き俺の左手が取られる。
「求婚するなら、来年どころの話じゃなくて無期限でって言うよ。時間じゃ俺らは縛れない」
臨也の瞳に浮かぶ何処か物欲しげな色。何かを言う前に塞がれた唇の感触を楽しみながら、血のように赤いステンドグラスに眼を細める。こつこつと刻まれる音は伴奏にすらならない。
「だからシズちゃんが欲しい」
物じゃなくてやっぱり、こいつには俺が必要だ。
04「幸せ過ぎて死ぬ」なんて。
(そんなのちっとも嬉しくなんかっ)