池袋は夜の七時
暗闇の中でその光を見たとき、臨也は嫌な予感がした。
他の可能性だって十分に考えられる、自分は情報屋なんだから、いくらでも自分を頼って情報を欲しがる人間が今日もこの携帯を鳴らすことがあるだろう──。なのにチカチカと点滅する光はサイレンのようで、危険を知らせているとしか思えない。でもそれは、臨也の直感が相手が危険だと察知しているということだ。
液晶画面を見れば、やはり直感は当たっていたが最悪な状況には変わりない。四木というその名にため息交じりに電話に出た。
「正確でどこよりも早く情報をお届けするだけでなく、真心第一でお客様に接する情報屋、折原臨也でぇす」
声高にそう告げてやる。こうなったら相手をこちらのペースに引き込むのが一番だが、相手はヤクザだ。しかもただのヤクザでなく幹部にまでのし上がった男で、やはり電話から聞こえてくるのは苦笑する声だけだった。
「知っていますよ、その優秀な情報屋に電話をかけたんです。こないだの仕事の礼が是非したいんですが」
わざわざ仕事の部分を強調してくるあたり、本当に嫌な男だ。そう思い、まさか同属嫌悪なんてことじゃないだろうなと臨也はうなだれた。
「四木さん、この俺に性格が悪いと思わせるなんて、さすが幹部に上り詰めるだけありますね」
「本当に真心のこもった言葉で感激しますよ。うちで新しく手がけた店にいます。もちろんどこだかわかっているでしょう、情報屋さん」
こちらの挑発に乗る隙もなく、言いたいことだけ言い携帯は切れた。さすが命令することに慣れている人間は違うと思わせる強引さだった。来いとはっきりは言わないところが四木らしい。
「あーあ」
携帯を放り投げ、臨也は天井を仰いだ。
自宅前にタクシーを呼び、池袋の駅前で降りて、人の多い道を少し歩くと目的の場所にたどり着く。だがそこで、臨也は珍しく足を止める。
とてもキャバクラとは思えないシャレたデザインの看板には、金色でどこにでもありそうな店名が記されていた。
臨也も池袋を縄張りにしていたやり手の情報屋だ。この手の店にだって情報があれば訪れるし、どんな場合でも対処する処世術は持ち合わせている。だが、女に不自由することもなければ、金を払って高い酒をあおり、女を並べることで支配欲を満足させるような趣味はない臨也にとって、仕事でもなければ用のない場所であるのに違いはない。
「ま、これも仕事のうちか」
看板脇のそう広くない階段を下りていくと、地上の騒がしい雑踏が嘘のような赤絨毯のフロアが広がる。近づいてきた黒服を片手で追い払い、臨也はずかずかと店の中へと進んでいく。
天井からは真っ赤なシャンデリアがぶら下がり、イミテーションの蝋燭に人工的な明かりが灯されている。黒い革張りのソファーに、シャンデリアと同じ色の赤いカーテン。そして一番広いテーブルに待ち人はいた。
「来ましたね」
「呼んでおいて来ましたねも何もないでしょう。なかなか悪くない店ですね。四木さんの見栄や虚栄心が透けて見えてきそうですが、いささか安っぽい仕上がりなのはどうしてですか?ああ、ちょっと表現が悪いのはかんべんしてくださいね。機嫌が悪いもので」
両手を広げて臨也はいつものように一息で話すと、四木はさして気にした様子もなく、口を曲げただけだった。
「相変わらずべらべらとよく口が回りますね。よく舌を噛まないものだ。店は来る客が内装に圧倒されるようじゃ意味ないんですよ。私みたいな者ばかりが来るわけじゃないのでね」
「そういうものですか」
周りには若い、臨也にはどれも同じに見える女が何人も座ってソファーを埋めている。四木一人で相手をするには無駄な人数で、まるでソファーに飾られるためにいるようだ。
この場合どこに座ったものかと臨也が視線を泳がせていると、自然と四木の隣が空けられる。仕方なく臨也がそこへ腰を落ち着けると、作り物のような女たちが騒ぎ出す。その違和感に気味の悪さを感じながら、今夜をどう乗り切ろうかと頭を回転させた。
「四木さーん、この綺麗な男の子は誰なんですかあ?」
舌ったらずな口調で聞いてくる女に、適当な受け答えで臨也が相手を混乱させようとしたが、それを察した四木が素早く言う。
「駄目ですよ。彼は女に興味ないんです。ねえ?」
その言葉はもはや用意されていたものだとわかった。なるほど、と臨也は思い、今夜ここに呼び出された意図をある程度理解する。
この前静雄とのセックスについて四木から信じがたいことを言われ、臨也は思わずソファーに座るこの男に馬乗りになった。その時の音で外にいた部下が四木の身を案じて部屋へ入ったのだが、予想もしない二人の体制に「失礼しました!」と大慌てでドアを閉めた。勝手な誤解により、これといった言い訳をする間もなく四木は渋い顔をしていた。臨也は確かに美しく、その容姿は眉目秀麗という言葉そのままだ。臨也自身にもその自覚はあるが、それにしたって男相手だというのにすぐさまそんな誤解をされる下半身に人格のない四木にだって問題はある筈だ。
