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行間で恋をする(旧『まだ気づかない』)

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【 旅の途中 】


 別荘地へと向かう列車は当然のように特等席が確保されていた。何時もの堅く座り心地が悪い木の座席ではない。一組一組の席が壁で仕切られた個室。上質な布を張った柔らかな座席の上で、帝人は居心地の悪さに縮こまっていた。
「肩の力を抜きなよ。見ているこちらまで疲れる」
「すみません、僕、上等な席って乗り慣れていなくて」
 何処までも普通、庶民を絵に描いた様な少年は、其れでも好奇心に目を輝かせて居た。臨也は微笑む。
「ねえ帝人くん、何時もは俺が喋るばっかりだからさ。偶には君の話も聞かせてよ」

 帝人に関して、臨也は大抵の事は知っていた。知っていて、敢えて色々と尋ねてみた。同じ情報でも他人を介して仕入れるのと、本人の口から聞くのとは意味合いが全く違う。肝心なのはその内容ではなく、情報を遣り取りし合っていると云う行為そのものである。
 生産性の無い行為に価値を見出す。臨也の優先順位の中で、情報という項目が第一位ではなくなる。かつて無い奇妙な感覚。困惑を誤魔化す軽口で、臨也は先を促す。
「本当に良いんですか?正直に、思っていた事を云ってしまっても」
「どうせだから率直な意見を聞かせてよ。目的地へ着くまでの余興だとでも思ってさ。まあよっぽどの事じゃ無い限り俺も怒ったりしないから、言葉を選ぶとか、斯様な気遣いは不要だ」
「はあ」
 少年は躊躇しながらも、「では、」と思い切った様な表情で口を開く。
「売れ筋の作家だって聞いて、最初は何気なく臨也さんの本を一冊買ったんですけど、今じゃあすっかり虜になってしまいました。普段はそんなに読書はしないんですけど、臨也さんの小説だけはとびきり面白くて」
「それは光栄だ」
「小説を幾つも読んでいる内に、段々その作品を書いた作者が気になり始めて」
 愉しそうに語る帝人に、臨也も自然と口元が綻ぶ。
 自分の著作を誰に褒められたって何とも思わなかったのに。今はただただ面映ゆい。
 帝人は無邪気に笑っている。内弁慶と云うのか、この子は案外思った事ははっきり口にする性格らしいのだが、其れは身内に向けた姿らしい。残念ながら臨也の前での帝人はずっと、大人しく当たり障りの無い物腰だった。緊張が解れてきたのか口が滑らかになっているのが、臨也には嬉しかった。
「この人はどんな人なんだろう、出来るなら逢ってみたいなって考えるようになったんです。こんなえげつない話を書けるのは、どんな人なんだろうって」
「えげつない。まあ、そう見えるんだろうね」
 確かに文壇でも書店でも、臨也の著作は大抵が『怪奇小説』が『幻想小説』に分類されているのだから間違ってはいない。割と率直な評に無論気分を害してはいない。臨也が引っかかったのは其処ではない。
 彼はそんな理由で臨也に興味を持ったというのか?複雑な顔をする臨也だが、帝人は言葉を考えるのに気を取られている様子で。
「臨也さんの書くお話って、どれも描写が凄く綺麗なんですけど、兎に角容赦無い時は本当に容赦が無いでしょう?でも、残酷だったり無情だったりと後味が悪くても、最後は物語が収まるべき処に収まってる、と思うから。好きだなあって思うんです」
 空想を捏ね繰り回すのが仕事である物書きの臨也は、物事の綺麗な部分だけを抽出したお涙頂戴のご都合主義的展開を嫌った。臨也は人間を愛している。綺麗な部分だけじゃない、醜く卑しく汚い部分も全て。むしろ斯様な暗い面を併せ持っているからこそ人間が愛おしいと云うのだ。だから批判を承知で人が狂う話を幾つも書いた。
 自分の選別眼が確かだったのを臨也は確信した。帝人は臨也の表面的な刺激性だけじゃない、内包した『何か』にまで無意識ながら共鳴している!
 これが、歓喜せずに居られようか!
「臨也さん、どうかしました?や、やっぱり僕が余計な事を喋ったから!」
「いや、何でも無い、何でも無いよ」
 臨也は手のひらで口許を覆う。窓枠に肘を突いて、流れ行く車窓に目を移す。風に揺れる髪の端に、非礼な口を叩き過ぎたかと慌てる帝人が見えたが、今の臨也は訂正も出来やしない。手のひらの下で、赤く染まっているであろう頬から熱が引くまでは。
 臨也は盛大に照れていた。
 好きだなあ、好きだなあ。帝人の甘い声が、何度も繰り返し耳元で響く。

