彼の見た夢
僕が、あの人の家を出てから2カ月が経った。
その時間が短いか長いかと言われれば、同棲していたのは約1年だからまだ短いのかもしれない。
けれど、僕にとって一日一日はとてつもなく長く感じる。
寂しいとか辛いとか、そんなありきたりな感情は最初の3日で嫌というほど感じた。
その次に来たのは苦しいほどの喪失感。
また、大切なものを無くしてしまった、そんな感じ。
生きていけないほど愛していたのなら、もっと早く楽になれた。
あの人は喜んで自分に全てを捧げては壊れて行く僕のことをそれはそれは楽しそうに見ていてくれただろう。
そして、そのほうがいっそ僕の幸せだったのかもしれないと、最近はそう思う。
それでも僕と臨也さんはやっぱり相容れない存在だったから。
僕があの人を見て最初に抱いた物を『好意』と名付けるならば、
あの人が僕を見て最初に抱いたのは『興味』だ。
それは良く似ているようで全く違う感情。
それでもいつからか、臨也さんは僕に好意を持ってくれた。
たぶんそれは間違ってない。
『めんどくさいから一緒に住んじゃう?』
臨也さんのその軽い一言に僕が泣きたいくらい嬉しかったことを、あの人は知らない。
干渉し過ぎることが、命取りだと言うことは馬鹿な僕でもわかった。
臨也さんの好きなことは違法スレスレで(実際は違法だったのかもしれない)、側にいれば居るほどその行動に翻弄され狂わされ落ちて行く人たちを、見ないようにしても見てしまう。
その行動を止めることなんて、僕に出来るかと言われたら、否だ。
だから絶対関わるな、と思ってた。だって臨也さんは僕には驚くほど優しかったから。。
一人二人、最初は僕も苦しいかもしれない。けれど逝き付くところまで落ちて狂う人をたくさん見るうちに慣れる、そう信じていた。
だって僕も臨也さんが言う『愚かな人間』の一人で、大切なものは自分の保身だけで、しょせん偽善者。
僕は僕の安泰のためにはその人たちを見捨てることもなんてことないって、そう思ってた。
だけど僕の良心と言う奴は意外と頑固だった。
駄目だったんだ。
僕を優しく撫でてくれるその手が、他者を容赦なく切り捨てる恐ろしい刃に変わる。
ついさっきまで穏やかに話していた人が、同じ微笑みで誰かを狂わせる。
それはまるで聖母が悪魔へと姿を変える瞬間だった。
恐ろしい人だと、改めて思い知った。
臨也さんは優しいのだ、人間という生き物を愛しているから。
最初から悪意があって行うのなら、勘の鋭い人は気付くだろうその悪意に。
けれど彼の行動には何一つ悪意は込められない、だって、臨也さんは愛しているゆえの行動だから。
恐れてはいけない、僕はあの人を愛しているのだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
愛しているのなら、どんなあの人も愛せると、自分を誤魔化した。
けれどそんな僕の足掻きは無駄な抵抗だった。
どんな美しい女性も、どんな正義感あふれる人も、どんな純粋でただ優しい人も、それゆえに臨也さんの手の中で思い通りにダンスして、愛しさが募るとその掌の中で握りつぶされた。
『正直者が馬鹿を見る』そんな世の中の縮図をあの人は知っていた。
嗚呼、もしも、臨也さんが悪い人だけ懲らしめる石川五右衛門のようだったら!
