並盛亭の主人2
「そういえば、沢田綱吉」
「はい?」
食後のお茶のおかわりを淹れてもらって(雲雀は綱吉より後に食べ始めたのに、「ごちそうさま」と手を合わせて食べ終えたのは彼の方が先だった。同じ量を平らげたはずなのに)ひといきついた綱吉に、雲雀が尋ねてくる。
「君、その手の所為でずっと、学校も休んでるって言ってたけど。バイトは平気なの」
「あー…バイト…」
現実に立ち戻った綱吉は、ふはあと情けない声をもらして肩を落とす。
「短期で入れてたバイト、先月末で契約切れちゃってて。手が治ったらすぐ探さないとって思って、情報を集めてるところです」
「ふうん」
「でも、選り好みしてるつもりはないんですけど…交通の便とか募集時間を見ていくと、案外良いところが見つからなくて」
「…………」
「学校帰りに行けて、あんまり遅い時間に帰らなくて済むようなバイト、どこかにないですかねー」
ちなみに綱吉が深夜間のバイトを条件から外したのは、翌朝の授業で自分が全く使い物にならなかったことを経験済みだからである。仮眠を取っていても、眠いものは眠い。
「…心当たり、ないことはないよ。紹介してあげようか」
「ホントですか!?」
「うん」
冗談混じりで言ったのに手応えがあったので、綱吉が驚いた表情で雲雀を見ると、彼は頷いてみせる。
「た、助かります!…で、どこですか?」
ことりと首を傾げた綱吉に、雲雀は言葉で返事をする代わりにとんとん、と人差し指でカウンターを叩いて返した。
「?」
その行動の意図が分からずきょとん、としている綱吉に、笑みを深めた雲雀はまた人差し指でとんとんとん、とカウンターを叩いてみせる。
「え…」
「前々から人手は欲しかったんだけど、わざわざ募集をかけるのも面倒で、どうしたものかと思っていてね」
「!ま…まさか」
「厨房は無理でも、オーダー取ってテーブルに運んで、レジ打ちするくらいのことはできるだろ、君」
浮かんだ予想の上に決定打を放たれて、綱吉は琥珀色の目を瞬かせた。
「雲雀さんの言う『心当たり』って、この店だったんですか!?」
両手で湯飲みを握って声を上げた綱吉に雲雀はうなずき、「そうだな」と言葉を繋げる。
「大体週三日から四日の勤務で、時間と休みは応相談。まあ週末や祝日は、できるだけ来てくれると助かるかな」
並盛亭は綱吉の住むアパートから美大までの中間地点にあるので、授業が終わってからバイトに入り、閉店時間の午後八時まで働くサイクルを週四日続けていけば、それなりの収入になるし、深夜間バイトほど遅い時間の帰宅にもならずに済む。
労働条件としては、綱吉の求めている内容にほぼ合致している。
「時給も、チェーン店のカフェみたいに高くないけど、コンビニで日中働くくらいは出してあげられるし」
「わ、わ、うそ…」
一通り要望と条件を挙げた雲雀は、戸惑いとうれしさが半々くらいの表情を浮かべている綱吉を見下ろして、彼の感情の天秤を更に傾けさせる言葉を紡ぐ。
「勿論、来てくれた日はちゃんと賄いを付けてあげる。今日のおにぎりみたいに、店のメニューに載せてない料理も食べられるよ」
「っ!」
雲雀の台詞に、綱吉がびくっと肩を震わせて顕著に反応する。
「め…目の前にものすごい海老が釣り下げられた…!」
「そこでとっさに自分を鯛だと言わない辺り、君の身の程の弁えぶりが伺えるね」
「だってレベルが違いすぎます!そもそも俺は小魚みたいなもんだし…大体、雲雀さんの料理って俺の中だと、海老は海老でも車海老とか伊勢海老とか、そういう感じなんですよ」
「ずいぶんと持ち上げてくれるじゃないか」
「そりゃあもう、懐事情が許せば、毎食でも食べたいくらいですから」
つまりそれだけ美味しいし飽きないのだ、と。
取り繕った様子の見えないところから、綱吉は本心でこれを言っているようだ。
手放しに自分の腕を褒められ、くすぐったい思いに駆られた雲雀は、軽く握った拳を口元に当てて、笑みに緩む頬をごまかした。
「…で?目の前の海老、どうするんだい?釣られるの、釣られないの」
少しくぐもった声での問いかけになってしまったが、ぶら下げられた餌に目を輝かせている綱吉は気づかない。
「釣られます!小魚なりに全力で食いつきます!」
わざわざ痺れた方の手を挙げてまで宣言した綱吉に、さもありなんとばかりに雲雀は頷いた。
「じゃあ、その手の痺れが取れたら、履歴書を書いて持っておいで」
「はい、お願いします!」