 窓に頬杖を突いて、ゆるりと帝人を見遣った臨也は、不敵に微笑んで云った。
「考えてもみれば、俺の造った文章が大衆に受けるのは不思議な事でも無いんだよね」
 何か言いたげな顔で、帝人は小首を傾げている。
 説明が足りない、だから狂人の誇大妄言にも聞こえてしまう。
「俺は人間が好きだ。何度も云う様にね。で、その人間のどこを愛しているかを羅列し、尚且つ読み易いよう空想で味付けして小説と云う体裁に整えたのが、俺が世に出している文章なんだと思っている。謂わば、全ての人間に綴った恋文って訳だ」
「何だか凄く壮大なお話ですね。ああでも、これで腑に落ちた気がします」
 臨也の説明が気に入ったのか、帝人はあははと朗らかに笑った。
「え、そうなの?」
「はい。どのお話も主題は『愛』なんじゃないかな、って友達に云ったんですけれど、同意は貰えませんでした。僕も、何となくそんな気がしたってだけで明確な論拠も何も無いから、その友人を納得させられなかったし」
 それはそうだろう。臨也の著作には癖がある。合わない者にはとことん合わない作風だから。最近は其れがより顕著で、初期と比べて癖の有る傾向が突出してきたのだが、臨也の作品の全てに目を通したと云う帝人でも、臨也の作風の変化に気づいているだろうか。
 臨也の変化、分岐点は丁度、彼が帝人と出逢った頃に合致する。
「分かってくれる読者にだけ、分かってもらえれば良いよ」
「でも僕、悔しいんです。その友人は悪し様に批判するんだから」
「ははは。そんな奴も居るさ」
 元からどんな悪評を受けようと痛くも痒くも無い。分かってくれるのは帝人だけで良い。完全に理解できずとも、何となくでも彼が感じ取っているなら充分だ。
 だって、一般的に「癖が有る」と評価が分かれる作品は皆、帝人を想って描いた小説ばかりなのだから。
 臨也が生み出した小説を好きだと云ってくれた。
 小説を通して語った『愛』を、受け止めてくれた。其れは即ちと云うまでも無い。
 こんなにも赤裸々な告白が、有るだろうか。





 列車の車輪が軋んだ音を立てる。停車した列車の外から、駅の喧騒だけが聞こえてくる。丁度駅の裏側で、開け放たれた窓から見えるのは農家と濃い緑の山だけ。
 するりと影の様に音も無く動いた男の、常時身に纏っている黒衣とは対照的な白い指。あかぎれひとつ知らない指にはどこか不似合いな胼胝(たこ)が出来ているのを、帝人は視界の端で発見した。少年は微動だに出来ずに居た。
 顎に掛かる指。綺麗な顔が、吐息が掛かりそうな間近で微笑んでいる。滲む艶に中てられそうだ。
「君から熱烈な告白が聞けただけで、こんなに平静じゃ居られないんだ。この落とし前、どうやって付けてくれるのさ」
「い、意味が分かりません!告白って何ですか、僕は別に何もっ」
 困惑する帝人の顎を少し引いて、滑らかな頬に口づけた。途端に少年は黙り込んだ。円らな瞳が大きく瞬きする。