並盛亭の主人2
「それじゃあ、ごちそうさまでした。…あの、お代を」
「いらないよ」
痺れた手も使って難しげにしながら、鞄の中から財布を取り出しかけた綱吉を、雲雀は首を振って制する。
「僕の賄いのついでだ、って最初に言っただろう」
「そんな!この間だって、親子丼をおまけしてもらったのに…」
一度ならず二度までもごちそうになるわけにはいかない、と言いたげな綱吉を見て、雲雀はふむ、と一つ息を吐く。
沢田綱吉という青年には、意外と義理堅いところがあるらしい。
「…だったらこうしよう、沢田綱吉。その手が回復したら、僕におにぎりを作って」
「俺が雲雀さんに、おにぎりを?」
「そう。君が作ったおにぎりを僕が食べて、それでおあいこにしよう」
要は金銭的なやりとりではなく、物々交換でチャラにしよう、ということだ。
「でも俺、料理なんて全然…」
「リハビリだと思って、右手が動かせるようになったら練習してみればいいじゃない。…それとも何?君の部屋には炊飯器もないの?」
「あ、ありますよ!…殆ど使ってないから、半分くらい埃被ってますけど」
「じゃあ実家から米を送ってもらうなりなんなりして、ご飯の炊き方から練習しな」
課題を出す教師のような調子で言う雲雀に、えええ、と綱吉が反論する。
「ご飯なんて、米洗って水入れてスイッチぽん、で炊けるじゃないですか」
「馬鹿にするんじゃないよ」
「っ、」
思いがけず真剣な口調で返されて、綱吉はぴしりと背筋を伸ばした。
「ご飯は研ぎ方一つ、水加減一つで炊き上がりが全く変わってくるんだ。簡単に片付けないで欲しいね」
「す…すみません…」
叱られた子犬のようにしょんぼりと肩を落とした綱吉に、強く言いすぎたかな、と雲雀は内心ひとりごちる。
「まあ、こういうのはスケッチと一緒で、回数をこなしていくうちにコツが掴めるものだしね。ご飯を炊くのは料理の基本だから、できて損はないと思うけど」
「はい。やってみます」
大きく頷いた綱吉の頭を撫でて、雲雀は笑う。
「ただし、今のうちから無理に動かそうとしないこと。神経を痛めてるんだから、頃合いは見計らってやり始めるんだよ。でないと、余計に症状が酷くなるかもしれない」
「はい」
神妙な面持ちで首肯した綱吉に、雲雀は笑みを深めた。
「それじゃ、今日のところはこれでおしまい」
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
「うん、おそまつさま」
いつぞやと同じように、雲雀は店の入口まで見送りに立ってくれた。
「…早く右手の麻痺、治ると良いなぁ」
「バイトの方は気長に待ってるよ。まずは学生の本分、大学に出られるようになることを考えな」
「はぁい」
少し間延びした返事をした綱吉の頭を、雲雀はちょい、と小突いてやる。
「手が動くようになったら、ご飯を炊く練習も忘れないようにね」
「了解です。今日さっそく、実家に連絡します」
「素早い行動、良い心がけだ」
へへ、と笑った綱吉の背中をぽんと撫でて、雲雀は『顔馴染みの客』から『バイト』に肩書きの変わる彼を送り出す。
「またおいで」
「はい、必ず」
☆
それから十日が過ぎ、並盛亭の店内にアルバイトで入った綱吉の元気な声が響くようになるのだが。
それはまた、別の話。