時奪
べー、と可愛らしく舌を出す舞流。だがその彼女が臨也が背中を向けた瞬間にぱっと笑顔になって俺にウィンクした。なんだ、どういう事だ。怒ってないのか? 九瑠璃も機嫌良く手を振って姿を消した。混乱する俺を無視して二人はわざとらしくばたんと大きく音を立てて出て行く。
「あそこまで言わなくたって良いだろ!」
「良いじゃん、あいつらなんだから」
とりあえず俺は椅子に腰かけて踏ん反り返る男に詰め寄る。俺に肉親が居ない所為か、折角居る妹を蔑ろにする臨也を睨む。だが臨也はしかめっ面を崩さずに眼を細めた。
「シズちゃんこそ、何の連絡も無しに勝手に外出るなんてやめてよね。怒るよ?」
「もう怒ってるだろ、なんだよ。あの二人はお前の妹なのに」
「妹だから俺のシズちゃんを連れ出したの事に腹が立つんだよ」
よく判らなくて眉を寄せる。しかし、苛立っている俺でも一つの可能性が浮かんだ。
「……、あの二人に嫉妬したのか?」
「はあ? なんであいつらなんかに」
「……」
やけに冷静になった俺の頭。「ふうん」と口にすると臨也の逆鱗に触れたのか、立ち上がったと思えばぐっと掴まれ乱暴に机に押し倒されそうになるが、右手の大切な存在を忘れていない俺は慌てて腕を持ち上げた。その所為でカバー出来ずに強かに背を打って痛みに呻く。紙袋を手放さない俺に臨也は不機嫌な顔をそちらに向けた。
「これ、なにさ」
「いって……、っぐ、なんでも良いだろ」
本人の前で暴露するのは頂けない。思わず守るように両腕で紙袋を抱き抱える。てっきり俺は九瑠璃と舞流の荷物持ちに連れ出され、持っているものは買わされた買い物だと思っていたらしい臨也は不信感を隠さない。噛み付くようなキスをされ、両腕を自主的に封じている俺は満足に抵抗も出来ない。
「んんっ、……! いざ、ん!」
何時もより乱暴で強い。だが、この手を滑らせる訳にはいかない。色んな意味で。だが俺の怪力で壊すのも駄目だ。微妙な力加減を加え続けなければならないこの状況じゃキスに集中なんて出来ない。別の部分に意識が向いている俺に臨也は舌を抜いた。
「はぁっ……ぁ、臨也……頼む、本当に頼むから待ってくれ」
切羽詰まった俺の顔を見て面白く無さそうな表情を浮かべる。そして緩まった俺の腕からあろうことか紙袋をひったくる。ちょ、このばかっ、違う違う違う、そんな風に渡したい訳じゃないんだ。
「ま、待って!」
「これ、何? 言わなきゃ捨てるよ」
お前への誕生日プレゼントなんて言える訳ないだろ!
「返してくれ、いやマジ本当に、なんでもするからそれだけは本当に駄目、無理!」
「……」
半狂乱に陥った俺の只ならない様子にようやく臨也は普段と違うと気付き、じっと俺を眺める。明日には臨也のものになるそれを取り返そうと俺は両腕を伸ばす。ひょいと持ち上げられてそれがかわされる。下から見上げる俺に臨也は不機嫌な顔を残したまま言葉を落とす。
「中身なんなの? 俺には言えないの?」
「ぅ……。……あ、明日まで、言えない」
「明日?」
うっかり墓穴を掘った俺は慌てて両手を左右に振る。だが、臨也は思い当たる節を見つけてしまったのか、ぽかんと口を空けた。間抜け面を拝む余裕も無くその隙に奪い取る。見る見る顔が赤くなる俺を見て臨也は短く笑った。
「明日、か。……ひょっとして、それ、さ」
「っ……」
隠すように紙袋を抱え、座り込む俺に臨也は屈んだ。反らした顔、晒す耳に息が吹きかけられた。
「俺に買って来たの?」
どうせなら日付を超えた時に渡したかったのに。臨也の馬鹿野郎。
「っそうだよ、文句あるかっ!!」
やけくそ気味に左手で臨也の胸倉を掴んで引き寄せ、口付ける。腹いせのように舌をぶつけ、噛むぎりぎりまで歯を閉じる。思い通りに行かなかった悔しさ、結局バレてしまった落胆。何度も頭の中で「馬鹿馬鹿」と繰り返し、夢中で貪る。やがて苦しいのか臨也が眉を寄せ、唇を放す。逃がすかと顔を近付ける俺の唇に指を当てて隙間を作る。
「がっついちゃ駄目だよ?」
「うるせえ、うるっせえ! 馬鹿臨也、くそ、うっぜえ!」
「がっつくのは明日ね」
「ふざけんな、ああ、くそっ、てめえの所為でめちゃくちゃだ、なんで、……」
怒り疲れた俺はやがてがっくりと項垂れる。初めて形として臨也に感謝を伝えられると思ったのに。愚図る子供のように涙ぐむ。眼を伏せた俺の顔を片手で持ち上げ、視線が交差する。うー、と弱弱しく睨み付ける俺に掬うような口付けを交わし、機嫌を直した臨也はそっと笑う。
「俺の為だったんだ?」
「……勝手に言ってろ……」
力無く言う俺に、臨也は手を重ねた。
「一日早いけど、頂戴?」
「……」
もう良いや、どうにでもなれ。俺は臨也みたいに前もって準備とかして、計画を練るとかそういうのは向いていなかったんだ。それだけだ。
観念して去年と同じようにキスを贈る。違うのは、俺が渡すものが消耗品じゃないってところ。
「……誕生日、おめでと」
5月4日に――。
くしゃくしゃになった紙袋からまだ無事な箱を押しつけるように渡す。まるで見せつけるようにゆっくり紐解く臨也を横目で見ながら、さっさと開けろと言いたくなる気持ちを抑える。
現れたそれに臨也が息を呑んだ。飽きるほど眺めた俺でもまた眼を奪われる。臨也の反応が嬉しくて少しだけ笑みを作る。
「硝子時計だね……、すごい。綺麗だよ」
「……すげえ悩んだ。二人に助けて貰った。だから、九瑠璃と舞流に怒らないでくれ」
そんな言葉を漏らす俺の額に臨也は唇を寄せる。触れさせながら「ありがとう」と口が作るのを見て自然に笑みが零れ、小さく頷いた。時計を守っていた箱の中から付属の電池を出し、空洞に嵌め込む。どきどきしながらそれを見つめていると、やがてこつ、こつ、と心地よい音を刻み始めた。動くとは判っていても、実際に眼で見ると不思議な安堵感に包まれ、肩の力を抜いた。
「高かったでしょ?」
「ん? まあ、財布の中は空っぽだけど満足だ」
にっと歯を見せて笑った臨也は時計をデスクの上に置いた。僅かに差し込む太陽の輝きを吸収して反射させる。赤みがかった透明なそれは教会のステンドグラスを思わせた。神聖な誓いを申し込む場所に似て、思わず連想してしまった自分の考えを振り払う。真っ赤になりながらぶんぶんと左右に頭を動かす俺に一瞬だけ不思議そうな視線を送ると、何故か笑顔で俺の手を取って持ち上げる。
「時計は前日だし、前祝いって事で」
「……?」
「だから当日はシズちゃんをちょーだい?」
「……!」
去年と同じパターンに一気に顔に熱が集まり、走馬灯のように記憶が蘇る。大体こういう日は「俺の為の祝い事なんだからお願い聞いてよ」と普段あまりしない事をさせられる。