今日はその意趣返しだろうか。
「えーそれどういう意味ですかあ?」
女が楽しそうに、だが少し揶揄するような調子で騒ぎ始める。だが臨也からしてみれば、こんな誰ともしれない女にどう思われようと正直気にしない。
そっちがその気なら、と臨也は四木の首に手を回す。そしてそのままこの間と同じ体制を作りだす。
女たちの騒いでた声が一瞬止まり、そのまま沈黙が訪れる。じっと成り行きを見守るその視線に、笑顔を向けて甘い声で臨也は言う。
「そうなんです。僕、四木さんの愛人なんですよ。彼のこと、あまり誘惑しないでくださいね」
「実はそうなんですよ。可愛いでしょう?」
てっきり否定されるものだと思っていたのに、あろうことか四木は臨也を引き寄せて臨也の耳元でぞっとするくらい優しくそう言ってのけたのだ。
「四木さん、どういうつもりですか? 」
臨也はその耳元で囁くように言うと、四木は珍しく楽しそうに笑った。
「女性からの煩わしいお誘いをどうにかしたくてね。ご協力に感謝しますよ」
四木は殊更いやらしい手つきで臨也の腰に手を回してきたが、そんな気かけらもないのはお互いがよくわかっていた。だが、そんな二人の思惑は他所に、まったく予想もしなかったところから声がかかった。
「臨也、お前何やってんだ…」
疑問というよりは唖然とした様子の声に視線を向けると、そこに居たのは声をかけた田中トムと、今にも暴れだしそうな凶悪な視線をグラサンの奥からのぞかせる静雄だった。
「シ…ズちゃん」
そうなれば、もう臨也の視界には静雄の姿しか捉えない。
「どうしました?店に何か用ですか?」
「いや、うちの方で金使い込んだままの奴が、今度はここの女に入れ込んで通ってるってんで、引っ張ってく前に四木さんの方へ挨拶を」
トムの言葉が終わる前に、静雄が地に響くような声で「行ってくる」と言い、次の瞬間には何かが破壊される音と女の悲鳴が響いた。
「ちょ…静雄っ」
慌ててトムが後を追ったが、時すでに遅し。すでにスイッチの入った静雄を止められるわけがない。
「………四木さん、やってくれますね」
他の可能性だって十分に考えられる、自分は情報屋なんだから、いくらでも自分を頼って情報を欲しがる人間が今日もこの携帯を鳴らすことがあるだろう──。なのにチカチカと点滅する光はサイレンのようで、危険を知らせているとしか思えない。でもそれは、臨也の直感が相手が危険だと察知しているということだ。
液晶画面を見れば、やはり直感は当たっていたが最悪な状況には変わりない。四木というその名にため息交じりに電話に出た。
「正確でどこよりも早く情報をお届けするだけでなく、真心第一でお客様に接する情報屋、折原臨也でぇす」
声高にそう告げてやる。こうなったら相手をこちらのペースに引き込むのが一番だが、相手はヤクザだ。しかもただのヤクザでなく幹部にまでのし上がった男で、やはり電話から聞こえてくるのは苦笑する声だけだった。
「知っていますよ、その優秀な情報屋に電話をかけたんです。こないだの仕事の礼が是非したいんですが」
わざわざ仕事の部分を強調してくるあたり、本当に嫌な男だ。そう思い、まさか同属嫌悪なんてことじゃないだろうなと臨也はうなだれた。
「四木さん、この俺に性格が悪いと思わせるなんて、さすが幹部に上り詰めるだけありますね」
「本当に真心のこもった言葉で感激しますよ。うちで新しく手がけた店にいます。もちろんどこだかわかっているでしょう、情報屋さん」
こちらの挑発に乗る隙もなく、言いたいことだけ言い携帯は切れた。さすが命令することに慣れている人間は違うと思わせる強引さだった。来いとはっきりは言わないところが四木らしい。
「あーあ」
携帯を放り投げ、臨也は天井を仰いだ。
自宅前にタクシーを呼び、池袋の駅前で降りて、人の多い道を少し歩くと目的の場所にたどり着く。だがそこで、臨也は珍しく足を止める。
とてもキャバクラとは思えないシャレたデザインの看板には、金色でどこにでもありそうな店名が記されていた。
臨也も池袋を縄張りにしていたやり手の情報屋だ。この手の店にだって情報があれば訪れるし、どんな場合でも対処する処世術は持ち合わせている。だが、女に不自由することもなければ、金を払って高い酒をあおり、女を並べることで支配欲を満足させるような趣味はない臨也にとって、仕事でもなければ用のない場所であるのに違いはない。
