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"Chrysalis" 【Spark5:新刊サンプル2】

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(略)

そして同刻、牢獄。閉塞感に満ちた黒と灰色の世界に異物が紛れ込んでいた。血のような紅が転がる玩具を踏みつけ、無残にひしゃげてしまったそれらを顧みることなく気儘に歩を進めている。

「……うーん。おっかしいなあ。こんなはずじゃなかったんだけど」

 エースは口元に手を沿え、しきりに首を捻っていた。足取りに迷いはない。ただ、呟く声は独り言というには大きすぎた。広い牢獄の壁に当たってはじわりと反響する。しかし誰か他の人間が周囲にいるわけでもない。
 先にアリスが迷い込んだときと同様に牢獄は静まり返っている。普通の人間ならまず間違いなく居心地が悪いと感じるだろう静謐さだ。だがエースはまるで気にしていない。日の光の下で歩くときと寸分違わぬ態度で闊歩する。正常か異常かで二極化するなら明らかに異常に分類されるだろう。

「俺はちょっと森を散歩していただけなんだぜ。もしかしたら顔馴染みの熊さんとかと会えるかもしれない、なんて期待をかけながらさ」

 異様な状況にあってエースの声音だけが奇妙に明るい。両手を広げて肩を竦める挙措などやけに芝居がかっている。
 そのエースが、不意に足を止めた。悪戯っぽい笑みを浮かべて振り返る。

「それなのに、何で俺は監獄なんかにいるんだと思う?」

 誰もいないはずの空間へ投げられた問い。普通に考えれば応えがあるはずもない。
 しかし。

「……知るかよ。つか、相変わらずの酷い迷子癖だな……」

 応じる声が一つ。最前までは確かに何も存在しなかった場所に、いつの間にか人影が出現していた。男一人の体重程度ではびくともしない強靭な鉄格子に背中を預け、怒るというよりは呆れた様子でエースを睨みつけてくる。
 まるでそこにいるのが当然とばかりにジョーカーはそこに在った。不自然な爽やかさを撒き散らすエースとは対照的に、彼の姿は牢獄の光景にひどく馴染んでいる。
 エースはジョーカーの唐突な出現に驚いた素振りもない。彼が『いる』ということに確信を持っていたのだろう。独白としては大きすぎた呟きもジョーカーに語りかけていたと解釈するならおかしくはない。

「俺だって努力はしているんだぜ? 迷子だって少しずつ改善しているし」
「亀の歩みより遅いけどな」

 エースがははは、と朗らかに笑う一方でジョーカーはうんざりした様子で溜息をついた。指摘も投げやりで力がない。とはいえ彼の声色からはエースに対する敵意は感じられない。それどころか幾分かの親しみさえ垣間見れる。アリスへ向ける態度よりも柔らかいとも思えるらいだ。少なくともこうしたやり取りを交わしたのは一度や二度ではないに違いない。
 左目を覆う眼帯を軽く弄り、ジョーカーは胡乱げな眼差しをエースに向けた。ぴしりと人差し指を突きつける。

「いい加減にしとけよ。ここは駆け込み所でも何でもねえんだ。悩み事くらい自分で解決しろ」
「ははっ、ジョーカーは手厳しいな。でも、俺に悩み事なんてないぜ?」
「……そうかよ。まあ、俺にはどっちでもいいことだ」

 ジョーカーの糾弾をエースはさらりと躱す。より仮面くささの強くなった笑顔をねめつけるジョーカーはあからさまにエースの言葉を疑っているようだったが、それ以上の追及はしなかった。
 追及したところで無駄足ではあっただろう。エースはただでさえ自らの内面を一目に晒すことを極端に嫌がる節がある。
その彼が笑顔の仮面をつけて心の鍵をかけてしまったのなら、こじ開けるのは至難の業だ。
 ジョーカーは苛立たしげに自らの髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。近頃は彼を煩わせる人間が多すぎる。本来ならジョーカーは先陣を切って他人と関わるような役ではないのに、何故自分だけがこんな目に合うのか。不公平を通り越して理不尽だとすら思うジョーカーだった。

「……ったく。お前といい例の嬢ちゃんといい、何だって俺のいるときを狙いすまして来やがるんだ。俺は子守じゃねぇんだぞ」
「……アリス? アリスがここに来たのか」

 ジョーカーが漏らした些細な愚痴にエースは過敏とも思える反応を見せた。口にしたジョーカー自身が怪訝に思ったほどにその変化は劇的だった。そこまでの反応を引き出せるとはジョーカーも思っていなかった。そもそもただの繰り言だったのだ。
 完璧に被りきっていたはずの仮面が僅かにずれている。仮面の影に隠された素顔は見えないが、そこに素顔があるということは分かる。そんな風情だった。
 意外に感じつつもジョーカーは指摘はしなかった。今指摘すればおそらくエースは先刻よりも更に強固な鍵をかけてしまう。それよりは今のまま泳がせた方が面白いと、彼はそう判断したその上で口を開く。

「ああ、よく来るぜ。結構頻繁にな」

 ジョーカーの言葉は嘘ではない。もう一人のジョーカーとアリスがここで鉢合わせた数回を勘定に入れなかったとしても、彼自身とアリスが牢獄で見えた回数は既に片手を越えて両手の指の本数に近くなっている。彼が基本的には表の世界に顔を出さないことを鑑みればこれは異常とすら言えるほどの頻度だ。

「気になんのか?」

 ジョーカーはからかい混じりに問いかけた。予測していたのは否定だ。「いや、そんなことはないぜ」だとかそういう反応だろうと決めてかかっていた。ジョーカーの知っているエースとはそういう男だ。エースは原則として表面的にはどんな相手にも親しげな態度を取るが、実際に興味を抱いている相手などユリウスくらいであろう。
 そう思っているジョーカーからすれば、エースの返答は耳を疑うレベルのものだった。

「……ああ、そうだな。気になるよ」
「…………………………」

 ジョーカーは思わず目を見開いてエースを凝視した。エースの表情は凪いでいる。自分が特殊なことを口にしたとはまるで思っていない。
 そこに至ってジョーカーはようやく真剣にエースとアリスの問題に介入する気になった。このまま放っておくと『ジョーカー』にとって拙い事態が起こるだろうという直感があった。そんなものを見逃す気にはなれない。粗暴な態度から誤解されがちであるが、ジョーカーは自らの職務には忠実だ。
 ジョーカーにしては珍しく慎重な口調でエースを問い質す。

「おい、エース。お前……分かってんだろうな?」
「勿論。俺は処刑人だ。罪人に肩入れすることは許されない」

 エースの返答は実に明解だった。模範的と言ってもいい。だからこそジョーカーは疑いの眼差しをエースに向けることを止められない。案の定、エースはいつも通りの笑顔でさり気なく付け加えた。

「でもアリスは罪人じゃない。少なくとも今はまだ。……そうだろう?」
「……ふん」

 詭弁に近いエースの言い分を、ジョーカーは鼻を鳴らして受け流すに留めた。エースの言うこともある一面では正しい。アリスは罪人ではない。既に片足以上を牢獄に突っ込んでいる身とはいえ、まだ決定的な事態には陥っていない。