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到底広いとは言えない室内に、キーボードを叩く音が響く。
少年―――竜ヶ峰帝人は流れるようにキーを叩き、マウスを操作すると、ブラウザを閉じてネットブックから顔をあげた。
長時間同じ体勢でいたために固まってしまった肩を、ゆっくりとほぐすように回す。
目にもだいぶ負担がかかっていたようで、ぎゅっときつく瞑る。
すると鼻先に、ふわりとコーヒーの香りが届いた。

「お疲れ様。勝手に台所借りたよ」

目を開けると、臨也がマグカップを差し出してくれていた。
カップの中にはブラックコーヒー。
帝人がそれを受け取ると、にこりと笑って自分用に入れたのだろうコーヒーを口に運んだ。

「ありがとうございます」
「上手くいったかい?」

そう言いながら臨也が空いた右手で指差すのは、先程まで帝人が操作していたネットブック。
帝人は苦笑しながら答えた。

「はい。たぶんこれで落ち着くと思います」



つい昨日、ダラーズのサイト内に、『ダラーズの創始者』を騙る人物からの書き込みがあった。
初めのうちは、カラーギャングの動向などをテーマにした掲示板に『創始者』というHNで書き込みを残す。
さまざまなチャットに現れるようになると、『創始者』の噂は瞬く間にダラーズメンバー間に広まった。

『私さっき、創始者とチャットしちゃった!』
『どうせ似非だろ?』
『いやいや、実はオレが創始者だし。今度オフ会やるから会いたい奴は来いよ』

噂に尾ひれがつき、次々と新たな噂が流れ出す。
帝人が最初に『創始者』を騙ったメンバーのアカウントを停止し書き込みを削除する頃には、ダラーズサイト内に数十人の『自称・創始者』が登場していた。
このまま放っておけば、以前ダラーズのメンバーが女性を襲った時のようなことになりかねない。
あの時はなんとかまるく収まったとはいえ、一時的に埼玉の『To羅丸』総長・六条千景を敵に回したのだ。
次は明日機組や粟楠会に、何人か消されてしまってもおかしくはない。
知らない者達が勝手に暴れ、消えていくのは仕方のないことだけど、自分や周囲の人たちに危険が及ぶことだけは避けたい。
そんな思いから帝人は『創始者』として、『竜ヶ峰帝人』という一個人として、事態の収束に乗り出したのだ。
しかし―

「間に合わない・・・」

帝人は一人、パソコンの前に座り呟いた。
『創始者』の増えるスピードが、尋常でなく速いのだ。
現実に、池袋の街のどこかで起きている事件なら、門田などある程度信頼のおけるメンバーに連絡を取り、それとなく協力を仰ぐこともできる。
しかし、今はまだネット上でのこと、それも適わない。
創始者を騙るアカウント全てを停止するわけにもいかず、帝人は再び親友の忠告を忘れて電話をかけたのだ。

「もしもし、臨也さんですか?竜ヶ峰です」

情報屋 折原臨也へと―



事の次第を説明すると、程なくして臨也は帝人の自宅へ現れた。
持参したネットブックを帝人に手渡し、いくつかのチャットや掲示板を指定して書き込みをするように言う。
あらかじめ臨也(ではなくダラーズサイト内では『甘楽』だろうか)が手を回していたのか、言われるままに帝人が処理を進めていくと『創始者』たちは見る間に減っていった。
後に残ったのはあからさまにニセモノとわかる、無害な『創始者』たちだけだった。

「本当に助かりました」

帝人はネットブックの表面を撫で、ぺこりと頭を下げた。
臨也の機転がなければ、今回は危なかったかもしれない。

「いえいえ。良かったよ、すぐに収まったみたいで」

そう言いながら臨也は帝人の隣に座り、モニタ上を流れるログに目を通した。
帝人もつられてモニタを覗き込んだが、ネット上でよく見られる口論はさておき、目立って大きな問題は起きていないようだった。
なんだか急に気が抜けてしまう。
ふう、と息をついてモニタの隅にある時刻表示を見ると、デジタル時計は18時近くを示していた。

「え・・・18時・・・!?」

窓の外に目をやると、まだ夏で日が長いものの、すっかり西日になっていた。
臨也に連絡を取ったのが昼前だから、もう6時間も臨也を拘束してしまっている計算だ。
帝人は慌てて立ち上がると、台所に駆け込む。

「すいません臨也さん!まさかこんなに時間が経ってるなんて・・・お腹空いてますよね?確か実家から送られてきたおはぎが・・・」

パソコンの前に座ったままの臨也に声をかけながら冷蔵庫をがさがさと漁る。
「ああ、気にしなくていいよ」と臨也は笑って答えたがそういうわけにもいかない。
すぐに食べられそうなものをかき集め、新しくコーヒーを入れなおしていると、臨也の尋ねる声が聞こえた。

「帝人君さ」
「はい・・・なんですか?」
「ダラーズは、いつ『君のダラーズ』になるのかな?」

『ダラーズ』が、『僕のダラーズ』になる?
内心首を捻りながら、食べ物とコーヒーの入ったカップを抱えて帝人は元いた場所へ戻る。
臨也は帝人に視線を向けることなく、マウスを操作した。
チャットルーム、メンバーの名簿、掲示板、次々とページを移動していく。

「帝人君が望む、理想的な『君のダラーズ』だよ。いつまでにって、決めているの?」
「『僕の』って・・・ダラーズはみんなのものですよ。僕はただ作っただけで、『創始者』なんて言えるほどのことはしていません」

『ダラーズはみんなのもの』と、帝人は本気でそう思っている。
しかし臨也は「アハハ」と、さもおかしそうに笑った。

「『みんなのもの』ねぇ?「創始者なんて言えるほどのことはしていない」って、その発言がオレにはダラーズに執着して、自分のものだと思って扱ってるように聞こえるけどなぁ」

「そんなことはない!」と、帝人はそう思う。
思うのに否定できないのは、心のどこかで思っているからだろうか―「ダラーズは創始者たる自分のものだ」と。
戸惑い俯く帝人の手からカップを受け取ると、臨也は片目だけを細めるようにして笑った。

「まあ、ダラーズが誰のものかなんて些細なことだよ。なんにしろ君は、全てを元に戻すためにダラーズを変えるんだろう?」

視線を帝人からモニタへと戻すと、臨也はマウスを操作してブラウザを閉じていった。

「頑張りなよ。俺も協力するし、誰がなんと言おうと君が作った組織だ。使えるときには使えばいい」

そう言って、パソコンをシャットダウンしていると、背中に軽い衝撃を感じた。
ぽすん―という軽い音とともに感じたのは熱。
振り返ると帝人が、臨也の背によりかかるようにして座っていた。

「どうしたのかな?」
「・・・なんとなく、です」

珍しい行動に若干驚いて尋ねてみたが、帝人は明確な答えを返さない。

「なんだか今日の帝人君は子供みたいだねぇ。いや、これが年相応なのかな?いつもが大人びているから、今日みたいに頼って甘えてくれるのも良いのかもしれないね」

からかうつもりでそう言った臨也だったが、帝人は思いのほか真剣に尋ね返した。

「・・・・・僕、ちゃんと甘えられていますか?」

コーヒーを少しだけ口に含み、嚥下する。
わずかに背を反らしたため、一瞬だけ臨也の背にかかる重みが増した。

「甘えたりとか、よくわからないんです」
作品名:フレグランス β 作家名:七貴