「ま、これも仕事のうちか」
看板脇のそう広くない階段を下りていくと、地上の騒がしい雑踏が嘘のような赤絨毯のフロアが広がる。近づいてきた黒服を片手で追い払い、臨也はずかずかと店の中へと進んでいく。
天井からは真っ赤なシャンデリアがぶら下がり、イミテーションの蝋燭に人工的な明かりが灯されている。黒い革張りのソファーに、シャンデリアと同じ色の赤いカーテン。そして一番広いテーブルに待ち人はいた。
「来ましたね」
「呼んでおいて来ましたねも何もないでしょう。なかなか悪くない店ですね。四木さんの見栄や虚栄心が透けて見えてきそうですが、いささか安っぽい仕上がりなのはどうしてですか?ああ、ちょっと表現が悪いのはかんべんしてくださいね。機嫌が悪いもので」
両手を広げて臨也はいつものように一息で話すと、四木はさして気にした様子もなく、口を曲げただけだった。
「相変わらずべらべらとよく口が回りますね。よく舌を噛まないものだ。店は来る客が内装に圧倒されるようじゃ意味ないんですよ。私みたいな者ばかりが来るわけじゃないのでね」
「そういうものですか」
周りには若い、臨也にはどれも同じに見える女が何人も座ってソファーを埋めている。四木一人で相手をするには無駄な人数で、まるでソファーに飾られるためにいるようだ。
この場合どこに座ったものかと臨也が視線を泳がせていると、自然と四木の隣が空けられる。仕方なく臨也がそこへ腰を落ち着けると、作り物のような女たちが騒ぎ出す。その違和感に気味の悪さを感じながら、今夜をどう乗り切ろうかと頭を回転させた。
「四木さーん、この綺麗な男の子は誰なんですかあ?」
舌ったらずな口調で聞いてくる女に、適当な受け答えで臨也が相手を混乱させようとしたが、それを察した四木が素早く言う。
「駄目ですよ。彼は女に興味ないんです。ねえ?」
その言葉はもはや用意されていたものだとわかった。なるほど、と臨也は思い、今夜ここに呼び出された意図をある程度理解する。
この前静雄とのセックスについて四木から信じがたいことを言われ、臨也は思わずソファーに座るこの男に馬乗りになった。その時の音で外にいた部下が四木の身を案じて部屋へ入ったのだが、予想もしない二人の体制に「失礼しました!」と大慌てでドアを閉めた。勝手な誤解により、これといった言い訳をする間もなく四木は渋い顔をしていた。臨也は確かに美しく、その容姿は眉目秀麗という言葉そのままだ。臨也自身にもその自覚はあるが、それにしたって男相手だというのにすぐさまそんな誤解をされる下半身に人格のない四木にだって問題はある筈だ。
今日はその意趣返しだろうか。
「えーそれどういう意味ですかあ?」
女が楽しそうに、だが少し揶揄するような調子で騒ぎ始める。だが臨也からしてみれば、こんな誰ともしれない女にどう思われようと正直気にしない。
そっちがその気なら、と臨也は四木の首に手を回す。そしてそのままこの間と同じ体制を作りだす。
女たちの騒いでた声が一瞬止まり、そのまま沈黙が訪れる。じっと成り行きを見守るその視線に、笑顔を向けて甘い声で臨也は言う。
「そうなんです。僕、四木さんの愛人なんですよ。彼のこと、あまり誘惑しないでくださいね」
「実はそうなんですよ。可愛いでしょう?」
てっきり否定されるものだと思っていたのに、あろうことか四木は臨也を引き寄せて臨也の耳元でぞっとするくらい優しくそう言ってのけたのだ。
「四木さん、どういうつもりですか? 」
臨也はその耳元で囁くように言うと、四木は珍しく楽しそうに笑った。
「女性からの煩わしいお誘いをどうにかしたくてね。ご協力に感謝しますよ」
四木は殊更いやらしい手つきで臨也の腰に手を回してきたが、そんな気かけらもないのはお互いがよくわかっていた。だが、そんな二人の思惑は他所に、まったく予想もしなかったところから声がかかった。
「臨也、お前何やってんだ…」
疑問というよりは唖然とした様子の声に視線を向けると、そこに居たのは声をかけた田中トムと、今にも暴れだしそうな凶悪な視線をグラサンの奥からのぞかせる静雄だった。
「シ…ズちゃん」
そうなれば、もう臨也の視界には静雄の姿しか捉えない。
「どうしました?店に何か用ですか?」
「いや、うちの方で金使い込んだままの奴が、今度はここの女に入れ込んで通ってるってんで、引っ張ってく前に四木さんの方へ挨拶を」
トムの言葉が終わる前に、静雄が地に響くような声で「行ってくる」と言い、次の瞬間には何かが破壊される音と女の悲鳴が響いた。
「ちょ…静雄っ」
慌ててトムが後を追ったが、時すでに遅し。すでにスイッチの入った静雄を止められるわけがない。
「………四木さん、やってくれますね」