僕の考え方はきっと変わってた。
でも、そんな甘い人じゃ無かったから。
最初に僕を襲ったのは恐怖。
あの人の手の中で狂っていくあの人間は未来の僕だ。
どうして僕だけは大丈夫なんて思ってたんだろう。僕も愛される人間の一人なのだ。
それでも同棲を始めて3カ月、6か月、日が経つごとに元気をなくす僕のことを心配してくれた。
臨也さんは自分で『気分が悪い』『頭が痛い』とか言う時の10倍以上に苦しげな顔をして、僕の体調を気遣ってくれた。
この時臨也さんの中にカケラでも僕を狂わすための演技が含まれていたのなら、僕はすぐに逃げ出しただろう。
臨也さんは何処までも僕に優しかった。
だから次に僕に湧いたのは奢り。
…もしかしたら、本当にもしかしたら、だけど。
僕が止めてくれと言ったのなら、臨也さんは止めてくれるのかもしれない。
僕が他人を傷つけるのは止めて欲しいと、誰かを傷つければ貴方も傷つくと、そう言えばわかってくれるかもしれない。
僕なら出来るかもしれない、だって僕はあの人の愛されているんだもの。
歯車は僕のこの考えから狂った。
その時間が短いか長いかと言われれば、同棲していたのは約1年だからまだ短いのかもしれない。
けれど、僕にとって一日一日はとてつもなく長く感じる。
寂しいとか辛いとか、そんなありきたりな感情は最初の3日で嫌というほど感じた。
その次に来たのは苦しいほどの喪失感。
また、大切なものを無くしてしまった、そんな感じ。
生きていけないほど愛していたのなら、もっと早く楽になれた。
あの人は喜んで自分に全てを捧げては壊れて行く僕のことをそれはそれは楽しそうに見ていてくれただろう。
そして、そのほうがいっそ僕の幸せだったのかもしれないと、最近はそう思う。
それでも僕と臨也さんはやっぱり相容れない存在だったから。
僕があの人を見て最初に抱いた物を『好意』と名付けるならば、
あの人が僕を見て最初に抱いたのは『興味』だ。
それは良く似ているようで全く違う感情。
それでもいつからか、臨也さんは僕に好意を持ってくれた。
たぶんそれは間違ってない。
『めんどくさいから一緒に住んじゃう?』
臨也さんのその軽い一言に僕が泣きたいくらい嬉しかったことを、あの人は知らない。
干渉し過ぎることが、命取りだと言うことは馬鹿な僕でもわかった。
臨也さんの好きなことは違法スレスレで(実際は違法だったのかもしれない)、側にいれば居るほどその行動に翻弄され狂わされ落ちて行く人たちを、見ないようにしても見てしまう。
その行動を止めることなんて、僕に出来るかと言われたら、否だ。
だから絶対関わるな、と思ってた。だって臨也さんは僕には驚くほど優しかったから。。
一人二人、最初は僕も苦しいかもしれない。けれど逝き付くところまで落ちて狂う人をたくさん見るうちに慣れる、そう信じていた。
だって僕も臨也さんが言う『愚かな人間』の一人で、大切なものは自分の保身だけで、しょせん偽善者。
僕は僕の安泰のためにはその人たちを見捨てることもなんてことないって、そう思ってた。
だけど僕の良心と言う奴は意外と頑固だった。
駄目だったんだ。
僕を優しく撫でてくれるその手が、他者を容赦なく切り捨てる恐ろしい刃に変わる。
ついさっきまで穏やかに話していた人が、同じ微笑みで誰かを狂わせる。
それはまるで聖母が悪魔へと姿を変える瞬間だった。
恐ろしい人だと、改めて思い知った。
臨也さんは優しいのだ、人間という生き物を愛しているから。
最初から悪意があって行うのなら、勘の鋭い人は気付くだろうその悪意に。
けれど彼の行動には何一つ悪意は込められない、だって、臨也さんは愛しているゆえの行動だから。
恐れてはいけない、僕はあの人を愛しているのだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
愛しているのなら、どんなあの人も愛せると、自分を誤魔化した。
けれどそんな僕の足掻きは無駄な抵抗だった。
どんな美しい女性も、どんな正義感あふれる人も、どんな純粋でただ優しい人も、それゆえに臨也さんの手の中で思い通りにダンスして、愛しさが募るとその掌の中で握りつぶされた。
『正直者が馬鹿を見る』そんな世の中の縮図をあの人は知っていた。
嗚呼、もしも、臨也さんが悪い人だけ懲らしめる石川五右衛門のようだったら!
僕の考え方はきっと変わってた。
でも、そんな甘い人じゃ無かったから。
最初に僕を襲ったのは恐怖。
あの人の手の中で狂っていくあの人間は未来の僕だ。
どうして僕だけは大丈夫なんて思ってたんだろう。僕も愛される人間の一人なのだ。
それでも同棲を始めて3カ月、6か月、日が経つごとに元気をなくす僕のことを心配してくれた。
臨也さんは自分で『気分が悪い』『頭が痛い』とか言う時の10倍以上に苦しげな顔をして、僕の体調を気遣ってくれた。
この時臨也さんの中にカケラでも僕を狂わすための演技が含まれていたのなら、僕はすぐに逃げ出しただろう。
臨也さんは何処までも僕に優しかった。
だから次に僕に湧いたのは奢り。
…もしかしたら、本当にもしかしたら、だけど。
僕が止めてくれと言ったのなら、臨也さんは止めてくれるのかもしれない。
僕が他人を傷つけるのは止めて欲しいと、誰かを傷つければ貴方も傷つくと、そう言えばわかってくれるかもしれない。
僕なら出来るかもしれない、だって僕はあの人の愛されているんだもの。
歯車は僕のこの考えから狂った。